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TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

神奈川の景勝50選, その16の2 『外人墓地周辺』

2005年12月12日 | 神奈川の景勝50選

山手聖教会の前に、小さい元町公園があります。
この小さな公園では、いつも誰かが洋館の絵を描いている姿が見受けられます。

トッポはリードもつけず待ての状態で記念撮影。 でも、小さすぎてわかりますか?





元町公園の前に、お洒落な 『えの木てい』 があります。

1927年に建築され,山手に残る数少ない西洋館のようです。
日本建築学会で取りまとめた“日本近代建築物総覧”にも貴重な建築物であると認定しています。

暖炉,木製の上げ下げ窓,200年以上昔のアンティーク家具があり、古き良き山手の雰囲気を今も漂わせています。

その一階のリビングルームが 『えの木てい』 です。

香り高いお茶と自家製ケーキが有名です。





元町公園に、ちょっと古風な、でもお洒落な公衆電話があります。
おかしかったのは、自動電話と書いてあったことです。

昔は、公衆電話のことを自動電話と言っていたのかな?





もう少し、道に沿って歩くと1870年、米国改革派教会から派遣された宣教師メアリー・E.・ギダーにより、日本最初の女子教育の学校として創立されたフェリス女学院があります。





毎日こんな素敵な景色をみながら通学できる学生は幸せですね。


続く............。

神奈川の景勝50選、 その16の1 『外人墓地周辺』

2005年12月11日 | 神奈川の景勝50選

久しぶりに地元、横浜に戻りました。

景勝50選のその1が 『山下公園のいちょう並木』 でしたが、今回は 『外人墓地周辺』 を少し詳しくご紹介いたします。

横浜の人は、よくご存知の人も多いでしょうが、バカ親父も詳しくは知らないことがたくさんありました。





まずは、景勝地50選の石碑です。
この石碑は、山手資料館の左手の道路沿いにあります。

フェンスで囲ってあるため、トッポが近くで撮影できないのが残念です。
前が階段になってたため、トッポが落ち着かずナイスショットになりませんでした。




人通りが少なくなったので、あわててトッポも入れて再度記念撮影です。

ここは山手資料館と呼ばれています。 明治42年に建造され、関東大震災にも耐え抜いた木造洋館だそうです。

館内には、ペリー来航当時の赤水筒とペリーの肖像画が描かれた皿や、明治29年に輸入された蓄音機、日本初のオルガン等が当時の生活様式を伺う家具などと一緒に陳列されています。





敷地には、日本で初点灯されたガス灯や日本最初の獅子頭水道共用栓が展示されています。

それほど大きな洋館ではありませんが、庭には芝生とバラの木が植えられ、とても雰囲気の良い景観になっています。

ぜひ、一度よく調べた上で訪問すると、そこに再発見があると思います。





2005年1月4日一人のアメリカ人の目的もない放火で全焼してしまいました。

現在は再建され、このように復元されました。

横浜山手聖教会は異国情緒あふれる横浜山手の西洋建築の一つで、根岸の競馬場でご紹介した米国人建築家J・H・モーガンが設計し、イギリス中世初期の建築様式をした教会として1931年に建てられました。

