風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

一人の力

2007年03月29日 | スピリチュアル
昨日江原さんがテレビで「あらゆる権威がその力を失ってきた」みたいなことを言っていたようですが、そう思いますね。
誰かが示した指針に従うという時代ではないみたいです。
自分で心の中の在庫をすべて総ざらいし、自分自身で心の中に最後に残った本当の声を聞く必要があるのでしょう。

宗教、会社、経済、政治などなど、組織という組織、システムというシステムが「世界を幸福にしないシステム」になりつつあります。
こういうときは、組織が悪い、システムが悪いと戦いを望んでも無駄です。
善意とか正義とかを汲み取っていく組織とかシステムではもはやない感じです。
組織、システムが自己増殖し、暴走を始めた感じです。
むしろ、何とも戦わないで、自分の心を見つめなおしておくのがいいと思います。
心の中から余計なものを削ぎ落とし、大切なものを養っていく。

ちょっと度を越えた変な事件がおき続けています。
その悲惨さや異様さにいくら目を向けても見えてくるものはありません。

社会に無責任で冷淡になれということではありません。
こういう時代だからこそ、自分をもう一度丁寧に見つめなおし、改めるべきは改め、悔いのないようにしておくチャンスなのでしょう。

今までは時代のエネルギーが組織、システムが順調に進展することの背中を押していましたが、
これからは時代のエネルギーの向きが変わった感じがします。
一人が変わるということは、これからの時代とても有効です。

一人が輝くとその周りの家族、友人、知人がその光を受け、輝くヒントを貰い、光の輪が広がっていきます。
一昔前なら、一人が輝くということは、組織、システムの制度、論理内に閉じ込められていた感がありますが、
これからは思う存分輝くことができるような気がします。
既存の組織、システムに、輝こうとする個人を止める力はもはやありません。

生き生きと生きるのにはどうしたらいいか、みな一人一人が考え、実現していけばいいです。
そう簡単ではないことですが、やりがいがある話ではあると思います。

そういうぼくはというと、しょっちゅう道を見失って途上でぼんやりしてしまいますが、まぁ、そんなものでしょう。
どういう生き方を生きるのも、本当の意味で自分の選択次第になってきた感じです。
どんな選択でももちろんかまいませんし、誰もかまってもくれなくなるのでしょう。

輝かなければいけないなどと使命感を背負うとまた躓き易いかも知れません。
余分な荷物を背負うのではなく、余分な荷物を下ろすことなんだと思います。
なかなか持ちなれたものを手放すのは勇気がいることですが。

誰かのようになるという時代は終わったのかもしれません。
自分で自分を見つけ出す、そんな感じなのでしょうか。