風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2005年05月12日 | スピリチュアル
今まだ店にいます。
売り上げを入力し終わりました。
気力がわかず、帰ろうと思っていたのですが、ある人が食事を持って尋ねてくるというので、
思い切って入力を片付けました。
ありがとう>ある人

今日、滝の仲間の一人がふらりと尋ねてきてくれました。
会うごとに、滝に対して熱心さが増して行く感じです。
もちろん、気負ったところはなく、楽しげで、自然体です。
ああ、いいなぁと思いました。
その人は、店に来るほとんどの人が胡散臭げに見る店の神棚に、きちんと拍手を打って、
祝詞を上げてくれました。
暖かい気の流れが店内に吹き込んできました。

また、これも今日の昼間ですが、知人の女の子と、いろいろ話しました。
その子は昔から霊感があり、そういう類のエピソードには事欠かないのですが、
4歳のとき、熱病にかかったときにすとんと「カミ」が身体に入ったそうです。
そのときの恍惚感や安心感を話したところで、もちろん誰にも受け入れてもらえませんでした。
その安心感は、小学生の高学年頃に消えたそうです。

彼女は今、キリスト教の洗礼を受けようとしています。
そうなるべくして、そうなっている気がします。
疑うことをせず、哀れみ深く、世の中に横行する人を傷つける行為が理解しがたい彼女には、
キリスト教の愛と受容の心はふさわしいように思いました。

みんな、一人一人が歩むべき道を歩んでいます。
そんな彼女も、時には苦しみ、ののしり声を上げることもあったのを、ぼくは知っています。
それでも、いつの間にか、道に戻り、静かに歩き始めています。

弱いのは、ぼくです。
いつまでも、いつまでも、愚痴を振りまいています。
振りまかれた愚痴が、道に積もって、どろどろのぬかるみになります。
ぬかるみに足を取られて、前に進めないよーと、泣き叫びます。
なんというざまでしょうか。

さりげなく歩き続けること。
出来れば、大きく手足を振って、明るい挨拶を交わしながら、
風の匂いや、鳥の歌声を感じながら、歩き続けられれば言うことはありません。

と、思いました。