そのモーガンは1920年46歳のときに来日し、63歳のときに亡くなりました。
今は横浜山手聖公会前の外国人墓地に眠っています。

外人墓地に入る前に、ご案内したい場所がたくさんありますので順番にご紹介します。

続く............。

神奈川の景勝50選、  その15の4 『稲村ガ崎』

2005年12月10日 | 神奈川の景勝50選

サンセットを見ていただけましたか?
トッポも夕焼け色に染まっています。

そして、今度は江の島の方を見ています。





ほとんど肉眼では見ることのできなかった富士山が、夕日が水平線に近づくにつれて雲間にその勇姿を浮かび上がらせます。





夕日が沈む準備を始めると、一瞬空の色が青く変わり、夕日を浴びた富士山が淡いピンク色に染まっていくのです。





少し、アップで捉えると、よりハッキリ分かります。





ピンク色に染まった、富士山です。

曇のせいで、微妙に屈折した光が作り上げた色合いなのでしょうかね。

これもまた、素敵な富士山のような気がします。





そして、夕日が半分ぐらい水平線に沈むと、今度は残照に富士山が浮かび上がり、また違う富士山に変わるのです。





日没直前の、景色です。  
富士山が他の景色を押さえて、存在感を示しています。





そして、フィナーレです。

『もしかして!』 を期待して、トッポの感性と、地元の人の動きを信じて待った甲斐がありました。

寒かったのですが、トッポもじぃーっと見ていました。





暫くしたら、あの江の島にも渡ってみます。 ではこの辺で、稲村ガ崎の紹介を終わります。

神奈川の景勝50選、  その15の3 『稲村ガ崎』

2005年12月09日 | 神奈川の景勝50選
寒いので、トッポはバッグの中から顔を出して水平線をじーっとみています。
日没になりかけて、周りの景色がドンドン変わりつつあります。





雲がかかっているため、ハッキリとは太陽が見えませんが、日が傾くにつれ海の色が暗くなり太陽の帯が鮮明になってきます。





太陽が更に沈むと、だんだん大きくなり黄色やオレンジ色が映えてきます。





数十秒の間に、刻々と色の変わり具合が楽しめます。





2枚目では、ほとんど見えなかった遠くの山々が夕日を浴びて浮かび上がりました。


 


そして、日没の直前には、もう一度海が明るくなり輝き始めました。





あまり、説明は必要ないですね。
ほんの5分ぐらいの間の、日没までの変化を楽しんでいただけましたでしょうか?

次回には、『もしかして!』 の画像をお届けします。

続く...............。

神奈川の景勝50選、  その15の2 『稲村ガ崎』

2005年12月08日 | 神奈川の景勝50選

誰も帰ろうとしない雰囲気に押されて居残った我々は、とりあえず周りを見て回ることにしました。

1333年、 新田義貞 が鎌倉攻めの際、宝剣を海中に投げ入れて潮が引いたところを通って鎌倉に攻め入り、 北条氏を滅亡させたことで有名ですが、その「稲村ガ崎 新田義貞徒渉伝説地」の石碑が立っています。





トッポは、なぜかじぃーっと海を見ています!

海岸に下りて、波打ち際の満ち引きがとても綺麗でしたので、ちょっと1枚撮ってみました。





新田義貞が潮の引いたのを見て、6万騎を率いて稲村ガ崎の岸壁沿いに鎌倉へ突入したとあります。

そして、6万騎が通過した海沿いがここです。

その結果、源頼朝以来150年続いた鎌倉幕府は滅亡したそうです。
この写真はとてもよく撮れていたのですが、縮小したので、迫力がいまいち伝わりませんね。 残念です。





4時を回り始めてから、太陽と海に変化がおきてきました。
海が、太陽の光の帯をつくりはじめ、沈みかけていきます。





トッポの感性と、カメラのセットを始める人の動きを見て、『もしかして!』と思い、もう少し寒さに耐えて待つことにします。

続く............(寒さこらえて、待ってます。

神奈川の景勝50選、  その15の1 『稲村ガ崎』

2005年12月07日 | 神奈川の景勝50選
今日は 『もしかして!』 を期待して由比ガ浜と七里ガ浜を分けて突き出した岬、 『稲村ガ崎』 にやってきました。
近くの駐車場に車を停めて、海に突き出した小山のような岬の横にある小さな公園に入りました。 

景勝50選の石碑はすぐに見つかり、まずは一安心とトッポと記念撮影しましたが、
午後3時過ぎなので、寒さが厳しくなってきています。



小さな公園の奥に下の写真の銅像が立てられています。
資料によると、1910(明治43)年1月23日、小学生1人を含む逗子開成中学の生徒が乗るボートが沈み、12名全員の命が失われたそうです。
抱き合ったまま発見された兄弟の姿をモチーフにブロンズ像が建てられたようです。

法要の時、鎌倉女学校の生徒が合唱した「七里が浜哀歌」は、全国にヒットしたとあります。 聞いたことありますね。

七里が浜哀歌

真白き富士の嶺 緑の江の島
仰ぎみるも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心



トッポもブロンズ像の台に乗り、つぃでにもう一枚パチリ。
狭い公園で、あまり見るものがなく期待を裏切られた感じでしたが、少し山側に登り、江の島にかけての眺望を撮ってみました。



