風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

始まりと終わり

2012年12月20日 | 雑感

いよいよ明日がマヤ歴の終わりの日です。

http://japonese.despertando.me/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3q%EF%BC%86a%E2%80%95%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%84%E3%82%88%E6%98%8E%E5%BE%8C%E6%97%A5%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%99%82%E3%81%AB%E5%82%99%E3%81%88/

https://www.youtube.com/watch?v=XRUSVgUnzS0&feature=youtube_gdata_player&noredirect=1

なにかが終わればなにかが始まります。
なにかが終わらないと、なにかが始まらないとも言えます。
なにかが終わることに拒絶反応を示す人もいるでしょうし、なにかが始まることにも積極的な興味を示せない人もいるでしょう。

ある人にはなにかが起こり、ある人にはなにも起こらないのかもしれません。
一体なにかが起きるとはなんなのでしょうか。
中東やアフリカで大規模な紛争が起きようとも、ニュースも新聞も見ない人には何も起きていないのと同じことです。

なにかが起きるのはひとり一人の人間の心の意識内でのことであり、
人間の意識が何も動かなければ外の世界でも何も起きていないのと同様です。

なにかの終わりに意識を向けてもどうしようもないでしょう。
中途半端な感傷などは新たに始まるエネルギーの奔流にたちまちのうちに呑み込まれてしまうでしょう。
なにかの始まりに意識を向けてもやはりどうしようもないでしょう。
何が始まるのか誰も理解していないのですから。

やはり今この場所にいる立ち位置から、目に見えるもの、感じられるものをしっかりと認識し、やれることをやり、
やるべきことに立ち向かっていくことしかできないでしょう。
そしてそれが常に何かを「始める」ということになるのでしょう。

一瞬一瞬が終わりであり、始まりでもある。
結局はそういうことになるだろうと思います。

なにかのイベントがあるのではないだろうと思います。
世界中にブザーが鳴り響き、エンジ色の幕が上がるというわけでもないでしょう。
時計だってそのまま時間を刻むだろうし、空の色だって変わらないかも知れない。
でも、そういう変化の方がなんかリアルな気がします。

そんなことを考えながらも、今日も今から牛タンを焼きに行ってきます(笑)

 

 


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