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風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

灯明

2010年07月03日 | 
本当のことを知っている人間が、本当の生き方をしてない時に、悩みが生まれる。
悩めば悩むほど、本当のことから遠ざかり、影が濃くなる。

影がいよいよ濃くなって、本当のことという光を見失ったとき、
隣人を騙し、わが子を殺し、ただの影に闇の深さをくわえていく。

悩みというのは超えるべき関門でしかないのに、悩みに溺れ、
悩みを湿った寝床にしていく。

本当のことを知ればいいのだ。
本当のことを思い出せばいいのだ。

子どのもの頃に、目を見開いて興味いっぱいに眺めていた光景はなんであったのか。
大人になっても、心が痛んで、その痛む心はどんな心だったのか。

不変の心を失えば、人は目の前の現象に目を奪われ、心を奪われる。
何もかも奪われて、偽ものだらけの感傷や正義感や世界観に心は支配される。

不変の心。
本当の心。

探せば、その姿を隠す。
疑えば、ピエロ(メフィストフェレス)が現れる。

探そうとせず、疑おうともせず、
すべてをあるがままに映し出しているのが、心だと知る。

そのときに、心は心であることを知る。
本当のことというのが、どこにあったかを知る。

心に映ったあれやこれやに振り回されれば、疲れ果てる。
心に映ったあれやこれやのすべてを愛でれば、そこは極楽。

そこになにが映ろうが、地獄は地獄。
そこになにが映ろうが、極楽は極楽。

人の目で見るのが地獄。
菩薩の目で見れば、すべては極楽。

「自分が」と「自分を」を大切にすればするほど、地獄の闇が濃くなる。
「自分が」と「自分を」とを捨て去れば、ただちに極楽。

本当のこととは、灯明。
目の前にある灯明を掲げ持て。

すべての人の前に灯明はともされている。
ぐずぐずするな、掲げ持て!





あい

2010年03月13日 | 
flowerさんへ

吸い込まれそうな青い空に桜が舞い、人々は大きな木の下に集った。
ふだんの憂鬱顔や不平不満顔が鳴りを潜め、みな口元には笑みを浮かべていた。
みな一人ひとりと目と目を交わして挨拶をした。
言葉はいらなかった。

ときおり強い風が吹いて、梢がざわざわと揺れた。
誰かがおおきな敷物を敷いて、誰かが一升瓶と紙コップを取り出した。
みなが坐ると、誰かが重箱にたっぷり詰められたご馳走を座の真ん中にでんと置いた。
一言の挨拶もないまま、みなで乾杯した。

めいめいが、風に舞う花びらをぼんやり眺めたり、酒のお代わりをしたり、ご馳走に箸をつけたりしていた。
肩を組み合う必要もなく、歌を歌う必要もなく、ただ顔を赤くして円座になって坐っていた。
空にはトンビが旋回し、ご馳走を狙っていた。
それをみなで目配せで知ると、みなは一斉に笑った。

その大きな木はみなの座の上にのびのびと腕を広げていた。
誰かがその太い幹に両手を回して頬ずりをした。
するとみなも真似をして、両手を回して頬ずりをした。
そのうちに日も暮れかけ、みなは静かに立ち上がり、ゴミを片付け、めいめいの方向へ立ち去った。


皮膜

2010年01月24日 | 
どこかで聞いたことのあるような言葉が聞こえ、
いつか見たような風景ばかりが目の前に広がる。
突き破っても突き破っても、ゴムのような皮膜に覆われて、
人は夢を見ることをすっかりあきらめる。

ゴムのような皮膜は、おそらくは精神を鍛え上げるエキスパンダーだ。
突き破り続けた果てに見える風景は、宇宙に充ちた静寂だ。
やさしさとよろこびに充ちた静寂だ。
それが生命だということを知る瞬間だ。

ゴムのような皮膜は意地悪で人を覆うのではない。
慈悲の心で人を覆い続ける。
その仕組みを知ろうとしてはいけない。
楽になりたいという思いを捨てて、突き破り続ければいいのだ。

月や星は無駄に闇夜に光っているわけではない。
太陽は無駄に毎日光を注いでいるわけではない。
人は、動物は、植物は、鉱物は、地球は何一つ無駄に生きているわけではない。
ありとあらゆるものが無駄に皮膜に覆われているわけでもない。