でも、1年に何回か気象条件に恵まれると、江の島と右側の海岸線の間に富士山が見られるとの話を信じて来たのですが、生憎の曇り空では叶わぬ夢ですかね。



よくこの写真を見ると、ほんの少し、かすかに富士山が見えるのです。
(よほど目の良い人でないと、判別は不能でしょう。)
でも、何人かいる地元の?人たちは寒さにかかわらず帰ろうとしません。

で、 『もしかして!』 の気持ちで居残ることにしました。

続く..........(寒い!)、トッポはバッグの中 (イイナー!)。

神奈川の景勝50選、 その14の3 『東高根森林公園』

2005年12月06日 | 神奈川の景勝50選

トッポの写真をつい忘れてしまうので、アップで撮りました。

トッポ、『どうして、時々つながれて一人にされるの?』
バカ親父、『トッポがガイド役だから、頑張りなさい!』





しかし、この後、広場に出たので住居跡の名残でもあるのかと行って見たのですが、何もありませんでした。

ただ自然林は、都会の中にこのようにうっそうとした場所があるのかと思うほどで一度見ても損はないでしょう。





帰りがけに、入り口近くの湧き水でできた小川を撮影してみました。
多分、秋も深まって来たので春とは景色が違うのでしょうね。





最後は、もう歩くのはイヤだとバックに潜り込んだトッポを撮って帰りました。





最近、トッポは味をしめたのか 『ヤドカリ犬』 のようです。



神奈川の景勝50選、 その14の2 『東高根森林公園』

2005年12月05日 | 神奈川の景勝50選

常緑広葉樹のシラカシ林は、実は縄文時代からそのままのかたちで生育しているという貴重な自然林だということです。





見晴台で少し休憩して、その後、古代植物園に続いています。





古代植物園には、縄文時代から平安時代の衣・食・住にかかわってきた主な植物84種が見られと書いてありましたが、バカ親父には全部雑草のようにみえましたが?


