思えば、ぼくのブログでは「~だと思う」「~らしい」「~だといいですね」などの言葉で埋められています。
それに対して、禅師方の言葉は断定です。
核心を見た人間の言葉は断定に決まっています。
核心を得ることもなく、今日も風に吹かれています(笑)
笑いごとではないのが、防衛省の元事務次官です。
国策を歪め、税金をあぶく銭位にしか思っていない人間が、省の中枢を握ることのできるのが今の日本の現実です。
こんなことは防衛省に限ったことではないのですが、内部告発もなければ、外部からのチェックもありません。
許す、許さないというような話ではありません。
江戸の昔なら、有無を言わさず切腹、お家断絶ものの話が、今の政治の中枢では日常茶飯事の裏の常識になりました。
官僚たちをエリートと持ち上げる必要もありませんし、政治は難しいと思う必要もありません。
おかしいことはおかしいと思う自由闊達さこそこの国を救えます。
腹を立てる必要さえありません。
面と向っておかしい行動を取る者に対して、「おかしいよ」と言えればそれで国は変わります。
メディアが率先しておかしい言説を垂れ流すものですから、人々は自分の考えというものに自信を失いつつあります。
日本国民という民族に自信を与えてはいけないという勢力があるのはご存知の方はご存知でしょう。
日本民族として誇りを持つ必要はありません。
生きている人間として誇りを奪われないようにすればいいのです。
日本という文化は生きている一人一人の人間によって担われ続けてきたものです。
一人一人の人間が勇気と力と自信を持つ、それだけが唯一、余計な勢力やら意図やら思惑に惑わされない道です。
茶道というのは千利休によって確立された。
能というのは世阿弥によって完成された。
それはそれで事実でしょう。
でも、その千利休を、世阿弥を支持し、理解し、世の中に広めた名も無き圧倒的多数の人々がいたからです。
誇りと勇気と喜びを持った名も無き一人になりましょう。
日本という国は、そういう名も無き人々に支えられてきたのだと、ぼくは確信しています。
今日はできるだけ「~と思う」という口調を止めてみました(笑)
それに対して、禅師方の言葉は断定です。
核心を見た人間の言葉は断定に決まっています。
核心を得ることもなく、今日も風に吹かれています(笑)
笑いごとではないのが、防衛省の元事務次官です。
国策を歪め、税金をあぶく銭位にしか思っていない人間が、省の中枢を握ることのできるのが今の日本の現実です。
こんなことは防衛省に限ったことではないのですが、内部告発もなければ、外部からのチェックもありません。
許す、許さないというような話ではありません。
江戸の昔なら、有無を言わさず切腹、お家断絶ものの話が、今の政治の中枢では日常茶飯事の裏の常識になりました。
官僚たちをエリートと持ち上げる必要もありませんし、政治は難しいと思う必要もありません。
おかしいことはおかしいと思う自由闊達さこそこの国を救えます。
腹を立てる必要さえありません。
面と向っておかしい行動を取る者に対して、「おかしいよ」と言えればそれで国は変わります。
メディアが率先しておかしい言説を垂れ流すものですから、人々は自分の考えというものに自信を失いつつあります。
日本国民という民族に自信を与えてはいけないという勢力があるのはご存知の方はご存知でしょう。
日本民族として誇りを持つ必要はありません。
生きている人間として誇りを奪われないようにすればいいのです。
日本という文化は生きている一人一人の人間によって担われ続けてきたものです。
一人一人の人間が勇気と力と自信を持つ、それだけが唯一、余計な勢力やら意図やら思惑に惑わされない道です。
茶道というのは千利休によって確立された。
能というのは世阿弥によって完成された。
それはそれで事実でしょう。
でも、その千利休を、世阿弥を支持し、理解し、世の中に広めた名も無き圧倒的多数の人々がいたからです。
誇りと勇気と喜びを持った名も無き一人になりましょう。
日本という国は、そういう名も無き人々に支えられてきたのだと、ぼくは確信しています。
今日はできるだけ「~と思う」という口調を止めてみました(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます