goo blog サービス終了のお知らせ 

TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

神奈川の景勝50選、 その24の1 『丹沢湖』

2006年01月29日 | 神奈川の景勝50選
バカ親父もついにネタ切れというか、ちょっと休憩で2日間更新無しです。
久々の晴天の土曜の休日、ママはインフルエンザでダウンのため、臨時の黒子さん2人に同伴してもらい、景勝地周りを強行?しました。

まずは、『丹沢湖(三保ダム)』 を訪問しました。



ここは丹沢大山国定公園になっています。
早朝7時出発でしたので、9時前に現地到着。



早朝で、晴天ということもあり途中で富士山がくっきりと見えたので、到着するまで澄んだ空気が持ってくれと祈っていました。

まずは、千代の沢展望台にエッチラオッチラ登り、眺望写真です。



富士山が見えるということで若干興奮気味でしたが、とりあえずトッポをバッグのまま記念写真です。



まずは、全体の雰囲気をご紹介したいので、富士山を右においての景色です。



次に、富士山を左においた景色です。
久しぶりに綺麗な富士山と、素敵の景色を連続してご紹介できると思います。

続く......................。

神奈川の景勝50選、 その23の7 『三渓園』

2006年01月25日 | 神奈川の景勝50選
雪のおかげで、三渓園の最終版がとんでしまいました。

三渓園の隣の上海横浜友好園(本牧公園)はそれほど大きな公園ではありませんが、三渓園に入園すると裏口より出たところが、公園になります。

でも、車で行くと駐車場が別ですし、犬は三渓園に入れないのでちょっと不便ですね。



トッポが走った本牧公園の芝生のテニスコートよりに、機関車がおいてありました。



D51で知られる機関車のようです。
蒸気機関車などの愛好家が、よく地方の線路沿いに三脚を構えて、その勇姿を撮影している光景をテレビなどで見かけました。



公園の隅に、休憩所があり最後の記念撮影です。

トッポ、 『もうちょっと、あっちで遊びたいよ!』
バカ親父、『もう何回も走ったから、今日はおわりだよ。 また、公園へつれていってあげるから。』



バカ親父、『もう帰るんだから、ちゃんと背筋を伸ばして!』
トッポ、 『OK! これでいい?』



トッポは最後まで、芝生の方が気になるようでした。
これで、三渓園、本牧公園の紹介を終わります。

神奈川の景勝50選、 その23の6 『三渓園、激走トッポ!』

2006年01月21日 | 神奈川の景勝50選
三渓園の紹介に時間がかかりまして、申し訳ありません。
やっと、トッポ登場です。

手術後3ヶ月は体力が低下しているとの院長先生のお話もありましたので、無理に走らせることをしませんでした。

今日解禁です。 それなりに、スポーツ写真の撮り方を学習しましたが、きちんとこのカメラで撮れるのか半信半疑でしたが、ご覧下さい。

『行くぞ! トッポ! ヨーィ、ドーン!』 



『行けぇー! 走れートッポ!』 



『そうだ! もっと早く、こっちだ!』 



『よし! そこから全速力だぞ! そうだ!』 


『いい感じだ、もっと飛べ!』 



『よーし! そうだ! 飛んでるぞ、よっしゃぁ!』 



『ゴール! (耳で)バンサーイ!』 

トッポが何ヶ月ぶりに見せてくれえ、激走でした。
走れるようになったんだ! これで、完全復活です。

写真も、腕がいいのかカメラがいいのかは分かりませんが、何とか表情も捕まえることができました。

バカ親父、大満足の瞬間でした。

皆さん、こんなに元気になりました。 
応援ありがとうございました。 

続く.................。

神奈川の景勝50選、 その23の5 『三渓園』

2006年01月20日 | 神奈川の景勝50選
三渓園の南端と隣接している上海横浜友好園へ移動してきました。
ここが正門になります。



この公園は横浜市と友好都市となって15年を記念して1989年に上海市から寄贈された資材を中国から運び、中国の建築職人達によって3ヶ月がかりで造られたものです。



中国江南様式の庭園で池に浮かぶ湖芯亭が特徴である。
池上に設置された湖心亭は、六角形で二層の屋根をもち女性的な曲線をえがき、三渓園の「三重の塔」との調和を配慮している美しい建築です。



