鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

早春の海辺

2006-03-25 12:38:26 | ゼニガタアザラシ・海獣
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Photo by Chishima,J. 

波を避けて体をそらすゼニガタアザラシ 2006年3月 北海道東部)

 「ヒィー、ホー」。海上からの生暖かい風が、少し沖にいるクロガモの群れの声を、岸にいる私の耳元まではっきりと運んで来るくらい、太平洋は凪いでいた。それでも、時折思い出したように白い波が磯を洗うと、惰眠を貪っていたゼニガタアザラシたちは一斉に体をそらし、それを避けようとする。海が生活の本拠地であるアザラシが濡れるのを嫌がるというのも可笑しな話ではある。ここは北海道東部の沿岸にある、ゼニガタアザラシの上陸場。
クロガモ(オス)
2006年3月 北海道中川郡豊頃町
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Photo by Chishima,J. 

 ゼニガタアザラシは、流氷上で白い幼体毛に覆われた子を産むことで有名なゴマフアザラシなどとは異なり、岩礁上で出産・育児を行い、一年を通じて岩場に上陸して休息する。アザラシは好奇心旺盛な水中での姿とは対照的に、陸上では非常に臆病な動物で、人間や船の気配を察知しただけで海に逃げ込んでしまう。したがって、このような上陸場は無人島や、沿岸でも人間の接近しづらい場所に位置することになる。
 この場所とて例外ではない。夜半から朝方の雨で緩くなった雪は、私の足にしつこく纏わりつき、行く手を阻む。カラ類やゴジュウカラの陽気な歌に励まされながら森や原野の中を歩くこと一時間近く、ようやく海岸線に到達した。それでも、眼下に100頭ほどのアザラシの上陸を認めると、今までの疲れも一気に吹き飛ぶ。

ゼニガタアザラシの上陸集団
2006年3月 北海道東部
岩礁の上では意外と保護色になっているのが分かる。
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Photo by Chishima,J. 

 慎重に距離を詰める。一見、眠り込んでいるように見えるアザラシたちも、よく見ると常に誰かが警戒に当たっており、異変を感知すれば即座に海に飛び込む‐それが群れを形成する利点の一つでもある‐。また、岩の上で燦燦と注ぐ陽光に羽を広げているヒメウたちが一斉に飛べば、何が起きたか分からないアザラシたちも連鎖反応的に逃げ出してしまう。

休息中のゼニガタアザラシ
2006年3月 北海道東部
皆気持ちよさそうに寝入っているが、手前左端の個体は警戒に当たっている。
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Photo by Chishima,J. 

ヒメウ
2006年3月 北海道東部
写真は漁港に入ってきた個体。
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Photo by Chishima,J. 

 なんとか観察に十分な距離を確保すると、まずはカウントを行なう。100頭を少し超える数だが、数頭のゴマフアザラシも混じっている。本来はオホーツク海の流氷上で繁殖している時期であり、今ここで上陸しているのは前年生まれの幼獣や3、4歳の亜成獣など、繁殖に関係しない若者が大半だ。続いて、性別やおおまかな齢階級(成獣か幼獣か)など、集団の構成を調べる。ゼニガタアザラシが上陸場によく現れる繁殖期(5月頃)から換毛期(8月頃)の生態はある程度明らかにされているが(それでも海の獣ゆえ謎は多い)、冬季間の生活はあまりにも分かっていない。オスは上陸場周辺にとどまり、メスは索餌回遊に出て上陸場にはあまり顔を出さなくなるというのが定説だが、メスも一年中上陸場の周りにいることを示唆する観察もあり、判然としない。何がしかの洞察を得るためには、このような地道な情報を、たとえ少しずつでも蓄積してゆくしかない。

ゼニガタアザラシの上陸場に現れたゴマフアザラシ
2006年3月 北海道東部
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Photo by Chishima,J. 

 アザラシの生殖器は、海中での水の抵抗を少なくするため体内にあるので性別の確認は難しいが、それでも、慣れてくるとある程度の数は分かるようになる。どうやら、この集団は少なからぬメスを含んでいるようである。とするとメスが冬に回遊に出るというのは…、いや待てよ、いま目の前に上陸している集団自体が回遊してきたものだとしたら…。どうやら、取り組むべき課題は多いようだ。幸い、ゼニガタアザラシの斑紋のパターンは個体ごとに異なり、それは終生変わることはない。これをうまいこと利用しての個体識別が進めば、何か言えるようになるかもしれない。
 5月上・中旬の出産の時期までにはまだ二ヶ月ほどあるが、不自然に下腹部の膨らんだ妊娠メスも何頭か確認した。道東の3月はまだまだ冬の延長、一度嵐が来れば3日や4日時化が続くことも珍しくない。そんな時化の間の僅かな凪に、お腹の子を気遣うかのごとく上陸して休息をとるメスたちの姿に、私は季節の確実に変わりつつあることを感じ取らずにはいられなかった。

ゼニガタアザラシ
2006年3月 北海道東部
体に対して下腹部の膨れた中央手前の個体、そしておそらくその右側の個体は妊娠メス。
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Photo by Chishima,J. 

呼びかけ(ハシボソガラス
2006年3月 北海道東部
いち早く雪の解けた崖で、1羽のカラスが曇天ながら穏やかな海に、何かを呼びかけるように鳴いていた。
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Photo by Chishima,J. 

(2006年3月24日   千嶋 淳)