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TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

神奈川の景勝50選、 その20の2 『恩賜箱根公園』

2006年01月05日 | 神奈川の景勝50選
木立に囲まれた路を抜けきると中央に位置する湖畔展望館の前に出ます。
バッグから出たがらないトッポと記念撮影です。





ここからの芦ノ湖の眺めは格別で箱根外輪山、富士山が姿を見せると絵画的な光景となるそうですが、富士山は薄い雲に覆われていて残念でした。

でも、雲の流れを見ているだけでも、ここを訪れた価値はありました。





上空は風の流れが速いのか、刻一刻と空の景色が変わります。





暫く待って富士山の浮かび上がりを期待しましたが、途中で雲の切れ間に顔を出した富士山を望遠で撮ってみましたがこれで精一杯でした。





今年の春には雪化粧の富士山を是非撮りに、もう一度来る予定です。


続く...................。

神奈川の景勝50選、 その20の1 『恩賜箱根公園』

2006年01月04日 | 神奈川の景勝50選
年末年始特集は、リアルタイムでのご紹介ですので、フゥー!でした。
では、頑張って、

新年を迎えて、最初のご紹介は 『恩賜箱根公園』 です。
これからは、いつものペースでアップします。

恩賜箱根公園は約120年前に明治政府が作った箱根離宮の跡で、面積が約16万平方メートルある。

ドイツ人医師ベルツが、この地が医学的に気候も温暖で、景色も良いということから、時の皇太子の保養地として推奨したと紹介されていました。




芦ノ湖や周りを囲む箱根外輪山、富士山が一望できる景色は絶賛されています。

まずは、50選の石碑の前で今年初めて紹介のトッポです。



大きな駐車場の前に、写真のような入り口があります。
階段をのぼっていくようなので、トッポをバッグに入れ寒いので帽子も被せました。

手がでないので、おとなしく被っていました。



帽子をかぶった写真があまりないので、記念撮影です。



階段をジグザグに登り、綺麗に手入れの行き届いた木立に囲まれた道路を登りきると湖畔展望館前に出ます。

続く.....................。

神奈川の景勝50選、 その19の4 『江の島稚児ヶ淵』

2005年12月29日 | 神奈川の景勝50選
トッポ、  『うわー、寒そう! 何で、こんなとこで遊ぶの?』
バカ親父、 『俺もそう思う。 景勝50選に選ばれたのが、ここだからしょうがないね。 でも景色はいいだろ。』 
トッポ、  『ところで、僕を抱いてあの階段戻れるの?』
バカ親父、 『無理なこと言うな! 船を捜そう。』



稚児ヶ淵は、幅50mにわたって隆起した海食台地です。
特に日没時ここから望む富士山も、写真愛好家のベストスポットとなっています。



稚児ケ淵は “散るや桜の稚児ケ淵” と詠われ、悲しい恋物語が伝えられています。

「稚児ケ淵」の悲恋物語

鎌倉時代、建長寺の修行僧自休が、江ノ島へ百ケ日参詣に行き、相承院の稚児白菊と出会い恋に落ちます。
男同士で僧同士の恋がかなうわけもなく、悲観にくれた白菊がこの断崖から身を投げてしまいます。
それを知った自休も後を追いここから飛び降りて海に散ったといわれています。
(自休は、怖くなって飛び降りなかったという説もありますが?)



休日には多くの釣り人が訪れる釣りスポットでもあります。
吹き溜まりでカニや小魚もたくさん見つかるそうですが、冬は寒すぎです。



バカ親父、 『乗合船、見つけたぞ!』
トッポ、 『よかったね。 これで帰れるね、パパ』

稚児ヶ裏をさらに西(岩屋と逆方向)に行くと乗合船弁天丸発着場があます。
弁天橋手前からここまで連絡船(べんてん丸)が往復していました。



帰りは快適に、展望台を右手に見ながら船で戻りました。
もう一度弁天橋を歩いて、バカ親父は生シラスのから揚げ丼を食べ、トッポはさつま芋を3分の1食べ、満足して帰りました。

江の島稚児ヶ淵の紹介は、ここで終了します。
今年も、もう残り少ないですね。 
皆さん風邪を引かないようにしてください。 (寒い! ブルブル)

神奈川の景勝50選、 その19の3 『江の島稚児ヶ淵』

2005年12月28日 | 神奈川の景勝50選
そろそろ、足に疲れを覚えながらようやく頂上らしき場所にでました。

ここから、展望台がよく見えます。 (これ書いて自分で笑えました、展望台を見るのではなく、展望台から見るのですよね!)





