TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

神奈川の景勝50選、 その17の2 『荒崎』

2005年12月17日 | 神奈川の景勝50選

相模湾に面した荒崎は、自然が創造した美しい岩場が続く海岸です。

海に沿ってのびるハイキングコースは「潮騒の道」とも呼ばれていて、三浦半島の屈指の景観といわれる海岸美が堪能できます。




上の写真のトッポはちゃんと黒子さんが押さえていますから、ご心配なく。
絶対に、黒子の写真載せるなという厳命ですので、あしからず。

荒崎の説明板がありますので、ご参考にしてください。





海岸の岩礁の上での撮影です。 景色は素晴らしいのですが、三浦半島の西側は午後すべて逆光になりますので近影はうまく撮れません。

逆光での、撮影方法はもっと勉強します。(反省)





午後影になる海岸線をあきらめて、遊歩道をあがり先端に向かいました。

先端は釣りのポイントのようで、釣り客が何人か頑張っていました。





トッポは、足場が悪いのと歩くと多少痛いのか、少し怖がっているようです。





寒いのと、足が痛そうなので、これで荒崎を後にしました。

神奈川の景勝50選、 その17の1 『荒崎』

2005年12月16日 | 神奈川の景勝50選

横須賀市の広報によると、これから紹介する 『荒崎』 が三浦半島随一の奇景の岩礁を持つとされています。
 
三崎沖に横たわる城ケ島、浦賀水道に面した観音崎、合戦の舞台となった油壺。
三浦半島には荒々しい岩礁の海岸が多い。その中でも群を抜く奇景が荒崎です。





城山展望台とシーサイドコースへ向かう案内板があります。





城山展望台にあがる途中に、下のような素敵な景色を望めます。





三浦半島を形作った古代の隆起のあとが、幾重にもなって海面から這い上がっています。

気の遠くなるような年月をかけて波の浸食が作り出した洗濯板状の奇景は、まるで生き物のうごめきのようであると説明していました。




続く........。

神奈川の景勝50選、  その16の5 『外人墓地周辺』

2005年12月15日 | 神奈川の景勝50選
横浜港が開港当時外国人居住地だったこの場所が、1962年に公園として生まれ変わったのが港の見える丘公園です。 イギリスとフランスの軍隊が駐屯した場所としてよく知られています。

何度と来ていますが、ここで記念撮影はしたことがなかったので、トッポと一緒に撮りました。






展望台周辺の様子です。 昔は、夜のデートコースとして有名だったようですが、最近はどうなのでしょうね。




トッポのアップの写真です。
少しトッポも疲れたようです。 『腹減ったか? トッポ!』





その港の見える丘公園の北側部分は木々が茂って緑濃い様相を保っている。

この区域は「フランス山」と呼ばれ、港の見える丘公園の中の一区画であると同時に、独立した別の公園のような表情を見せる。「フランス山」は幕末から明治初期にかけてフランス軍が駐屯したところで、そこから「フランス山」の名があるそうです。

この写真は、以前ブルーになった写真で紹介した、大佛次郎(おさらぎじろう)記念館です。

「鞍馬天狗」などの小説で知られる作家で、横浜生まれであることから、港の見える丘公園の西側に建てられた。館内には約350点の資料を展示しており、注目したいのが愛猫家でもあった次郎の猫コレクションが見られます。





このイギリス館の建つ山手115番は、文久3年に横浜の居留地防衛のため軍隊が駐屯するなど横浜開港直後からイギリスにゆかりの深い土地です。

横浜市イギリス館は、昭和12年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として建築された建物で、広い敷地にゆったりと建てられ、条約開港都市横浜にふさわしい規模と風格を持っています。





まだまだたくさんご紹介したい場所があるのですが、長くなりますのでこの辺で外人墓地周辺のご紹介を終わりにします。




神奈川の景勝50選、 その16の4 『外人墓地周辺』

2005年12月14日 | 神奈川の景勝50選

横浜外国人墓地は、いくつかの出来事が重なることによって成立したようです。

その最初のきっかけは幕末の1854年、日本の開国を求めて来航したアメリカ艦隊のペリー提督の部下の埋葬にあり、ついで横浜開港直後の1859年7月、市中で殺害されたロシア使節の随員の埋葬がきっかけとなって敷地が確保されたとのことです。