池には、たくさんの鴨がいて、餌をあげると水しぶきをあげて大騒ぎです。



曲橋を渡ったところから、玉蘭庁を撮りました。
玉蘭庁には山水画を配した椅子や家具などが展示されています。



こちらが裏門になるようです。
トッポは外の公園の芝生のほうがいいらしく、リードをつけたまま移動です。



最後に、大きな石の上にトッポをのせて記念撮影です。
奥の切り立った崖の下が昔は三渓園の海岸で、小さいとき泳ぎに来たところです。



綺麗な景色がたくさんありましたので、紹介が長くなりました。
 
明日はトッポも手術して3ヶ月以上たちましたので、待望の《トッポ全力疾走》の写真を掲載しますので、期待してください。

続く...............。

神奈川の景勝50選、 その23の4 『三渓園』

2006年01月19日 | 神奈川の景勝50選
このような立派な庭園を築き上げた原三渓という人物の紹介です。

原三渓は生糸貿易で財をなし、この私邸に京都、鎌倉のどの歴史的価値のある建築物を移築し、1906年に三渓園としてその外苑を一般に公開したそうです。

そうです、横浜は生糸貿易の中心的な貿易港でもあったのでした。



遊歩道を進むと、途中にいくつかの茶室と思われる建物が散見できます。



トッポ、『パパ、まだ帰ってこないね! バッグ引きずって迎えに行こうかな。』
黒子、『後でいっぱい遊んでもらいな! 走らせてくれるってよ。』
トッポ、 『エッ! もう走っていいの!』

バカ親父は、トッポを心配しながらもう少し案内を続けます。



茶室と思われる傍に、素敵な竹林がありました。
木漏れ日をのぞきながら茶会が開かれたのでしょう。




大池の周囲には、綺麗に手入れのされた松がたくさん配されています。
冬の景観を損なわないようにとの配慮なのでしょう。



内苑を散策した後、大池をぐるりと回ると公園の入り口に戻ります。
まだ、紹介しきれないほど、多くの建築物があるのですがトッポも限界でしょうから、隣の公園へ移動します。

続く.................。

神奈川の景勝50選、 その23の3 『三渓園』

2006年01月18日 | 神奈川の景勝50選
ここからは内苑と呼ばれ、原家の私庭であったところです。
外苑にたいして内苑は、古建築で構成され、この臨春閣の景観は瀟洒な庭の造りで京都の桂離宮と対比されます。



で、トッポはまだ待機でした。

トッポ、 『もう隣の公園へ行こうよ!』
バカ親父、『せっかく500円払って入園したんだから、もう少しだけ見させてくれ。』



園の創設者 原三渓は芸術家の支援や関東大震災後の横浜の復興に功績のある人と紹介されています。

それにしても、この臨春閣は見事な景観を備えています。 
四季折々の景観を想定した造園も見事でした。



遊歩道の、どの位置から見ても美しい配置が望めるようになっています。



内苑をぐるっと周ると、もう一度大池に戻ります。
歓心橋より、酒花亭越しに対岸を臨んだ景観です。



横浜にも、このような素晴らしい景観を残してあるということと、これが原三渓という人物の私邸であったということに興味がありますね。

続く..................。

神奈川の景勝50選、 その23の2 『三渓園』

2006年01月17日 | 神奈川の景勝50選
藤棚を通り過ぎると、右側に睡蓮池が配され奥に、原三渓家の旧宅であった鶴翔閣があります。
江戸時代に岐阜県白河号にあった庄屋の家を移築したそうで、合掌造りで内部も公開していました。



でもって、つながれたままのトッポは、半分ふてくされています。



トッポ、 『こんなに神奈川の景勝地を紹介しているんだから、ちゃんと県知事に犬も入れるように言ってくれる?』
バカ親父、『わかった。 ちゃんと言ってあげるから、もうちょっと待っていなさい。』

トッポ、 『でも、パパは県知事を知ってるの?』
バカ親父、『パパはよく知っているよ。 向こうは知らないけど ! 』



鶴翔閣の先に、原三渓が隠居所として立てた白雲邸があります。
数奇屋風建築で、原三渓と交流のあった横山大観ら文化人が出入りした場所らしいです。



この白雲邸から大池を望んだ景色です。
歓心橋を左に配し、酒花亭が大池にせり出しています。
ここでも、茶会などが開かれたのでしょう。
奥に屋根が見える建物は旧燈明寺本堂です。



白雲邸の先に臨春閣があります。 
臨春閣は数奇屋風書院造りの別荘建築です。
また、屋内には狩野派の襖絵や数奇屋風の意匠が残っているそうです。

小さいとき遊びに来たことあるのですが、大変貴重な庭園なんですね。
勉強になります。

続く..................。

神奈川の景勝50選、 その23の1 『三渓園』

2006年01月16日 | 神奈川の景勝50選
久しぶりに天気の良い日曜日に、横浜の近くの景勝地として残しておいた? 『三渓園』 を訪問しました。

しかし、問題が一つありました。 なんとワンコは入園禁止とのことで、有名な景勝地ですが、トッポの出番がなくなるので、隣接する上海横浜友好園と混在になりますが一緒にご紹介します。



