風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

勇者

2009年11月30日 | 雑感
今日も一日中暗い空でした。
猫は今日も餌やらミルクやらを完食していました。
猫がここに住み着いている限りは餌をやリ続けたいと思っています。

昨夜は久しぶりにテレビを見ました。
内藤ー亀田戦です。
亀田、テクニックも精神面でも強くなりましたね。
ネットでは内藤に強烈なバッティング(頭突き=反則)を内藤にかましている姿も晒されていますが、まぁギリギリのところでしょうか。
あのバッティングで内藤の鼻が折れたのだとしたら内藤はかわいそうですが、世界戦を何度もしている内藤はそのくらいのダーティーな
戦法は百も承知のはずです。
内藤は知っているはずです。
亀田みたいな選手を相手にするときには、有無を言わさずノックアウトするしかないと思っていたはずです。
ですから、敗戦後のインタビューでも自分が情けないとしか言わなかったんだろうと思います。

勝負の世界で「かわいそう」は通じません。
勝者は光のスポットを浴び、敗者は闇の中に消えていきます。
もちろん、歴戦のプロのボクサーたちはそのことを知り尽くしています。
その非情さを知り尽くしながらも、リングにあえて立ち続ける勇気こそ賞嘆すべきです。
勝負ごとというのは、唾棄すべき残酷さと、運命に立ち向かう崇高さを併せ持っています。
茶の間に寝そべってブラウン管を通じて無責任に見ているぼくのような人間に真剣勝負をした二人の勇者に拍手を送ります。
たっだ、あの試合に関わったTV局の姿勢には問題があったようです。
まぁ、それもいつものことです。
内藤はそういう諸々を知りつつも、敢えてあのリングの上に立ったのだとぼくは思います。

逃げようとすれば問題は複雑化し、重くなっていきます。
例え勝ち目がなくても、しなければいけないときは、しなければいけないものです。
くだらない美学といわれれば、そのとおりです。
くだらない美学でも、美学と無縁に生きるよりはマシだと思う人間もいるだけの話です。

西郷隆盛の評伝なんかを読みますと、とにかくなにからも逃げません。
逃げないからこそ、彼は絶大な信望を集めました。
それに比べてぼくはと自省してみれば、まぁあらゆることから逃げまくっている感があります。
そういう男から見てみると、内藤ー亀田戦はいろいろ考えさせられる契機となりました。

勇者というのは、そういう世間でガタガタ震えている臆病者に勇気を与えてくれる存在でもあります。

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