1861年には外国人の墓域が定められて、1866年に国際親善の趣旨から敷地の無償貸与の方針が確定、明治新政府もそれを受け継いで、現在に至ったのです。
(以上、周知板より引用)

入り口右手の資料館の中で、写真を撮りました。





横浜の山手通りを散歩すると現在・明治・大正・昭和初期、そして日本・西洋と不思議な雰囲気が漂っています。

1854年に事故死したペリーのウイリアムズ水兵を埋葬したことからはじまり、有名な生麦事件のリチャードソン、鉄道事業の祖エドモンド・モレルなど工業分野から絵画・学校などの文化面にもわたって活躍した40を越える国の4000を越える人々が眠っているそうです。





決められたコースなら外人墓地内を探索することができます。
そして、下のような遊歩道ができています。





トッポも、お墓の前では失礼になると思いましたが、ちょっと記念撮影です。





続く..............。

神奈川の景勝50選、 その16の3 『外人墓地周辺』

2005年12月13日 | 神奈川の景勝50選

カトリック山手教会聖堂(Yamate Catholic Church)です。

1862年パリ外国宣教会が居留地80番に建てた横浜天主堂が、開港後の日本で初めてのキリスト教会堂です。

関東大震災によって完全に崩壊してしまい、現在の建物は昭和8年に再建されたものです。

尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なゴシック様式の教会建築ですが、内部には細かな装飾が施された列柱などを備え、この山手カトリック教会は、日本一美しい聖堂とも呼ばれているそうです。

トッポも小さいけど参加しています。




外人墓地の入り口より横浜市内を望めます。
この外人墓地は土日?は、一人200円の寄付を払うと墓地内に入れます。





外人墓地の中から山手十番館撮影しました。 この角度は、バカ親父の好きな十番館ですね。

明治時代の洋館を再現し、1967年に開店したそうです。

時計台からは時報の度に「赤い靴」のメロディーが流れる。1階が喫茶室、2階はフレンチレストランで自家製ケーキ食べ放題のランチが人気だそうです。




十番館の中には、トッポと一緒に入れそうもないので、お店の前の素敵なベンチで記念撮影です。

お店のお客が中から、不思議な顔してみてました。 たぶん、カメラを向けられたのと、トッポが見えなかったせいでしょうね。





トッポはこのベンチが気に入ったようです。 いい写真ですよね。

トッポ、 『ここだけで、何にも食べないの?』
バカ親父、『ワンコは入れないから、しょうがないだろ!』

で、近くでバザーを開いていたので、クッキーを買って食べさせました。

続く................。

神奈川の景勝50選, その16の2 『外人墓地周辺』

2005年12月12日 | 神奈川の景勝50選

山手聖教会の前に、小さい元町公園があります。
この小さな公園では、いつも誰かが洋館の絵を描いている姿が見受けられます。

トッポはリードもつけず待ての状態で記念撮影。 でも、小さすぎてわかりますか?





元町公園の前に、お洒落な 『えの木てい』 があります。

1927年に建築され,山手に残る数少ない西洋館のようです。
日本建築学会で取りまとめた“日本近代建築物総覧”にも貴重な建築物であると認定しています。

暖炉,木製の上げ下げ窓,200年以上昔のアンティーク家具があり、古き良き山手の雰囲気を今も漂わせています。

その一階のリビングルームが 『えの木てい』 です。

香り高いお茶と自家製ケーキが有名です。





元町公園に、ちょっと古風な、でもお洒落な公衆電話があります。
おかしかったのは、自動電話と書いてあったことです。

昔は、公衆電話のことを自動電話と言っていたのかな?