高さ59.8m、海抜119.6mの高さを誇る江の島展望灯台です。

2005年7月には100万人のお客様を迎え、湘南のランドマークとして、そして様々なイベントが行われるイベントスペースとして定着しています。





ここの展望台から見た景色です。 
直下の稚児ヶ淵はここからは見下ろすことができません。 

ここから、エッチラオッチラと急階段を降りて、トッポを担いでやっとの思いで下まで到着しました。 足がガクガクしてます。





ここで、景勝50選の石碑を発見しました。

トッポは、たどり着く観光客に愛想をふりまいて、いつもの記念撮影のように石碑の前でじっとしてくれません。





この位置から、見える稚児ヶ淵です。
みなさん元気に見て回っていますが、急階段をおりてきた我々はどうするの?

で、帰りはどうするのか? これが問題です。


続く..............。

神奈川の景勝50選、 その19の2 『江の島稚児ヶ淵』

2005年12月27日 | 神奈川の景勝50選

トッポをおいて遠くから参拝?した後、暫く歩くと下より登ってきた人と合流する階段で記念撮影です。

ここからの、景色は素晴らしく歩いてくるべきだったかと悔やんだが、体力温存しておかないと稚児ヶ淵まで持たないとので、ここで一部を紹介します。

まずは、トッポに焦点を合わせてパチリ。





遠くに焦点をあわせると、江の島のヨットハーバーに繋留されているヨットが綺麗に浮かび上がりました。





江の島ヨットクラブは、第2次世界大戦後の日本中が待ち望んでいた初の東京オリンピック(1964年)開催時に、世界中のセーラー達を迎えるホストクラブとして誕生したそうです。

近くで、セイリングするヨットを、望遠で捕らえてみました。





海が好きなので、すぐ横道にそれました。 

暫く進むと、奥津宮(おくつのみや)にでました。
すいません、途中で一つ飛ばしてしまいました。

この神社は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)を お祀りしているそうです。

1182年(養和2年)源頼朝奉納の石鳥居や拝殿天井には江戸の絵師酒井抱一画の
「八方睨みの亀」は有名で、入母屋造りになっています。

もう一回、トッポをおいて参拝を考えましたが、他の参拝者もいたのでここで失礼しました。







トッポ、  『まだ、稚児ヶ淵に着かないの?』
バカ親父、 『まだ、これからもう少しあがって、それから海岸まで降りるらしいよ。』

トッポ、 『帰りはどうなるの?』
バカ親父、 『帰りのことは言うな! 船に乗せてもらうようにするから。』

(乗せてくれなかったら、どうなるのか? 帰れるかな?)





急階段は、トッポを歩かせる事は難しいので大変です。
トッポが約5Kgとして、カメラ2個とバッグで3Kg、いつもの黒子が風邪でダウンとの事で、男の黒子を頼みましたが平均年齢?才では、ちょっと心配です。

しかし、このカメラ重いね、一度落としたことがあるので、落とさないように首にぶら下げて歩くと肩が凝りそうです。


続く............。


神奈川の景勝50選、 その19の1 『江の島稚児ヶ淵』

2005年12月26日 | 神奈川の景勝50選

年末年始特集をと考え、いろいろプランを考えていたのですが外野の誘惑?に負けてホロ酔い機嫌では、それもままならずですので、暫くもとに戻って景勝地巡りの保存版の紹介をさせていただきます。

........................


しばらく前に、稲村ガ崎より江の島と富士山を紹介いたしました。
今回は、その江の島及び50選に選ばれている 『江の島稚児ヶ淵』 を紹介します。

現在は陸続きになっていますので、その橋の入り口で記念撮影です。





ある説明書によると、江ノ島の記述は少ないが、「江ノ島縁起」によれば、欽明天皇13年(552年)4月に海底より塊砂を噴き出し、21日で島ができたと伝えられているそうです。

以来島全域が聖域としてあつかわれ、源頼朝が弁財天を勧請したのを始め多くの要人が参拝したそうです。

戦国時代は後北条氏によって庇護され、慶長5年(1600年)には徳川家康も参拝したと記されていました。





江の島に到着すると正面に見える青銅の鳥居です。
鳥居をくぐると参道です。

参道の両脇にはタクサンのお土産屋とレストランが並んでいます。
サザエ、干物の磯の香りが漂っています。
ここの名物は、生シラスのかき揚げ丼との事で、帰りに食べることにします。





