tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

大歓迎!渋沢栄一、1万円札の顔に

2019年04月09日 23時49分58秒 | 社会
大歓迎!渋沢栄一、1万円札の顔に
 実際に発行され、市中に流通すのは5年後というので、私共のような高齢者には、お札になった渋沢翁のお顔が見られない可能性の方が多いのかもしれませんが、第一銀行をはじめ、日本で最も沢山会社を作った方、企業という形で日本の資本主義の幕を開けた方、といえそうな方が1万円札の顔になるのは大歓迎です。

 このブログでも、渋沢栄一については何度となく取り上げてきています。
 取り上げるときは、大体、アダム・スミスと一緒です。

 理由は、渋沢栄一は「論語と算盤」と書き、アダム・スミスは「国富論」で「レッセ・フェール」を言いながらもう一方では「道徳情操論」を書いているからです。

 資本主義は、国を豊かにするために生産を増やさなければいけません。そのためには利益が必要です、という事で 企業の目的というと、往々にして利益を上げる事と説明されてしまうのですが、渋沢栄一も、アダム・スミスも、「金勘定だけではなくて、きちん倫理感を持たなければだめですよ」と言っているのです。

 そういうお方が1万円札の顔になれば、日本企業は、ますます倫理感をもったものになっていくのではないかと思っています。

 いささか余計なことを付け加えますと、以前の資本主義は、モノを生産し流通させ、サービスをして、そうした活動の中から利益を上げる存在でした。
 ですから、たとえお金目当てであっても、モノがたくさん出回って、世の中は豊かになったのです。

 しかし今の資本主義はそう簡単ではありません。お金でお金を稼ぐ「マネー資本主義」が幅を利かせています。
 マネー資本主義でお金を儲けるという事は、モノを作ったりする必要はなくて、多様な合法的(多くは投機的)手段によって、世の中にあるお金を自分のところに集める、という事が中心ですから、それだけでは世の中で不平等を促進するだけで、全体平均では豊かにはなりません。

 そんな時代になっているので、「論語と算盤」の感覚が、ますます必要になってきているという事でしょう。
 渋沢1万円札、できれば、早うお出ましを・・・!

「ネチケット」、「ネット・マナー」をネット文化の中枢に

2019年04月08日 23時33分20秒 | 文化社会
「ネチケット」、「ネット・マナー」をネット文化の中枢に
 このところ、あまりにひどい、世間に大変な迷惑をかけるような動画が投稿されることが多いようで、今日もニュースに取り上げられています。

 折角、何事によらず、整然とした行動をする日本人というイメージが世界でも認められ始めたこの時期に、一部の日本人が、たまたま「目立ったことをしたい」程度の動機で、あまりに馬鹿げた動画の投稿とか噂を流すといった公序良俗を無視したことをするのは、本当に嘆かわしいことです。

 もちろん動画の投稿だけではありません。ネット上に読んでいて、気分の悪くなるような誹謗、中傷などの言葉もよく見かけます。

 かつて、ネットが使われ始めた頃、「ネチケット」という言葉が作られ、一部に使われ始めたことがありました。「ネット・エチケット」の略です。
 今は「ネット・マナー」という言葉もあるようです。しかし、最近のマスコミ上ではこうした言葉はあまり見聞きされません。

 なぜでしょうか、あまりうるさく言うと、表現の自由を侵すことになるなどという意見もあるようですが、ネチケットやネット・マナーが言葉狩りに引っかかることはないでしょう。

 匿名の気軽さ、キーの一打で瞬時に日本中、世界中に広まるというネットの特性がしからしめる、ということもあるのかもしれません。しかし、そうであればあるほど、礼儀正しくあること、人の道を踏み外さないことは重要でしょう。

 聖書にも「初めに言葉ありき。言葉は神なりき」とあるようですが、言葉は大事です。勿論、動画は更に訴求力があります。
 言葉が悪くなると、心も汚れてくるといわれますが、ヘイトスピーチなどを繰り返すうちに憎しみの心が強まっていくという事もあり得るようです。

 ネット時代は、どんな情報でも、簡単に世界中に広がる時代です。そうであればあるほど「ネチケット」「ネット・マナー」といった言葉を、マスコミ上でも、会話の中でも、出来るだけ広く頻繁に使うような努力が必要になってくるのではないか、などとつくづく思うこの頃です。

