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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その176 『金沢城』 その1

2017年01月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
金沢城へ向かいます。
2008年の訪問時の写真と合わせて紹介します。
兼六園から石川門を臨みます。



兼六園と金沢城公園をつなぐ百間堀・石川橋です。
現在の石川橋の下は道路になっていますが、当時は大きなお堀で、百間堀と呼ばれていました。



兼六園に向かい合う石川門は搦手門(からめてもん)と呼ばれる裏門で、白門とも呼ばれています。



現在の石川門は1787(天明7)年に再建されたもので、外側に高麗門形式の一の門、内側に櫓門形式の二の門、そして二重櫓を配置しています。



戦国時代、一向一揆で本願寺門徒の拠点となった金沢坊を中心に寺内町が成立し、安土桃山時代に佐久間盛政が金沢坊を攻め落とした跡に尾山城を改築したのが、金沢城の始まりです。



高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。



これが石川櫓です。
櫓門の上部の渡櫓や左右に続くなまこ壁の太鼓塀には、隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、瓦が白っぽいのは櫓の屋根には鉛の瓦が葺かれています。



鉛を使用した理由は、溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったと言われています。



秀吉から金沢城を与えられた前田利家は近世城郭に改修し、後の加賀百万石の拠点となります。



最初の門(一の門)を入ると、右に90度曲がったところにもうひとつの門(二の門)があります。



続く...................................................。

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