暫くして、上の写真の朱の鳥居、江島神社への入り口 に到着です。

日本三大弁財天を奉る江島神社は、辺津宮、中津宮、奥津宮の三社からなる御社だおうです。

芸能上達・財宝福徳・良縁成就をはじめ諸々の御利益があり、多くの参詣者でにぎわっています。

ここから左に曲がり、上まで歩いても登れるのですが、迷うことなくエスカレータにて登ることを選択しました。





エスカレータを降りると、辺津宮(へつのみや)の前に出ます。

田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)が祀られています。
1206年に源実朝が創建し、昭和51年に大改修が行われた権現造りの建物です。





何かご利益がありそうなので、人の切れ間を利用して記念撮影です。
これで、これからはトッポを拝めばご利益がありそうです。

続く.............。

神奈川の景勝50選、 その18の4 『長尾峠』

2005年12月21日 | 神奈川の景勝50選

長尾峠の茶店でブルブル震えながら、バッグ犬のトッポを撮りました。
トッポは毛皮とバッグのぬくもりで、寒くはないのでしょうね。




ここからは、コーヒーを飲みながら富士山が見られます。

長尾峠は箱根町仙石原と静岡県御殿場市の県境にあって、標高911メートルの峠で、富士山と箱根の山々を前後左右に眺めることができる場所の一つだそうです。





トッポも富士山に興味を持ったのか? (コーヒーに?)
バッグから出ようとしています。





仙石原高原の湿原と鏡のような芦ノ湖のです。
遠くに箱根山が見えます。





これからは、ターンパイクが閉鎖になることも多くなりそうですので、天候を調べてこないと上まで上がれなくなりそうです。

いつか雪化粧した富士山に挑戦してみます。
では、これで長尾峠周辺の紹介を終わりにします。

寒いので、早々に帰路につきました。 

神奈川の景勝50選、 その18の3 『長尾峠』

2005年12月20日 | 神奈川の景勝50選

富士山の写真を撮りたいと、あっちこっちで撮影していたので、何処の峠なのか分からなくなりました。 すいません。

多分、三国峠か、富士見峠だと思うのですが。

ちょうどいい、大きな岩があったのでトッポを乗せてパチリです。





バカ親父、 『トッポ! ほら真ん中で、こっち向いて!』
トッポ、  『僕なんか、どうでもいいんでしょ、富士山撮るんだから!』

ということで、端っこから動きません。
ここでも、ちょっとズームアップで撮りましたが、これで精一杯ですね。





あっちこっちで富士山を見ながら、やっと長尾峠につきました。
寒いですね。 雪が溶けないで、残ってるわけですね。





長尾峠の茶店?で暖をとろうと、中に入りましたがワンコはダメだとのことで外でコーヒーを飲む羽目になりました。

夏なら、富士山見ながら外でもいいけど。 中はストーブが焚いてあって、あったかそうですが、我々はトホホでした。





寒くてコーヒーを味あう状態ではなかったですね。
見てください、下は氷がはっていました。


続く..................。

神奈川の景勝50選、 その18の2 『長尾峠』

2005年12月19日 | 神奈川の景勝50選

明治時代の末(明治四十三年)に書かれた『歴史地理臨時号・箱根』には、「乙女峠の南方には長尾峠があり、またその南には湖尻峠(うみじりとうげ)があると書かれているそうです。

長尾峠に向かう、途中の道路沿いからの富士山です。

風が強いのか、富士山がよく見えたり、雲に隠れたりでタイミングが非常に合わせずらいですね。




もう一枚、少し移動したところからの撮影です。
こちらの写真のほうが、雲の切れ間から太陽が出ましたので空が青くなりました。

富士山の周りは、霞がかかっているのでこれ以上の写真は無理のようです。





トッポ、 『また、僕を撮らないで富士山ばかり撮って、ブログに載せられないよ。』
バカ親父、『じゃあ、車から降りてきな!』
トッポ、 『寒いから、いやだ。 このまま撮って!』
バカ親父、『まったく! 我儘なやつだ! 誰に似た?』

