風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

情報

2012年11月07日 | 雑感

今日も初冬の薄暗い1日です。
風邪を引いたので、例によって昼過ぎまでぐっすり寝て、どうやら治った感じです。
ちょっと油断して薄着でソファの上で転た寝なんかしますと、風邪を引きやすいと思います。

アメリカでは大統領選です。
いかにも投票という行為が有効で、民主主義が機能しているかのような印象作りのための選挙でしょう。
選挙というのは、民主主義が機能しているかのように錯覚させるための茶番でしかないと言ったら、
頭がおかしいと笑われます。
メディアには報道する権利と報道しない自由があるのだそうです。
報道しない、報道されない情報の中にいかにおびただしい真実が隠されていることか。
明らかに情報は操作され、フィルタリングされ、脚色されて、報道されます。
そのような歪曲された情報を素に判断される投票という行為を、どう考えたらいいでしょうか。

一般の人々が加工される以前の生の情報に触れるというのは、物理的に不可能な話です。
そもそもどのレベルの生の情報なのかという、情報の質的・量的な問題もあります。
ですから、本来ジャーナリズムというのは、いろいろな角度から現象を分析する上で、
できるだけ操作されない、フィルタリングされない、脚色されない情報を人々に提供する役割があるわけですが、
テレビのご用コメンテーターが垂れ流す無責任な意見というか、思いつきというか、
そういうレベルの言説が世の中に流布します。
それ以上の情報ももちろん今ではネットで探し出し、検証することは可能ですが、それをするだけの時間と
余裕と情報分析能力があればの話です。

情報というのは巷に溢れれば溢れるほど、それを取捨選択する能力が求められます。
それを取捨選択する基準はなんなのでしょうか?
自分の直感?
好き嫌い?
お気に入りのコメンテーターの意見を参考に?

なかなか難しい話です。
毎日毎日膨大な情報が人々の生活空間にたれ流されます。
新聞もテレビも見ない生活をしばらく続けますと気がつくことがあります。
そのほとんどの情報が無駄で、退屈で、どうでもいい情報だったと。

何かを判断するには、判断するための正確な情報が必用です。
でも、流布される情報のほとんどが、操作され、歪曲され、脚色された情報だとしたら、
とても厄介な状況に置かれてしまいます。
責任を持った判断をするというのが極めて難しくなるからです。

まぁ、自分なりの情報ネットワークというのをもう一度洗い直し、構築し直す必要があるかもしれません。
う~ん、どうかな。
もはや、それほど情報というものをがつがつと集めなくてもいいような気もするのですが。

写真は数日前の空です。

 

 

 

 

 


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