まずは、景勝50選の石碑の紹介です。 
トッポがいないのが残念です。



隣の公園の写真を、時々挿入させてもらいます。

トッポ、 『ネコはいっぱいいるのに、どうして犬は入れてくれないの!』
バカ親父、『今度、神奈川県知事に文句いうから、我慢しなさい。』



1906年に三渓園の外苑が公開されました。 京都のの燈明寺から移された三重塔がランドマークとして配され、四季折々の花が楽しめます。

まず、正門を入ると大きな池と三重塔を中心とした素晴らしい景観が目に入ります。



蓮池を右に見ながら、藤棚を過ぎると見事な松林に沿って遊歩道が続きます。



途中で、大池に三重塔を写した景観に、思わず足を留めました。

ここは、いろいろ見るべきものがありそうですね。

続く........................。

神奈川の景勝50選、 その22の2 『大観山の展望』

2006年01月15日 | 神奈川の景勝50選
天閣台という、芦ノ湖、富士山を望む絶好のスポットなのですが......



天気ばかりは、どうしようもないですね。 まずトッポを先に記念撮影です。
神奈川50選の石碑は、何処を探してもなくガッカリして帰宅しましたが、後で調べたら富士見峠にあるそうです。

次回に撮影します。 まあ、トッポのご機嫌な写真が撮れたので良しとします。
この写真が、年賀状に使用されたものです。



少し靄がかかっていますが、芦ノ湖を撮ってみました。
本当は、この位置から芦ノ湖の上に富士山がドーンと見えるはずなのですが。



しょうがないので、芦ノ湖をアップで撮り、富士山は次回のお楽しみにします。



結構望遠でとっても綺麗な写真になりました。 
後は、天気の良い日にもう一度挑戦してみます。


神奈川の景勝50選、 その22の1 『大観山の展望』

2006年01月14日 | 神奈川の景勝50選
休養明けの週末も、生憎の天気で出かけることもできず、自宅で体力回復につとめています。

だいぶネタ切れ気味ですが、昨年の写真をもとに 『大観山の展望』 を紹介します。



大観山は『だいかんやま』とも『たいかんざん』とも呼ばれ、足柄下郡箱根町と湯河原町の境にある標高1,011mの山で、箱根古期外輪山のひとつです。

ここからの眺めは実に素晴らしく、芦ノ湖がすぐ目の下にあり、その海岸線?を取り囲むようにして箱根の山並が続いています。



さらに、天気がよいと芦ノ湖の向うには富士山が望められ、相模湾やそこに突き出した真鶴岬、初島、伊豆大島までが遠望ができるそうです。

ちょっと天気がいまいちで、芦ノ湖までですね。
トッポをベンチに乗せて記念撮影をしました。



トッポが小さいと、お叱りを受けますのでアップにしてみました。



富士山や相模湾を大観できることからこの 『大観山』 になったという説と、この大観山は、駒ヶ岳山頂、乙女峠、長尾峠とともに、富士山の良い眺望地点なので、富士山を好んで描いた日本画家の大家横山大観にちなんだという説もあるそうです。



芦ノ湖をアップで撮ってみましたが、富士山は残念ながら雲の中でした。

続く...............。

神奈川の景勝50選、 その21の4 『塚山公園』

2006年01月10日 | 神奈川の景勝50選
県立塚山公園は、標高133mの小高い山の上に広がります。
「見晴台」からは遠くは房総半島や横浜、眼下には横須賀港などが見渡せます。
誰もいない見晴らし台のベンチで、眼下の景色を眺めているのも、なかなかいいものです。



展望台から横須賀港を望んだ景観です。



トッポも一緒に景色を眺めています。
ワンちゃんの目にはどのような景色に見えるのでしょうね。



左手方向には、遠く横浜のベイブリッジがかすかに見えます。
ここからも、きっと素敵な日の出が望めると思います。



では、これで塚山公園の紹介を終わります。

神奈川の景勝50選、 その21の3 『塚山公園』

2006年01月09日 | 神奈川の景勝50選
忘れてました。 景勝50選の石碑の前の記念撮影です。



この周辺は、立派な木立に囲まれていてベンチに座っているだけでのんびりした気分になります。



トッポも陽だまりだと、暖かいので気持ちよさそうです。



桜の季節はまだ先の話ですが、紅葉の残りの木々もそれなりに綺麗なものでした。



やはり桜の季節が一番なのでしょうが、人だかりで景観が損なわれるより冬の誰もいない公園も、結構楽しめます。

続く..................。

神奈川の景勝50選、  その21の2 『塚山公園』

2006年01月08日 | 神奈川の景勝50選
塚山公園には、三浦安針の塚と墓があリます。

1600年、イギリス人ウィリアム・アダムズの乗った帆船リーフデ号が九州に漂着した。
ウィリアム・アダムスは、オランダ東印度会社が東洋に派遣した艦隊の水先案内となって太平洋を横断中に台風に遭ったのでした。
トッポと一緒に、ウィリアム・アダムスのお墓を探しに行って来ます。



