梅雨が明けました。
今朝も滝に行ったのですが、帰り道は遠回りして山の緑を楽しんできました。
雨で埃がすっかり洗い落とされた木々が強めの風に吹かれて揺れています。
山全体が身をゆすって喜びの歌を歌っているようです。
晴れ上がった空にもいろいろな形の雲がたなびいています。
車の窓を全開にして、植物のエキスの濃い匂いを胸一杯に吸い込みます。
その後、親族の法事に行きます。
お経の読み方は今ひとつだと思いましたが、法話は熱心でした。
浄土真宗の坊さんでしたから、霊はいないというか、いるかいないかどうでもいいという話から、
お経は先祖に向けて読むのではなく、仏様の教えを法事なのどの仏事を機縁に皆で聞くということだ、
先祖を供養してやるというのは誤りで、先祖は仏様になっておられるのだから、
仏様に相対するのと同じように供養させてもらうという心が大事だ、とかでした。
幼い子供たちもたくさんいましたが、みな大人しく聞いていました。
それから、関西からお客様が見えるので、店を開けます。
休みなのにもかかわらず、ちょこちょこお客様が見えます。
夕方になれば、祇園太鼓の練習する音があちらこちらから聞こえてくるはずです。
今日も平和な一日が暮れようとしています。
同じような一日でも、胸に何事かつかえがあると、こころは暗い不安に閉ざされるでしょう。
そんなつかえは、なんでもかんでも流してしまえばいいのですが、真面目な人ほどつかえに向き合います。
向き合うと、つかえは絶対に折れません。
自己主張します。
そのうち、こちらのこころが折れてしまいます。
こころを折ってしまうと、その痛みは長引き、悲しみという感情がその傷口からいつまでも流れ出ます。
どんな場合でも、こころを折る必要はないということは知っておかなければいけません。
祇園太鼓というのは、疫病などのマイナスの気を払うために叩かれ始めたのでしょう。
どんどん叩いて、この街から陰気を追い払って欲しいものです。
今朝も滝に行ったのですが、帰り道は遠回りして山の緑を楽しんできました。
雨で埃がすっかり洗い落とされた木々が強めの風に吹かれて揺れています。
山全体が身をゆすって喜びの歌を歌っているようです。
晴れ上がった空にもいろいろな形の雲がたなびいています。
車の窓を全開にして、植物のエキスの濃い匂いを胸一杯に吸い込みます。
その後、親族の法事に行きます。
お経の読み方は今ひとつだと思いましたが、法話は熱心でした。
浄土真宗の坊さんでしたから、霊はいないというか、いるかいないかどうでもいいという話から、
お経は先祖に向けて読むのではなく、仏様の教えを法事なのどの仏事を機縁に皆で聞くということだ、
先祖を供養してやるというのは誤りで、先祖は仏様になっておられるのだから、
仏様に相対するのと同じように供養させてもらうという心が大事だ、とかでした。
幼い子供たちもたくさんいましたが、みな大人しく聞いていました。
それから、関西からお客様が見えるので、店を開けます。
休みなのにもかかわらず、ちょこちょこお客様が見えます。
夕方になれば、祇園太鼓の練習する音があちらこちらから聞こえてくるはずです。
今日も平和な一日が暮れようとしています。
同じような一日でも、胸に何事かつかえがあると、こころは暗い不安に閉ざされるでしょう。
そんなつかえは、なんでもかんでも流してしまえばいいのですが、真面目な人ほどつかえに向き合います。
向き合うと、つかえは絶対に折れません。
自己主張します。
そのうち、こちらのこころが折れてしまいます。
こころを折ってしまうと、その痛みは長引き、悲しみという感情がその傷口からいつまでも流れ出ます。
どんな場合でも、こころを折る必要はないということは知っておかなければいけません。
祇園太鼓というのは、疫病などのマイナスの気を払うために叩かれ始めたのでしょう。
どんどん叩いて、この街から陰気を追い払って欲しいものです。
でも、それはいつも雨降りの垂れ込めた空からの音でした。
7月6日に梅雨が明ける、と言うことはなかったように思います。
今年は早く真夏が来た、と言う事ですね。そして、猛暑だ言う予報も流れています。
元気に、気持ちを明るく前向きに過ごして行きたいものですね。あなたのブログに励まされながら。
滝にジャンジャン打たれて、すがすがしく、頑張ってお仕事してください。
早すぎますでしょう。
長丁場になりそうですから、夏バテには要注意です。
風呂に水を貯めて、浸かる、というのもいいかもしれませんよ。