すいません、無知な親父で! バカ親父は、古代植物に興味を持たず自然群生している椿のほうに興味を持ってしまいました。





案内板に依ると、東高根森林公園は弥生時代の住居跡が発見された場所を保存するために作られた公園だそうです。

現在、住居跡が発見された場所は芝生の広場になっています。

それで古代芝生広場と言うようです。 広場に下りる遊歩道でトッポと記念撮影しましたが、昼間なのにうっそうとしていて良く分かりません。





続く............。

神奈川の景勝50選、 その14の1 『東高根森林公園』

2005年12月04日 | 神奈川の景勝50選

今回は神奈川の景勝50選の中では、もっとも東京都心に近いところにある 『東高根森林公園』 を訪ねてみました。

順路に沿って歩くと、暫くして景勝50選の石碑に遭遇しました。
早速、トッポといつものように記念撮影です。

トッポの定番の位置が植え込みになっているため、バッグ犬状態で撮りました





入り口より少し歩くと、小さな自然池があります。
「自然泉池とあずまや」と呼ばれる前で立ち止まりました。

ファインダーを覗いたときは、それほど気にも留めなかったのですが、画像としてはとてもまとまったいい写真だと思っています。

自然の噴水?が、微妙に雰囲気を盛り上げています。





「自然泉池とあずまや」を右に進むと、「湿生植物園」です。

ここは弥生時代の水田跡と自然の湧き水を利用した湿田で、現在ではあまり見かけない多摩丘陵の湿生植物が観賞できるそうです。

途中で、トッポを撮りましたが、少し動いたのに気づかず顔がボケてしまいました。






東高根森林公園の中の遺跡は弥生時代の集落跡で、古代芝生広場に埋蔵保存されている。

その周囲のシラカシ林は神奈川県指定天然記念物で湿生植物園は弥生時代の水田跡だそうです。





この公園の近くまでは、何回か来たことがありますが公園の中に入ったのは初めてでした。 どんなところなのか、順番に紹介します。

続く............。

神奈川の景勝50選、  その13の3 『真鶴岬と三ツ石』

2005年12月03日 | 神奈川の景勝50選

トッポもしばらく景色を堪能したようです。
周りには、日没の景色を狙い三脚にカメラをセットしたカメラマン?が何人か居残っています。





神奈川県の西、伊豆の付け根に近い真鶴半島の岬ですので、右には伊豆半島が望めます。

都市化が進んだ都市の片隅で、こんな原始の風景がまだ残されているのは驚きです。





近くを今日の漁を終えた、老人が1人操る一艘の漁船が通り過ぎました。





昔、映画で見た『老人と海』 を思い出しました。

ヘミングウェイの作品で知っているのは 「武器よさらば」「誰が為に鐘は鳴る」等ですが、 ノーベル文学賞 受賞作品, 「老人と海」が一番印象に残っています。





帰りの階段は、トッポを抱えながら、やっとの思いで駐車場までもどりました。
途中で素敵な夕暮れの景色を撮り、帰路につきました。

この写真は、ちょっと気に入っているのですが、いかがですか?
なんとなく、夕暮れの空と、海と、木立とバランスが取れているような気がしていますが、素人の勘違いかな?

バカ親父の錯覚でしょうか?、雲をよく見るとトッポが空から覗いているように見えるのですが..............疲れているのかな?

この辺で、『真鶴岬と三ツ石』 の紹介を終了します。



神奈川の景勝50選、  その13の2 『真鶴岬と三ツ石』

2005年12月02日 | 神奈川の景勝50選

なんとか海岸まで到着しました。 下りは少しは楽ですが、帰りはちょっと大変のようです。

海岸で、三ツ石をバックに記念撮影です。 波が気になるのか、なかなかまっすぐ前を向いてくれませんでした。





神奈川県内では相模湾に面する海岸は陸地側が東になるところが多く、ここは数少ない海から上がる日の出の名所です。





岬の突端から500mの海上には巨岩が突き出た三ツ石があり、小石が連なる約200mの洲が干潮時には岬と陸続きとなります。


だが、この景勝地にも戦争の傷跡が残っているそうです。

昭和19年11月、旧陸軍は秘密兵器「無線誘導弾」の攻撃訓練を始め、この演習の標的になったのが、敵の艦船に見立てられた三ツ石だったそうです。

標準がそれた誘導弾が海岸線の宿に着弾し大きな被害もでたようでした。
三ツ石の海側には今もそのころの痕跡があるそうですが、見たいとは思いませんね。





海岸でのトッポのアップ写真です。 
今日は波が少し高いので、周りの岩に砕け散る波の音に少し驚いています。

そういえば、昔会社の同僚とここに遊びに来て、三ツ石の周りでサザエや、シッタカなどを一生懸命採っていたことがあります。

当時は、素潜りで採れるならどうぞ! っていう感じでしたが、今は禁止のようです。





しばらく、素晴らしい景色にみとれていましたが、ふと岩に当たって砕ける波を撮ってみようとトライしてみました。

ここは、修理待ちの一眼レフでないとシャッタースピードがついていけず、この程度の写真がベストでした。 (今は戻ってきまして、再度勉強中です。)


続く..........。

神奈川の景勝50選、 その13の1 『真鶴岬と三ツ石』

2005年12月01日 | 神奈川の景勝50選

今回は、神奈川県の西端にある真鶴半島に来ました。
この半島の先端にある、神奈川景勝50選の 『真鶴岬と三ツ石』 を紹介します。

神奈川の景勝50選の石碑の石はすべてここ、真鶴半島より届けられたそうです。
そのせいか、ここの石碑は少し大きく立派でした。





早速、黒子の協力?を得ましてトッポの記念撮影です。
黒子、 『安全には十二分の配慮をしていますので、ご心配いりません。!』





この石碑を少し下ったところに、上から見た絶景の眺望が広がります。
鶴が羽を広げた形に似ていることから名付けられたそうです。

半島中央部は原生林の生い茂る丘陵地帯だが海辺は大きな岩が多く、岬の先端は美しい日の出や日没を狙って、写真愛好家が多く集まるそうです。





上から見た三ツ石の景色をアップで撮ってみました。

これより写真の左側に見える階段ずたいに海岸へ降りることができます。
少し年配者にはきつい階段のようです。

バカ親父が、ここに来たのは10年以上も前でした。
その当時は、駐車場もそれほど完備されていなく、整備された階段や遊歩道もありませんでした。

今は、昔に比べると格段にアクセスも周囲の環境も良くなりましたので是非一度訪問してみてください。





海岸の様子は、次回に紹介します。
(あまりたくさん写真を添付すると重くなりますので。)