てなことで、車とトッポと富士山です。





ズームアップして、富士山を撮りましたが、やはり鮮明な写真にはなりませんでした。
これは、腕の問題ではなく天候のの問題です。





実際の話し、富士山を完璧に撮れるのは1年のうち何日もないといわれていますが、本当にそう思います。

でも、完璧な写真だと絵葉書みたいで、ちょっと面白くないのも事実ですね。

続く...............。

神奈川の景勝50選、 その18の1 『長尾峠』

2005年12月18日 | 神奈川の景勝50選

景勝50選の紹介も、そろそろ3分の1ぐらいを巡ってきました。

どうしても、近くの三浦半島周辺が先になりましたが、残った場所はだんだん山の上になり、雪が積もると車であがれなくなるので、今回は箱根まで遠出して見ました。

今回は、 『長尾峠』 を紹介します。

長尾峠は箱根外輪山を越える峠で、江戸時代の箱根の裏街道であり、乙女道路が開通するまでは仙石原と御殿場を結ぶ最短路であったそうです。

トッポ、  『雪があるよ。 ここ滑りそうで、あぶないよ。』
バカ親父、 『まったく、石碑の周りぐらい綺麗にしておいてくれなきゃ!』

で、無理やり記念撮影です。





長尾峠に向かう途中で、いくつかの展望台があります。
何箇所か紹介しながら長尾峠に向かうことに。します

長尾峠に向かう道路は、先日降った雪がいたるところに残っています。
横浜に住んでいる私達には、初めて見る雪なので車を降りてパチリです。





トッポ、『そんな、遠くからだと僕が良く分からないよ。 また、怒られるよ!』
バカ親父、 『分かった、分かった。 もう一枚、これならいいか?』

てなことで、トッポのアップです。





杓子峠で富士山をバックにとってみました。

芦ノ湖スカイラインでは3ヶ所の展望スポットがあります。

ここは一番小さな展望スポットですが、沼津を見下ろす素晴らしい景色が望めました。





長尾峠からの富士山ですが、天気がよければ裾野まではっきり見えるそうです。
来年春には、もっと雪をかぶった富士山を撮影したいですね。


続く................。

神奈川の景勝50選、 その17の2 『荒崎』

2005年12月17日 | 神奈川の景勝50選

相模湾に面した荒崎は、自然が創造した美しい岩場が続く海岸です。

海に沿ってのびるハイキングコースは「潮騒の道」とも呼ばれていて、三浦半島の屈指の景観といわれる海岸美が堪能できます。




上の写真のトッポはちゃんと黒子さんが押さえていますから、ご心配なく。
絶対に、黒子の写真載せるなという厳命ですので、あしからず。

荒崎の説明板がありますので、ご参考にしてください。





海岸の岩礁の上での撮影です。 景色は素晴らしいのですが、三浦半島の西側は午後すべて逆光になりますので近影はうまく撮れません。

逆光での、撮影方法はもっと勉強します。(反省)





午後影になる海岸線をあきらめて、遊歩道をあがり先端に向かいました。

先端は釣りのポイントのようで、釣り客が何人か頑張っていました。





トッポは、足場が悪いのと歩くと多少痛いのか、少し怖がっているようです。





寒いのと、足が痛そうなので、これで荒崎を後にしました。

神奈川の景勝50選、 その17の1 『荒崎』

2005年12月16日 | 神奈川の景勝50選

横須賀市の広報によると、これから紹介する 『荒崎』 が三浦半島随一の奇景の岩礁を持つとされています。
 
三崎沖に横たわる城ケ島、浦賀水道に面した観音崎、合戦の舞台となった油壺。
三浦半島には荒々しい岩礁の海岸が多い。その中でも群を抜く奇景が荒崎です。





城山展望台とシーサイドコースへ向かう案内板があります。





城山展望台にあがる途中に、下のような素敵な景色を望めます。





三浦半島を形作った古代の隆起のあとが、幾重にもなって海面から這い上がっています。

気の遠くなるような年月をかけて波の浸食が作り出した洗濯板状の奇景は、まるで生き物のうごめきのようであると説明していました。




続く........。

神奈川の景勝50選、  その16の5 『外人墓地周辺』

2005年12月15日 | 神奈川の景勝50選
横浜港が開港当時外国人居住地だったこの場所が、1962年に公園として生まれ変わったのが港の見える丘公園です。 イギリスとフランスの軍隊が駐屯した場所としてよく知られています。

