goo blog サービス終了のお知らせ 

TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

神奈川の景勝50選、 その2 『野島の夕映』

2005年11月12日 | 神奈川の景勝50選


山下公園で見かけた、神奈川の景勝50選の石碑がどうも気になっていた。
仕事柄バカ親父は海外出張が多く、気がつくと日本はもとより地元も良く知らないようである。

そんなことで、トッポと家族の散歩をかねて暇なときに50選の景勝地を巡ってみようと考えています。

近場もあるが、遠く山の上などにも位置している景勝地もあるので、どこまで回りきれるかは、はなはだ疑問である。

とりあえず半分ぐらいを目標にがんばってみます。




その2として、まず『野島の夕映』として50選入りした野島公園に行きました。

この石碑を見つけると、嬉しくなりますね。

野島は横浜市の南東、金沢区にある面積16.2ヘクタールの小さな島で、島のほぼ半分が「野島公園」と呼ばれています。





左手に八景島の眺望が展開します。

園内には「憲法草創之処」と刻まれた石碑が建っている。明治憲法(大日本帝国憲法)起草者のひとり金子賢太郎の書によるものだそうです。

(私見ですが、展望台周辺は期待したほどではなくシャッターを押し切れませんでした。)





上の写真は、右手の眺望です。 『野島の夕映』 と言われるように夕刻の景色には、多分素晴らしいのが有るのでしょう。

機会があれば、もう一度訪れてみようかとも思っていますが。




帰宅後知ったことであるが、公園の北部にあるかやぶき屋根の屋敷は、憲法草創に尽力した伊藤博文の別荘を復元移築したもので、松の老木の緑と切り妻造りのかやぶき屋根の調和が美しいとのことです。

こっちも見てくるべきでした。 

とりあえず2番目の景勝地の石碑にめぐり合えたので、トッポ足跡の記念撮影です。

神奈川の景勝50選、 その1の6 『山下公園の紹介』

2005年11月08日 | 神奈川の景勝50選


山下公園の左隅に、インド水塔という建物があります。

この建物も、関東大震災に関係のある塔なのです。





ネットで調べた説明を掲載します。

山下公園の一角、大桟橋側の端の目立たない場所にひっそりと建つ1つの塔がある。

インド水塔という名称のこの塔が、関東大震災と深い関わりがあるのをご存知だろうか。

1923年(大正12年)に起きたこの大災害では、当時横浜に在住していたインド人116人が被災し、死者も28人を数えた。横浜市民は町の復興と共に、被災したインド人にもその救済の手を差し伸べた。

そして、横浜で住む場所を失ったインド人を横浜に再び招くため、住宅の手当てなどにも力を注いだのである。

1939年(昭和14年)に在日インド人協会から寄贈されたこの塔は、そんな横浜市民のインド人に対する援助への心からの感謝、また、不幸にして亡くなった同胞の慰霊としての意味も含んでいると言われている。





その外観は塔と呼ぶには小ぶりとも言えるが、丸いドーム状の屋根が目を引く寺院建築の様式を取り入れた、国柄を表す非常に美しい造りになっている。





また、内部を覗くと天井部の装飾が大変素晴らしく、色とりどりのタイルを使用したモザイク模様は思わず見とれてしまうほど完成度が高い。





ところで、トッポの登場がないが................こんなところで

『もう疲れた、寒いし帰ろうよ!』 でした。





長いこと山下公園のご紹介が続き申し訳ありませんでした。
でも、これらのことを理解してもう一度山下公園を散策するのも楽しいと思いますよ。

バカ親父は、横浜市から1銭もいただいていません。

(念のため!  )

これで山下公園紹介を終了します。

.......................................

明日は日本に戻ります。

大陸はまだまだインフラが整っていない場所が多く、処理スピードが遅いため閉口しました。

トッポがどのように迎えるかたのしみです。 たぶんウレションになるでしょう。

神奈川の景勝50選、 その1の5 『山下公園の紹介』 

2005年11月07日 | 神奈川の景勝50選


やはり、横浜をマリンタワーを抜きに語れません。
マリンタワーは単にタワーではなく、灯台なのです。




山下公園のすぐ裏にそびえる高さ106mの世界一の高い灯台です。

地上100mの高さにある2層式展望台からは、横浜港やみなとみらい地区をはじめとする横浜市一帯をはじめ、三浦半島、房総半島、富士山を一望できます。

夜景スポットとしても定番になっています。





写真では分かりにくいですがマリンタワー寄りに、ニューグランドホテルが位置しています。

このホテルの前にあたる山下公園の中にバラ園が作られています。





時期的に良くないのか、綺麗に咲いているバラは少なかったのですが、この花が元気に咲いていましたので撮ってみました。

なんという種類のバラかは調べるの忘れました。

神奈川の景勝50選、 その1の4 『山下公園の紹介』 

2005年11月06日 | 神奈川の景勝50選


水の守護神像が山下公園のほぼ中央に位置しています。





昭和32年に横浜市とサンデイゴ市は姉妹都市としての契りを結びました。

その後横浜市から友好の鐘と茶室が贈られ、サンデイゴ市からミッションベルと水の守護神像が寄贈されたそうです。





噴水の周りは綺麗な花壇になっていています。
ブルーの花にならなくて、ホッとしています。





この程度なら、まあまあ勘弁してもらえますかな?
これ以上は、CANONの一眼レフでないと無理ですね。







でも、印刷だと画素数上げて撮れば拡大してもいい写真になりますが、縮小すると画素数が多いときはシャープネスがかかりすぎてDISPLAYではかえってボケる感じになります。 

(バカ親父の処理の仕方がわるいのかな? 誰か教えてください。)

..........................................