徳川家康は、西洋の品々や、ウィリアム・アダムスの話に興味を持ち、大砲などの武器を家康へ引渡す事と、西洋についての物事を教えることなどと引き換えに、彼らの滞在を許したとされています。

広場の中央に、こぎれいな建物があり、その奥にウィリアム・アダムス夫妻のお墓があるようです。



その1600年、家康は関が原の戦いで勝利をおさめました。

当時、家康のアダムスに対する信任は厚く、征夷大将軍となった後の1603年には、アダムスを日本橋に住まわせ、幕府の外交顧問とし、航海術、天文学、造船術、幾何学、数学などの教授を任せたと書かれていました。

これが、アダムス夫婦のお墓です。
失礼して、トッポと記念撮影です。



アダムスは家康の命を受けて、伊豆の伊東で西洋帆船を造りました。
長崎の平戸に商館を開き、オランダやイギリスと交流がはじまりました。
家康はアダムスに、三浦郡逸見村250石の領地を与え、彼に三浦按針と名付けたそうです。

按針とは水先案内人のことです。



江戸幕府黎明期に有能な外交顧問として働いたアダムスは日本に初めてやってきたイギリス人であリました。

オランダやイギリスと幕府をとりもち国際交流のなかで日本の発展を望んでいたのでしょう。 しかし彼の死後、幕府は鎖国の道を選んだのでした。

実際に、昔教科書で勉強したような記憶がありますが、身近に按針塚(すいません、写真撮り忘れた。)やお墓を目の当たりにすると、なるほど、そうなのかという気になります。


続く........................。

神奈川の景勝50選、 その21の1 『塚山公園』

2006年01月07日 | 神奈川の景勝50選

今回は、昔から桜や梅の名所として親しまれてきた 『塚山公園』 をご紹介します。




塚山公園は、大正11年に神奈川県が、昭和29年に県立公園として開園したとのことです。
塚山公園では、四季折々の自然が楽しめますが、やはりなんと言っても桜の季節が最も賑わうそうです。




今の時期は、訪れる人も少なく閑散としていますが、のんびり公園を散策するには人であふれている春とは違った景観を楽しめます。

また、塚山公園からは、横須賀港を始め東京湾の景観が素晴らしく、「かながわ景勝50選」に選定されています。





高台の上から、長浦湾を望んだ景色は素晴らしいです。





公園の奥に国指定史跡の按針塚もあります。
次回は三浦安針と呼ばれたウィリアム・アダムスのお話をご紹介します。

神奈川の景勝50選、 その20の3 『恩賜箱根公園』

2006年01月06日 | 神奈川の景勝50選
もう一枚、湖畔展望館の前の、松を入れて景色を撮ってみました。





ここは、日当たりがよかったのでトッポもバッグより飛び出して、湖畔展望館の石碑の前で記念撮影です。





明治天皇の離宮跡地を利用した公園が恩賜箱根公園です。
明治初期の建築様式を取り入れてあり展望館1階には当時の離宮建設計画の資料や模型が展示されています。





天皇・主君からものを賜ること、また賜った物を「恩賜」(おんし)と言います。
昔で言えば、「恩賜の短剣」とか「恩賜の時計」、現在でも「恩賜の煙草」
などがありますが、あまり身近ではありません。

しかし、我々の周囲を良く見てみると、あちこちに恩賜のものがあります。

上野恩賜公園、井の頭恩賜公園、旧芝離宮恩賜庭園、浜離宮恩賜庭園、猿江恩賜公園、恩賜箱根公園なども恩賜されたものだそうです。

これらの公園・庭園は、全て皇室財産が下賜された事になります。

おかげで、現在では市民の憩いの場として定着していますが、何故か「恩賜」を省略して呼ばれることが多いです。

皇室からの「恩賜」であることを思い出して感謝しなくてはいけませんね。





公園散策の後は、素晴らしい遊歩道を下り帰路に着きました。

もう一度バッグに入ったトッポを、再度パチリでした。





今まで景勝地めぐりをしてきた中では、もう一度写真を撮りに来たいと思った場所ですね。

恩賜箱根公園の近くに箱根関所跡や箱根神社、旧東海道杉並木などの名所もたくさんありますので、いつかもっと詳しくご紹介したいと思います。