何度と来ていますが、ここで記念撮影はしたことがなかったので、トッポと一緒に撮りました。






展望台周辺の様子です。 昔は、夜のデートコースとして有名だったようですが、最近はどうなのでしょうね。




トッポのアップの写真です。
少しトッポも疲れたようです。 『腹減ったか? トッポ!』





その港の見える丘公園の北側部分は木々が茂って緑濃い様相を保っている。

この区域は「フランス山」と呼ばれ、港の見える丘公園の中の一区画であると同時に、独立した別の公園のような表情を見せる。「フランス山」は幕末から明治初期にかけてフランス軍が駐屯したところで、そこから「フランス山」の名があるそうです。

この写真は、以前ブルーになった写真で紹介した、大佛次郎(おさらぎじろう)記念館です。

「鞍馬天狗」などの小説で知られる作家で、横浜生まれであることから、港の見える丘公園の西側に建てられた。館内には約350点の資料を展示しており、注目したいのが愛猫家でもあった次郎の猫コレクションが見られます。





このイギリス館の建つ山手115番は、文久3年に横浜の居留地防衛のため軍隊が駐屯するなど横浜開港直後からイギリスにゆかりの深い土地です。

横浜市イギリス館は、昭和12年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として建築された建物で、広い敷地にゆったりと建てられ、条約開港都市横浜にふさわしい規模と風格を持っています。





まだまだたくさんご紹介したい場所があるのですが、長くなりますのでこの辺で外人墓地周辺のご紹介を終わりにします。




神奈川の景勝50選、 その16の4 『外人墓地周辺』

2005年12月14日 | 神奈川の景勝50選

横浜外国人墓地は、いくつかの出来事が重なることによって成立したようです。

その最初のきっかけは幕末の1854年、日本の開国を求めて来航したアメリカ艦隊のペリー提督の部下の埋葬にあり、ついで横浜開港直後の1859年7月、市中で殺害されたロシア使節の随員の埋葬がきっかけとなって敷地が確保されたとのことです。

1861年には外国人の墓域が定められて、1866年に国際親善の趣旨から敷地の無償貸与の方針が確定、明治新政府もそれを受け継いで、現在に至ったのです。
(以上、周知板より引用)

入り口右手の資料館の中で、写真を撮りました。





横浜の山手通りを散歩すると現在・明治・大正・昭和初期、そして日本・西洋と不思議な雰囲気が漂っています。

1854年に事故死したペリーのウイリアムズ水兵を埋葬したことからはじまり、有名な生麦事件のリチャードソン、鉄道事業の祖エドモンド・モレルなど工業分野から絵画・学校などの文化面にもわたって活躍した40を越える国の4000を越える人々が眠っているそうです。





決められたコースなら外人墓地内を探索することができます。
そして、下のような遊歩道ができています。





トッポも、お墓の前では失礼になると思いましたが、ちょっと記念撮影です。





続く..............。

神奈川の景勝50選、 その16の3 『外人墓地周辺』

2005年12月13日 | 神奈川の景勝50選

カトリック山手教会聖堂(Yamate Catholic Church)です。

1862年パリ外国宣教会が居留地80番に建てた横浜天主堂が、開港後の日本で初めてのキリスト教会堂です。

関東大震災によって完全に崩壊してしまい、現在の建物は昭和8年に再建されたものです。

尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なゴシック様式の教会建築ですが、内部には細かな装飾が施された列柱などを備え、この山手カトリック教会は、日本一美しい聖堂とも呼ばれているそうです。

トッポも小さいけど参加しています。




外人墓地の入り口より横浜市内を望めます。
この外人墓地は土日?は、一人200円の寄付を払うと墓地内に入れます。





外人墓地の中から山手十番館撮影しました。 この角度は、バカ親父の好きな十番館ですね。

明治時代の洋館を再現し、1967年に開店したそうです。

時計台からは時報の度に「赤い靴」のメロディーが流れる。1階が喫茶室、2階はフレンチレストランで自家製ケーキ食べ放題のランチが人気だそうです。




十番館の中には、トッポと一緒に入れそうもないので、お店の前の素敵なベンチで記念撮影です。

お店のお客が中から、不思議な顔してみてました。 たぶん、カメラを向けられたのと、トッポが見えなかったせいでしょうね。





トッポはこのベンチが気に入ったようです。 いい写真ですよね。

トッポ、 『ここだけで、何にも食べないの?』
バカ親父、『ワンコは入れないから、しょうがないだろ!』

で、近くでバザーを開いていたので、クッキーを買って食べさせました。

続く................。