バカ親父は出張中で海外からの更新です。 ホテルに早く帰れたらご返事します。





神奈川の景勝50選、 その1の3 『山下公園の紹介』 

2005年11月05日 | 神奈川の景勝50選

「赤い靴はいてた女の子」のお話です。

トッポもちゃっかり隣に座って記念撮影です。



この話も、ネットを通して知ったことです。                               

”赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった...”
この野口雨情が作詞した童謡を,誰でも一度は聞いたことがあるかと思います。

ところが,この「赤い靴をはいた女の子」は,実在の少女だったという事はご存じでしょうか?


少女の名は,清水市出身の「岩崎きみ」ちゃん。

彼女が母親に連れられ北海道に入植したのは,彼女が生まれてまだ間もない頃でした。

なけなしの全財産を投じて入植したものの,一家はなかなか生活苦から脱することはできず,とうとう口減らし同然に米国人牧師の養女にもらわれることになりました。彼女が3歳の時でした。

その米国人牧師が,日本での任期を終え本国に帰ることになった時,彼女が結核におかされていることが判明する。

今では結核なんて何でもない病気だけど,当時はまだ不治の病。
結局彼女は,渡米できず,当時麻布十番にあった鳥居坂教会の孤児院に預けられることになる。

そして...
明治44年,この地で9年の短い生涯を閉じました。

一方,母親の「かよ」は,そんな娘の死も知らないまま,昭和23年,「きみちゃん,ごめんね」の言葉を残して64歳で他界したという。


そんな「赤い靴はいてた女の子」の像が,なぜ山下公園にあるのか,私にはわかりません...

横浜は,1859年(安政6年)の開港以来,外国人居留地が設けられ,日本の西洋文化発祥の地となりました。

アイスクリーム,ビール,石鹸,ガス灯,写真,女子教育などなど,日本の近代化の萌芽のほとんどは,ここ横浜港を通して入ってきたのです。

彼女がもし病に冒されていなかったら,
この横浜港から異国へ旅立ったのかもしれません。

週末には,たくさんの人が,四季折々の銀杏並木が美しい通りを横切り山下公園を訪れます。

そんな山下公園で,彼女は今日も一人,静かに横浜港を眺めていました。





そして、横浜にはこんなバスも走っているのです。
普段は誰も気にしないでしょうが、こんなところにも『あかいくつ』と書かれています。

横浜らしいですね。

...........................................

バカ親父は、大陸のほうに仕事ででかけます。
更新は海外からでもできますが、ご返事が遅れたらご容赦ねがいます。

神奈川の景勝50選、 その1の2 『山下公園の紹介』 

2005年11月04日 | 神奈川の景勝50選


1930年(昭和5)に三菱横浜造船所で造られた、総トン数1万2000トン、全長163.3mの豪華客船。

30年にわたり太平洋を横断すること238回、合計2万5000人もの船客を運び、「太平洋の女王」とも呼ばれたそうです。

1961年(昭和36)から山下公園に係留され、エンジンルームや船長室、チャップリンも泊まった特別室などが見学できます。





山下公園の海が綺麗になりました。
そしてカモメもたくさん飛んでいます。





氷川丸の近くに、日本人なら誰でも知っている歌の石碑がありました。

ネットでこの歌についての説明がありましたので、ご紹介します。

日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。

『かもめの水兵さん』です。

昭和8年の秋、横浜港のメリケン波止場に叔父を見送りに来ていた童謡詩人で童話作家の武内俊子は、桟橋に飛び群れていたカモメを見て強い印象を受けました。

彼女は後にこの印象を元に童謡『かもめの水兵さん』の詞を書き、河村光陽がこれに曲を付けました。昭和12年にこの歌のレコードがキングレコードから発売されましたが、歌っていたのは光陽の娘で童謡歌手の河村順子(当時11才)でした。




神奈川の景勝50選、 その1の1 『山下公園といちょう並木』 

2005年11月03日 | 神奈川の景勝50選

横浜近辺に在住の皆さんには、目新しいご紹介ではありませんが、結構細かく見て回るといろいろな事が分かります。





横浜港を目の前に、大さん橋の東側から山下埠頭まで約1km続く日本最初の臨海公園がこの山下公園です。



山下公園が関東大震災の復興事業のひとつとして瓦礫を埋め立てて造成されたそうです。

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は、横浜の市街、横浜港にも壊滅的な被害をもたらし、1925年(大正14年)に横浜市長に就任した有吉忠一によって復興事業が強力に推し進められました。道路の整備、河川運河の整備、橋梁の整備、学校・病院の新設・改築と並んで、公園事業もまた復興事業の急務とされ、神奈川公園、野毛山公園、横浜公園、山下公園の四公園がこの時に整備されたそうです。

(ヘェー! そうなんだ。 こんなことも知らなくてと感心するバカ親父です。)





有名な銀杏並木です。 週末や祝日には、結構遠方より遊びに来る人も多いそうです。





あいにくの曇天で視界が良くないですが、中央あたりの展望場所からは遠くにベイブリッジが良く見えます。





海に向かい右手に氷川丸か係留されています。

トッポは隣のカップル? が気になってこちらを向いてくれませんでした。

どうやらカメラの色の問題は解消したようですね。
あとは天気と腕の問題になりますのでご容赦を!

海外出張が控えていますので、ネタ切れにならないように少しづつ山下公園の紹介するセコイ親父でした。

続く......。