1930年(昭和5)に三菱横浜造船所で造られた、総トン数1万2000トン、全長163.3mの豪華客船。
30年にわたり太平洋を横断すること238回、合計2万5000人もの船客を運び、「太平洋の女王」とも呼ばれたそうです。
1961年(昭和36)から山下公園に係留され、エンジンルームや船長室、チャップリンも泊まった特別室などが見学できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/58/22301c8cfc653acc722235e2d500ee69.jpg)
山下公園の海が綺麗になりました。
そしてカモメもたくさん飛んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/7b/0b46ab84f74950025db5ea8f39f4d601.jpg)
氷川丸の近くに、日本人なら誰でも知っている歌の石碑がありました。
ネットでこの歌についての説明がありましたので、ご紹介します。
日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。
『かもめの水兵さん』です。
昭和8年の秋、横浜港のメリケン波止場に叔父を見送りに来ていた童謡詩人で童話作家の武内俊子は、桟橋に飛び群れていたカモメを見て強い印象を受けました。
彼女は後にこの印象を元に童謡『かもめの水兵さん』の詞を書き、河村光陽がこれに曲を付けました。昭和12年にこの歌のレコードがキングレコードから発売されましたが、歌っていたのは光陽の娘で童謡歌手の河村順子(当時11才)でした。
船から見る夜景は綺麗で、山下公園もクリスマス一色のとても煌びやかな雰囲気でした。
当時は、とっても安月給だったのですが、クリスマスぐらいは、女房に感謝の気持ちを示すために年に1度の贅沢をしました。
やがて年月が過ぎると、身長は変わらないがズボンのウエストがみるみる増え、見た目が悪いからと言われスポーツジムに半強制的に行かされる。
でも、ジムから帰ったら、搾り出したエネルギー以上に飲み食いしてしまうので、悪循環かもしれない。????
昔々行った事あります。写真見てまたいってにたくなりました。
餃子男さんへ
私も、日本の近くの半島にいたころ、ジムに通いました。ジムの後、たらふくビールを飲み、満腹になるまで食べ、その後すぐ寝る生活を3ヶ月・・・体重5kgUP。妻に、即ジムをやめなさいと言われ、3ヶ月ぼうずとなりました。結局は、食べたら太るのです。
その石碑でTOPPOたんは、何を考えてるのかな??^m^
豪華客船は一回だけ、見学にいった事があります。この氷川丸ではないのですが、船の大きさにびっくりしました!(^^)!
小学校の時、見学に行きました。
かれこれ○○年前にもなりました・・。
月日は早いものですねぇー。
大通り公園の銀杏並木もちらほら色ずいて
きましたね。
浜っ子としては、懐かしい~。
ペペちゃんは狆ですか?
狆も中学校の頃、我が家で飼っていましたよ!
スピッツ全盛期とか赤レンガ倉庫での釣りなど、考えると
TOPPOパパさんとやっぱり同じ年代ですね。
「赤い靴」とかも 小さい頃は
内容など知るはずもなく
普通に歌ってました。
こうやって知ると 奥が深いものなのですねぇ
優しい気持ちがあれば、家庭円満間違いなしです。
バカ親父も、反省はしているのですが!
扶養家族が多すぎて困っています。
意外と身近なところに、素晴らしい何かがあることに気が付かないのですね。
不自由がないと、上っ面だけの言葉の遊びで終わっている会話が多いですからね。
これもトッポのおかげですね