風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

無為無策

2006年10月27日 | 雑感
ここ数日飲みごとが続いて、今日も明日も飲みごとがあります。
ヨーロッパでも飲んでましたから、21日間の行は何だったんだとなりかねないわけですが、
やめようと思えばぴたりとやめる自信は無いようであります。
飲みたいのか飲みたくないのか分からないうちにぐいぐい飲んでしまう癖はやめなければなりません。
意味がありません。

そうは思っているのですが、お客さんが次々とワインだのお酒だの焼酎だのを持って来てくれます。
ありがたいのですが、まぁ、あれです。

もうすぐ11月、昔で言えば初冬になろうとしているわけですが、今が秋みたいな感じの天候です。
空は高く澄んで、風が心地いいです。
陽射しの中にいれば、半袖でも大丈夫そうです。
温暖化だ何だと口で騒ぐ割には誰もなにもしていないようです。
自動車は世界中で作られ続け、緑は切り倒され続け、極地の氷は解け続けます。
通勤は原則自転車か公共交通手段を使い、割り箸は禁止などという条例を施行したりすれば、意識も高まるでしょうけども、
石油会社やら自動車メーカーやら割り箸輸入業者やらが黙っていないんでしょうね。

無為無策というのは、何かにチャレンジして失敗するよりもタチが悪いです。
失敗は課題を整理して再チャレンジすれば成功につなげることが出来ますが、無為無策は無責任と怠惰を生みます。
イジメ問題や受験のために必修科目の履修を省く問題やらに対する学校や教育委員会の対応などはまさに無為無策です。
5年間で合計8日間しか出勤していなかった男に満額給与を支払っていた清掃科の役人に対する役所の対応も、
長年の無為無策体制が染み付いた責任感と使命感に欠けたものです。
特定の組織や役所に限らず、ある程度の規模以上の組織は、軒並無責任体質に侵されているような気がします。
そういう体質の延長線上に、温暖化やら環境問題やら教育問題に対する無為無策があるのでしょう。

無為無策というのは、いわば精神的なぬるま湯にどっぷり使っている状態ですから、抜け出るのが難しいです。
ぬるま湯を一気に捨て去る勇気はなかなかもてません。
組織になると、ほかの人もそうだから、自分ひとりが頑張ったってという心理が働き、なおさら抜け出ることが難しくなります。

これからいろいろな膿が出てくるのでしょうが、膿を出すなら出し切ればいいのです。
膿を隠すと、症状が悪化して致命傷になりかねません。
それよりも、まず病んで膿んでいるのだという自覚がなさそうなのが、一番あれなんですが。





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