もう少し、道に沿って歩くと1870年、米国改革派教会から派遣された宣教師メアリー・E.・ギダーにより、日本最初の女子教育の学校として創立されたフェリス女学院があります。





毎日こんな素敵な景色をみながら通学できる学生は幸せですね。


続く............。

神奈川の景勝50選、 その16の1 『外人墓地周辺』

2005年12月11日 | 神奈川の景勝50選

久しぶりに地元、横浜に戻りました。

景勝50選のその1が 『山下公園のいちょう並木』 でしたが、今回は 『外人墓地周辺』 を少し詳しくご紹介いたします。

横浜の人は、よくご存知の人も多いでしょうが、バカ親父も詳しくは知らないことがたくさんありました。





まずは、景勝地50選の石碑です。
この石碑は、山手資料館の左手の道路沿いにあります。

フェンスで囲ってあるため、トッポが近くで撮影できないのが残念です。
前が階段になってたため、トッポが落ち着かずナイスショットになりませんでした。




人通りが少なくなったので、あわててトッポも入れて再度記念撮影です。

ここは山手資料館と呼ばれています。 明治42年に建造され、関東大震災にも耐え抜いた木造洋館だそうです。

館内には、ペリー来航当時の赤水筒とペリーの肖像画が描かれた皿や、明治29年に輸入された蓄音機、日本初のオルガン等が当時の生活様式を伺う家具などと一緒に陳列されています。





敷地には、日本で初点灯されたガス灯や日本最初の獅子頭水道共用栓が展示されています。

それほど大きな洋館ではありませんが、庭には芝生とバラの木が植えられ、とても雰囲気の良い景観になっています。

ぜひ、一度よく調べた上で訪問すると、そこに再発見があると思います。





2005年1月4日一人のアメリカ人の目的もない放火で全焼してしまいました。

現在は再建され、このように復元されました。

横浜山手聖教会は異国情緒あふれる横浜山手の西洋建築の一つで、根岸の競馬場でご紹介した米国人建築家J・H・モーガンが設計し、イギリス中世初期の建築様式をした教会として1931年に建てられました。

そのモーガンは1920年46歳のときに来日し、63歳のときに亡くなりました。
今は横浜山手聖公会前の外国人墓地に眠っています。

外人墓地に入る前に、ご案内したい場所がたくさんありますので順番にご紹介します。

続く............。

神奈川の景勝50選、  その15の4 『稲村ガ崎』

2005年12月10日 | 神奈川の景勝50選

サンセットを見ていただけましたか?
トッポも夕焼け色に染まっています。

そして、今度は江の島の方を見ています。





ほとんど肉眼では見ることのできなかった富士山が、夕日が水平線に近づくにつれて雲間にその勇姿を浮かび上がらせます。





夕日が沈む準備を始めると、一瞬空の色が青く変わり、夕日を浴びた富士山が淡いピンク色に染まっていくのです。





少し、アップで捉えると、よりハッキリ分かります。





ピンク色に染まった、富士山です。

曇のせいで、微妙に屈折した光が作り上げた色合いなのでしょうかね。

これもまた、素敵な富士山のような気がします。





そして、夕日が半分ぐらい水平線に沈むと、今度は残照に富士山が浮かび上がり、また違う富士山に変わるのです。





日没直前の、景色です。  
富士山が他の景色を押さえて、存在感を示しています。





そして、フィナーレです。

『もしかして!』 を期待して、トッポの感性と、地元の人の動きを信じて待った甲斐がありました。

寒かったのですが、トッポもじぃーっと見ていました。





暫くしたら、あの江の島にも渡ってみます。 ではこの辺で、稲村ガ崎の紹介を終わります。

神奈川の景勝50選、  その15の3 『稲村ガ崎』

2005年12月09日 | 神奈川の景勝50選
寒いので、トッポはバッグの中から顔を出して水平線をじーっとみています。
日没になりかけて、周りの景色がドンドン変わりつつあります。





雲がかかっているため、ハッキリとは太陽が見えませんが、日が傾くにつれ海の色が暗くなり太陽の帯が鮮明になってきます。





太陽が更に沈むと、だんだん大きくなり黄色やオレンジ色が映えてきます。





数十秒の間に、刻々と色の変わり具合が楽しめます。





2枚目では、ほとんど見えなかった遠くの山々が夕日を浴びて浮かび上がりました。


 


そして、日没の直前には、もう一度海が明るくなり輝き始めました。





あまり、説明は必要ないですね。
ほんの5分ぐらいの間の、日没までの変化を楽しんでいただけましたでしょうか?

次回には、『もしかして!』 の画像をお届けします。

続く...............。

神奈川の景勝50選、  その15の2 『稲村ガ崎』

2005年12月08日 | 神奈川の景勝50選

誰も帰ろうとしない雰囲気に押されて居残った我々は、とりあえず周りを見て回ることにしました。

1333年、 新田義貞 が鎌倉攻めの際、宝剣を海中に投げ入れて潮が引いたところを通って鎌倉に攻め入り、 北条氏を滅亡させたことで有名ですが、その「稲村ガ崎 新田義貞徒渉伝説地」の石碑が立っています。





トッポは、なぜかじぃーっと海を見ています!

海岸に下りて、波打ち際の満ち引きがとても綺麗でしたので、ちょっと1枚撮ってみました。





新田義貞が潮の引いたのを見て、6万騎を率いて稲村ガ崎の岸壁沿いに鎌倉へ突入したとあります。

そして、6万騎が通過した海沿いがここです。

その結果、源頼朝以来150年続いた鎌倉幕府は滅亡したそうです。
この写真はとてもよく撮れていたのですが、縮小したので、迫力がいまいち伝わりませんね。 残念です。





4時を回り始めてから、太陽と海に変化がおきてきました。
海が、太陽の光の帯をつくりはじめ、沈みかけていきます。





トッポの感性と、カメラのセットを始める人の動きを見て、『もしかして!』と思い、もう少し寒さに耐えて待つことにします。

続く............(寒さこらえて、待ってます。

神奈川の景勝50選、  その15の1 『稲村ガ崎』

2005年12月07日 | 神奈川の景勝50選
今日は 『もしかして!』 を期待して由比ガ浜と七里ガ浜を分けて突き出した岬、 『稲村ガ崎』 にやってきました。
近くの駐車場に車を停めて、海に突き出した小山のような岬の横にある小さな公園に入りました。 

景勝50選の石碑はすぐに見つかり、まずは一安心とトッポと記念撮影しましたが、
午後3時過ぎなので、寒さが厳しくなってきています。



小さな公園の奥に下の写真の銅像が立てられています。
資料によると、1910(明治43)年1月23日、小学生1人を含む逗子開成中学の生徒が乗るボートが沈み、12名全員の命が失われたそうです。
抱き合ったまま発見された兄弟の姿をモチーフにブロンズ像が建てられたようです。

法要の時、鎌倉女学校の生徒が合唱した「七里が浜哀歌」は、全国にヒットしたとあります。 聞いたことありますね。

七里が浜哀歌

真白き富士の嶺 緑の江の島
仰ぎみるも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心



トッポもブロンズ像の台に乗り、つぃでにもう一枚パチリ。
狭い公園で、あまり見るものがなく期待を裏切られた感じでしたが、少し山側に登り、江の島にかけての眺望を撮ってみました。



でも、1年に何回か気象条件に恵まれると、江の島と右側の海岸線の間に富士山が見られるとの話を信じて来たのですが、生憎の曇り空では叶わぬ夢ですかね。



よくこの写真を見ると、ほんの少し、かすかに富士山が見えるのです。
(よほど目の良い人でないと、判別は不能でしょう。)
でも、何人かいる地元の?人たちは寒さにかかわらず帰ろうとしません。