真理は時としてエベレスト山頂のように尖って冷たい。
尖って冷たい真理から身を守るためには、時にはゴムのような皮膜が必要だ。
どこかに迷い込んで疲れ果てたときには、その皮膜にくるまって眠るだけでいい。
でも、目が覚めたら、またそのゴムのような皮膜を突き破っていけばいい。


舟形山

2010年01月23日 | 
いつも地平線に見慣れた山の青白い姿があった。
舟形山と呼ばれるその山は、文字通りに舟をひっくり返したような台形の山だった。
子供の頃、その姿を見るたびに、何かが胸の中に満ち満ちて何かを表現したくなるのだが、その何かが分からず表現すべき言葉も知らなかった。

今見る舟形山は、それでも昔のままの舟形山のはずだった。
でも、それは全く違う山だった。
青白くもなく、ありきたりの緑に覆われた、普通のなだらかな山だった。
それを見ることによって、胸が熱くなることもなかった。

どうしても今のぼくにとって解せないのはその色だ。
舟形山は、いつ見ても青白かったはずだ。
舟形山は青白い、それが子供の頃に明確に抱いた印象だ。
その山が今では緑に覆われているありきたりの山だ。

それが舟形山だと教えられたのは、ぼくが5歳の頃だったと思う。
フナガタヤマ。
舟というものを見たことのないぼくは、フナガタという言葉に青白いイメージをそのまま託した。

青白く、誰かが何かをたくらんでいて、こちらの世界を見てはくすくす笑っている人たちが住んでいる世界。
それがぼくにとってのフナガタ山だった。

今になって問えば、舟形山はブナの木で覆われているという。
宮沢賢治が好きそうな森だ。
尾根伝いに北に辿れば、イーハトープの森も一日もかからない。
木々が盛んに囁きあっている世界だ。
動物たちが首をかしげて里の人間どもを見下ろしている世界だ。

くすくす笑いが消えた今、舟形山は青白くなくなった。
ただの緑の平凡な山だ。

舟形山を見るたびに、ぼくは耳を凝らす。
くすくす笑いはもう聴こえない。
それでも、何かが聞こえて気はしないかと、耳を凝らす。


底を抜く

2009年02月28日 | 
底が抜けまいと頑張るからくたびれる。
底が抜けたらさぞかし風通しがよくなって、気持ちが良かろう。
春風が吹きぬけ、蝉の声も、落ち葉のささやきも、雪の舞いも、抜けた底を通り抜けていくだろう。

底に溜まっているのは、感情の泥。
誰にも振り返ってもらえなかった熱く積もった感情の泥。
底を抜いてしまえば、大空と繋がる空間、

底を抜くのは少しの勇気。
底を本体に止めているネジ釘を一本一本緩めて抜き取ればいい。
底が抜けた時、何のために溜め込んで溜め込んだものの重苦しさに何のために耐えていたのかが分からなくなる。

分かったつもりの感情。
分かったつもりの集積。
底を抜いてしまえば、どこまでも広がる大空ばかりがぽかんと広がる。


振動

2009年02月23日 | 
喜ぶとは、命が振動すること。
苦しむとは、命が硬直すること。

喜ぶとは、全細胞が己の役割を知ること。
喜ぶとは、役割を知った全細胞が融けあうこと。

愛とは、限界を超える意志。
その意志を支えるのは、喜び。
喜び、それが命のエネルギー。

空を見て振動せよ。
人の笑顔を見て振動せよ。
大地を渡る風を感じて振動せよ。
心臓の鼓動を感じて、身もだえして振動せよ。

硬直した命はぶつかり合い、振動する命は融けあう。
ただそれだけのこと。
ただそれだけであるからこそ、合掌して振動せよ。


雪の夜

2009年02月08日 | 
嫌いなものから逃げたら、嫌いなものから追いかけられる。
好きなものを追いかけたら、好きなものは逃げる。
追いかけもせず、逃げもせず、人は陽だまりの下で微笑んでいればいい。

冬には雪が舞い、春には桜が舞い、夏にはタンポポの綿毛が舞い、秋には枯葉が舞う。
じっと坐っていればこそ、世界は舞い続けるのだから。

雨の日は雨だれの音を聴き、嵐の日には風のうなり声を聴けばいい。
炊き立てのご飯をほおばり、味噌汁の匂いを吸い込めばいい。
天気が上機嫌なら畑を耕し、種を植え、実った野菜を取り込めばいい。
時には街に出て、道行く人と挨拶を交わせばいい。
味噌や醤油をくれる人がいればありがたく頂いて、たっぷり仕込んである漬物をお礼に差し上げればいい。
米を買うために、週に三日は道路工事に出ればいい。
あれやこれやら嫌味を言われても、笑って聞き流せばいい。

