風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

テロ

2005年07月11日 | 世相
本来なら、今日からロンドン、ローマに行く予定でしたが、気が進まなくて先週キャンセルしました。
そしたら、ロンドンでテロ事件が起きました。

弱者が強者に武力的に立ち向かおうとすれば、今日ではテロという手段しかないでしょう。
小勢力の軍隊が強国の軍隊に立ち向かって勝ち目はありません。
いくら卑怯だといわれようが、無差別に爆弾を仕掛け、あるいは自爆します。

強者と弱者の武力に差が大きく開き、強者が弱者の声を拾わなくなった時、テロは生まれます。
憎しみの連鎖は拡大し、ますますテロの土壌は広がります。

「平和、平和」の念仏は、死を覚悟したテロリストには無意味です。
自分の命が消えても、テロの理念に共鳴するものが一人でもあとに続けばいいと、彼らは思っているからです。

外部の人間の言葉は無意味でしょう。
イスラム教徒がイスラム教徒を説得する以外には道はないと思います。
イスラム教徒も各派に分裂し、いがみ合っていますが、その足元の崩れがキリスト教徒や仏教徒の無関心を呼んでしまいます。

パレスチナの問題にしても、善悪の問題では捉えられません。
歴史の積み重ねと、プライドと、利権がぐちゃぐちゃに絡み合っています。
単なる政治的・思想的理念ではとても仲介できないほどに、問題が絡み合ってしまっています。

歴史を遡った根本的解決などありえないように思えます。
これからどうするか、で理念を共有する以外にないはずです。
理念を共有することを阻むものは何か。
テロや内戦により身内が殺され、友人知人が殺され続けていくと、ますます理念を共有するどころか、
憎しみと殺意が拡大していきます。

この問題は、放置すれば収まるような話ではありません。

新たな救世主が必要なのかもしれません。