で、 『もしかして!』 の気持ちで居残ることにしました。

続く..........(寒い!)、トッポはバッグの中 (イイナー!)。

神奈川の景勝50選、 その14の3 『東高根森林公園』

2005年12月06日 | 神奈川の景勝50選

トッポの写真をつい忘れてしまうので、アップで撮りました。

トッポ、『どうして、時々つながれて一人にされるの?』
バカ親父、『トッポがガイド役だから、頑張りなさい!』





しかし、この後、広場に出たので住居跡の名残でもあるのかと行って見たのですが、何もありませんでした。

ただ自然林は、都会の中にこのようにうっそうとした場所があるのかと思うほどで一度見ても損はないでしょう。





帰りがけに、入り口近くの湧き水でできた小川を撮影してみました。
多分、秋も深まって来たので春とは景色が違うのでしょうね。





最後は、もう歩くのはイヤだとバックに潜り込んだトッポを撮って帰りました。





最近、トッポは味をしめたのか 『ヤドカリ犬』 のようです。



神奈川の景勝50選、 その14の2 『東高根森林公園』

2005年12月05日 | 神奈川の景勝50選

常緑広葉樹のシラカシ林は、実は縄文時代からそのままのかたちで生育しているという貴重な自然林だということです。





見晴台で少し休憩して、その後、古代植物園に続いています。





古代植物園には、縄文時代から平安時代の衣・食・住にかかわってきた主な植物84種が見られと書いてありましたが、バカ親父には全部雑草のようにみえましたが?


すいません、無知な親父で! バカ親父は、古代植物に興味を持たず自然群生している椿のほうに興味を持ってしまいました。





案内板に依ると、東高根森林公園は弥生時代の住居跡が発見された場所を保存するために作られた公園だそうです。

現在、住居跡が発見された場所は芝生の広場になっています。

それで古代芝生広場と言うようです。 広場に下りる遊歩道でトッポと記念撮影しましたが、昼間なのにうっそうとしていて良く分かりません。





続く............。

神奈川の景勝50選、 その14の1 『東高根森林公園』

2005年12月04日 | 神奈川の景勝50選

今回は神奈川の景勝50選の中では、もっとも東京都心に近いところにある 『東高根森林公園』 を訪ねてみました。

順路に沿って歩くと、暫くして景勝50選の石碑に遭遇しました。
早速、トッポといつものように記念撮影です。

トッポの定番の位置が植え込みになっているため、バッグ犬状態で撮りました





入り口より少し歩くと、小さな自然池があります。
「自然泉池とあずまや」と呼ばれる前で立ち止まりました。

ファインダーを覗いたときは、それほど気にも留めなかったのですが、画像としてはとてもまとまったいい写真だと思っています。

自然の噴水?が、微妙に雰囲気を盛り上げています。





「自然泉池とあずまや」を右に進むと、「湿生植物園」です。

ここは弥生時代の水田跡と自然の湧き水を利用した湿田で、現在ではあまり見かけない多摩丘陵の湿生植物が観賞できるそうです。

途中で、トッポを撮りましたが、少し動いたのに気づかず顔がボケてしまいました。






東高根森林公園の中の遺跡は弥生時代の集落跡で、古代芝生広場に埋蔵保存されている。

その周囲のシラカシ林は神奈川県指定天然記念物で湿生植物園は弥生時代の水田跡だそうです。





この公園の近くまでは、何回か来たことがありますが公園の中に入ったのは初めてでした。 どんなところなのか、順番に紹介します。

続く............。

神奈川の景勝50選、  その13の3 『真鶴岬と三ツ石』

2005年12月03日 | 神奈川の景勝50選

トッポもしばらく景色を堪能したようです。
周りには、日没の景色を狙い三脚にカメラをセットしたカメラマン?が何人か居残っています。





神奈川県の西、伊豆の付け根に近い真鶴半島の岬ですので、右には伊豆半島が望めます。

都市化が進んだ都市の片隅で、こんな原始の風景がまだ残されているのは驚きです。





近くを今日の漁を終えた、老人が1人操る一艘の漁船が通り過ぎました。





昔、映画で見た『老人と海』 を思い出しました。

ヘミングウェイの作品で知っているのは 「武器よさらば」「誰が為に鐘は鳴る」等ですが、 ノーベル文学賞 受賞作品, 「老人と海」が一番印象に残っています。





帰りの階段は、トッポを抱えながら、やっとの思いで駐車場までもどりました。
途中で素敵な夕暮れの景色を撮り、帰路につきました。

この写真は、ちょっと気に入っているのですが、いかがですか?
なんとなく、夕暮れの空と、海と、木立とバランスが取れているような気がしていますが、素人の勘違いかな?

バカ親父の錯覚でしょうか?、雲をよく見るとトッポが空から覗いているように見えるのですが..............疲れているのかな?

この辺で、『真鶴岬と三ツ石』 の紹介を終了します。