朝は早く起きて、目くるめく天空の色彩の移り変わりを眺めるといい。
寝る前に外に出て、星星のささやきに耳を傾けるのもいい。
寒い夜には焚き火を焚いてみるのもいい。
炎は思いのほかに雄弁だ。

雪が降り積もる日は大切な日だ。
降り積もった雪の上に大の字に寝転んで、空を見上げてみよう。
白い空間から、際限もなくひらひらと舞い落ちる雪。
水の精が思いのたけを尽くして舞い踊る日だ。
その優雅さを、その謙虚さを、その清冽さを、その軽さを全身で受けてみよう。

そして、ひとしきり雪を楽しんだら、家の中に入ってうんと薪を燃やしてみる。
それに昆布を敷いた鍋をかけ、酒と醤油を入れて、大きめにぶつ切りにした大根を炊く。
煮える間、少し贅沢してお酒を3杯ほど飲む。
生きているということがそのまま至福であることをしみじみと味わう。
熱々の大根ができたら、遠慮なくふーふーいいながら頬張る。
外では音もなく雪が降りしきり、時折屋根からどさりと雪が落ちる。
大根を食べ終えたら、残った汁のなかに冷や飯とみじん切りにした大根の葉を放り込む。
雑炊をすすって、至福の宴は終了だ。

冷え切った布団にもぐりこむのも、火照った身体には心地よい。
ここには好き嫌いがない。
祝福があるだけだ。

時折、パチパチとはぜる焚き火の音を聴きながら、音のない雪の夜に紛れ込んでいく。

それ

2008年11月10日 | 
溢れ出るもの
常に溢れているもの
無尽蔵に湧き出るもの

すべての時空に充ちてあるもの
「空」と呼ばれ「無」と呼ばれ、「ありとしあるもの」と呼ばれるもの
形なきが故に、いかなる形をも採りえるもの

本源のエネルギーであり、末端のエネルギーであり、永遠に交互に還流するエネルギーでもある
所有はできず、誰のものということのないエネルギー
光の中にはむろんのこと、闇の中にも貫流しているエネルギー

断ち切ることができない流れ
貯めておくことができない流れ
枯れることのない流れ

それは「想い」に寄り添う
「想い」が肯定すれば光となり、否定すれば闇となる
肯定されようが否定されようが、無尽蔵に湧き続けるもの

それは摂理とよばれるもの
生命と呼ばれるもの
神と呼ばれるもの

そして、それは人
それは空
それはすべて

沈黙

2008年10月20日 | 
沈黙のうちに日は昇り、たなびく雲が黄金色に染まる。
沈黙から溢れ出てくる光に、小鳥たちは鳴き騒ぎ、木の葉は揺れて、人々は新たな一日に胸躍らせる。