続く..............。

神奈川の景勝50選、 その12の2 『披露山公園』

2005年11月30日 | 神奈川の景勝50選

披露山公園の境内の中に、昭和25年の大雪の時の公園からみた写真が紹介されていました。

接写して、再現してみましたので雰囲気だけでも味わってください。





そして同じ場所から、本日の景色です。
ここには、富士山を写真に収めるために多くのカメラマンが訪れるそうです。

披露山公園は夕暮れが夜景ベストタイムで、空気の透き通った晴れた日であれば、富士山をバックに、江ノ島の灯台、そして湘南の海に輝く夕日と夜景の変化を楽しめるそうです。





逗子湾には、今日のクルージングを終えたヨットが戻ってきています。





視線を右下に向けると、日本のビバリーヒルズと呼ばれる「披露山庭園住宅地」を
上から見ることができます。

たしか、みのもんたさんの豪邸もこのあたりだと思います。
来る途中、訪問客を装い高級住宅地を一周してきましたが別世界のようでした。

交通の便はどうなのかな? と考えましたが、多分このあたりに住める人は、皆送り迎えつきの人達なのだと妙にに納得しています。 





そんなことを考えているうちに、空が暗くなり帰路につきました。
後編はトッポの出番なしでした。




神奈川の景勝50選、 その12の1 『披露山公園』

2005年11月29日 | 神奈川の景勝50選

『披露山公園』 を紹介します。

この公園は逗子の披露山の頂上にあり、逗子市全景、江の島、相模湾の海岸線、富士山などを一望できる景勝です。

公園に上るとすぐ景勝50選の石碑がみつかりました。
恒例により、トッポの記念撮影です。





駐車場の前の階段を降りると 石原慎太郎さんのお屋敷の横を通り逗子海岸へ出られるそうです。





披露山の名称の由来は、『改訂逗子町誌』によると、「鎌倉時代将軍に献上物を披露する所なりと、或は披露の役人の住宅地なりと、又鷺浦(現在の小坪)より献上の小壷を披露せし所なり」と記されていました。

おそらく、源頼朝あたりが、諸国から献上された品々をこの山で武将たちに披露したことがきっかけとなって、この名前がついたのでしょう。





ここから見られる眺望を逗子八景といわれているそうです。
そして、その石碑が立っていました。





次回に逗子八景の一部を紹介します。

続く.........。

 

神奈川の景勝50選、 その11 『長者ヶ崎』

2005年11月28日 | 神奈川の景勝50選
『長者ヶ崎』 を紹介します。

長者ヶ崎は、葉山町と横須賀市との境に突き出た細長い岬で、崖下一帯は荒磯と砂浜が広がる。江の島や伊豆大島などを一望でき、夕日の美しさでも定評があります。

夏は海水浴場になる海岸線を景勝50選の石碑を探して歩くこと1時間、あきらめて帰ろうとしたところ駐車場の奥の塔の下で、やっとみつかりました。

トッポと、やっと記念撮影ができました。
(結構、場所によっては何処にあるか分からないのです。)





長者ヶ崎、その昔、北条早雲と三浦道寸との古戦場の跡だそうです。
海岸に下りると砂浜が広がり、海風を浴びて散策するのもよいそうですが、岬の方へは現在危険防止のため近寄れないとのことです。

しかたないので、トッポの記念撮影は海水浴場側から撮りました。
午後は、どうしても逆光になるので顔がハッキリしませんね。





逆光で海岸線での撮影は難しいので、駐車場から海を覗きこみました。
この辺は、SEA KAYAK(シーカヤック)が有名で、偶然下にカヤックを操っている人を小さく捉えました。





ズームアップして、何とか形になりました。
波のない海上をカヤックで、みずすましのように進む姿は絵になりました。