沈黙のうちに日は蒼穹を横切り、沈黙のまま日は沈む。
地上はオレンジ色に染まり、やがて紫色の夕闇に覆われる。

なにもかもがなにかを語ろうとするが、なにを言っていいのか分からなくなる。
鳥は羽をたたみ、木の葉は息を潜め、人々は黄色い電灯の下のテーブルの上に頬杖をつく。

やがて漆黒の闇とともに完全な沈黙が地上を包む。
星星も息を潜めて瞼をパチパチしてそんな様子を伺う。

でも、その漆黒の闇の中で大きくうねり動いているものがある、
天を泳いで、地に潜り込んで、音も立てずに呼吸を続けている。

黒々とうろこを光らせる龍だ!
山犬は脅えて吠え立て、悪霊どもは身を隠す洞窟を探し回る。

そんな出来事も、再び登った日の光の中に溶け込んでいく。
豊穣の沈黙、沈黙の豊穣が再び地上にみち充ちる。

黒い波

2008年09月23日 | 
そのひとはユリの花の匂いがした
何か香水でもつけてるのときいたら、いいえと首を振った

夏休み、アルバイトの切れ間を利用して彼女の田舎に遊びに行った
旅の途上と偶然を装ったが、ドキドキする胸で彼女の家に電話した

日本海を望む味気のない町に彼女は生まれた
冬には大雪が降るの、黒い波が押し寄せるの、と彼女は言った

夏の海はエメラルド色に穏やかに広がっていた
ウミネコたちが港で騒ぎ、子供たちが浜辺を駆け回っていた

海風で彼女の長い髪は乱れたが、気にする風もなく彼女は地平線の彼方を眺め続けた
ここの夜の空を見たらすごいのよ、と彼女は笑った

日本とか、アジアとか、そんなものじゃないの
宇宙の真ん中にいる、そんな感じなの

星たちの息遣いが聞こえ、おしゃべりが聞こえ、噂話も聞こえるわ
お月様はね、そんな星たちを監視するために天空に現れるのよ

ぼくはそんな彼女の話に言葉をさしはさむこともできずに、彼女の横顔を眺めた
彼女ははじめてぼくの目を見ると、じゃあ、これで、と言って立ち上がりスカートの裾を払った

夏休みも終わり、教室で何度か彼女と言葉を交わした
彼女の笑顔は遠くを見ていて、ぼくを見てはいなかった

それでも彼女の傍らを通り過ぎるとき、ユリの花の匂いがした
ぼくは彼女とのつながりのない世界にいながら、押し寄せる冬の黒い波を想像してみた

一歩

2008年06月12日 | 
この一歩。
いまこの時しかないこの一歩。
いま踏みしめるこの土は、明日になればはるか後ろの茶色い風景。

ほかの事を考えながらのこの一歩。
目の前が真っ暗になりながらのこの一歩。
飛ぶような気持ちのこの一歩。

大地はそんな気まぐれな一歩一歩を受けとめる。
雨は火照った身体を冷やし、風は冷やした身体を乾かす。
そんなこんなで、この一歩。

存在

2008年05月19日 | 
どこにでも必ず人の喜ぶものがある。
どこにでも必ず人の喜ぶ食べ物のがある。
どこにでも必ず人の喜ぶ言葉がある。

だれかが遠いところからあれがいいこれがいいと囁き続けるが、
大きくかぶりを振って振り払えばいい。
どこにでも必ず誰もが喜ぶ全てがある。

人ができることは喜ぶこと。
満面の笑みを浮かべて受け取ること。
差し出されたものには必要なすべてが詰まっている。

足りないと思うのはあなたの心が足りないから。
足りないものなどなにひとつ存在することはない。
足りているからこそ存在になるのだ。



心のままに

2008年05月08日 | 
人は心にもないことを言う
心にもないことを言うから、心が空っぽになる
心にもないことを言うから、人を傷つけ、自分も傷つく

心にあることを言おうとすると、人は口ごもる
自分の心を信じることを、いつかの昔にやめてしまったからだ
自分の心のつぶやきや叫び声に、耳を貸すことをやめたからだ

心が心のままなら空の色は空の色
風の音は風の音
果てしなく広がる祝福された空間が目の前に広がるはずなのに



これ以上なにもいらない

2008年04月02日 | 
これ以上なにもいらない。

苦しむ材料に溢れている。
悲しむ材料に溢れている。
欲しい材料に溢れている。
楽しむ材料に溢れている。

愛し愛され、憎み憎まれ、倦怠と興奮を味わい、すべてが大調和のうちの戯れなのだと気がつく。

なんにせよ、これ以上なにもいらない。
手を伸ばせば「それ」はそこにある。

学ばなければいけないことはただ一つ、「勇気」を持つということ。
「勇気」を持つには、どん底に落ちるような失敗を恐れぬこと。
失敗を正面から見れば、それは「生きる」という顔。

そして、誰もが「生きて」いる。
すでに勇気を持って生まれたことに気がつけばよいこと。

これ以上なにもいらない。
すべてがあり、すべてが準備万端に待ち受けているということ。
死ぬことも災難にあうことも、完璧なタイミングで待ち受けているということ。

これ以上なにもいらない。
溢れる材料を使い切っていないことを惜しむばかりだ。

安心

2008年03月13日 | 
本当に安心すると

慈しみの柔らかい光が周囲を照らします

胸が空っぽなら

両手で自分の胸を抱きしめてください

本当に安心すると

喜びと感謝の波があふれ出します

あるがままというのはすべての許しがあってのことなのだと知ります