正常な動きを始めた毎月勤労統計

2019年04月06日 23時48分20秒 | 労働
正常な動きを始めた毎月勤労統計
 昨4月5日、世間から国会までを大騒ぎに巻き込んだ「毎月勤労統計」の平成31年1月確報と2月の速報が発表になりました。
 なぜこんなバカげた大騒ぎが起きたかの事実関係は闇の中ですが、統計の信頼性が回復すれば、「まあ」一件落着という事でしょう。

 昨年は1~3月、全産業の1人当たり「現金給与総額」の前年同月比上昇率が急に高くなりびっくりしてこのブログに書いたのが5月9日でしたが、今年の2月速報は、景気減速を反映してでしょうか、所定内給与こそマイナス0.1%(前年同月比)ですが、残業などを含む「現金給与総額」は0.8%(同)のマイナスです。
マスコミが指摘しますように物価上昇を差し引いた実質賃金ではマイナス1.1%(同)という残念な結果になっています。

 折角統計が正常に機能し始めたのですから、お祝いで少しいい数字が出てくれればいいなと思っても、そんな思いを忖度してくれるほど現実は甘くないという事でしょうか。
 
ここで「毎月勤労統計」が正常に機能し始めた、とわざわざ指摘していますのは、それなりの理由があると理解しているからで、その点についてちょっと付け加えておきたいと思います。

 昨年の1月以降の賃金が、前年に比べてどうも上がりすぎているように感じられるというのが問題の発端で、その原因は一番賃金水準の高い東京都の500人以上の1464事業所の調査について、全数調査と決められているのに、厚労省が独断でほぼ1/3の491事業所を抽出した抽出調査にしたのが平成16年でそれから平成29年まで抽出調査を続けていたのです(厚労省の説明)。これだけの事業所数があれば、抽出調査にしても、統計数理上は問題ないと認識したからでしょう。

 もちろん抽出調査の数字を1464社に復元して、1464社の調査結果としていれば問題なかったのですが、調査の結果を集計する際、500人以上の事業所は全数調査という決まりなので、491事業所を「全数」として集計してしまったとのことです(厚労省の説明)。

 その結果、残りの973事業所は「存在しない」ことになり、賃金の高い大企業の事業所の集中する東京の500人以上事業所の約1/3が統計から抜け落ちることとなり、全国、全産業の平均賃金が実態より低くなってしまっていたのです。

 つまり、平成16年から29年までの毎月勤労統計の数字は、14年間実態より低くなっていたという事で、このあたりが省内でも問題になったのでしょう。平成30年の1月から1464社に復元して出すことにしたのでしょう。結果は統計の中に最も賃金の高い973事業所が入ってきたので、平均が高まり、「え!なんで急に高くなったの」という事で、平成16年からの 統計集計上の「取扱錯誤」がバレてしまったという事なのです。

 厚労省の文書では、原データが残っている平成24年以降については復元した「再集計値」を発表していますから、一部は不完全ながら、最近の数字については正常化したと判断できるといっていいのでしょう。

 加えて厚労省は、引き続き経緯を調査し、再発防止に努めるといっていますが、何時、誰が、何処でどう間違えたかは多分永久に「不明」という事で終わるのではないでしょうか。なんとなく、そんな気がしています。

財政赤字の容認論が出てきているようですが・・・

2019年04月05日 17時26分56秒 | 経済
財政赤字の容認論が出てきているようですが・・・
 アメリカではトランプ大統領が、FRBに対して、利上げ凍結ではなく、もう少し積極的に金利引き下げをしたらどうかと促しているようです。
 目指すのはドル安で、それが可能になれば、アメリカの赤字の垂れ流しに多少は歯止めになるという理屈でしょう。

 そうなると日本はまた円高で苦労することになりそうですが、トランプさんは日本の対米貿易赤字を減らすことにご執心ですから、それでいいということなのでしょう。

 日本の方は、また円高で苦労するとなると、異次元金融緩和継続で対抗している日銀も、「もう打つ手はない」ということでしょう。
 もちろん財政も赤字続きでプライマリー・バランスの達成にめどもつかない状態です。麻生財務大臣も頭を抱ているところですが、援軍になる理論が出てきたようです。

 「赤字財政容認論」、(MMT: Modern Monetary Theory )というようです。財政が赤字だって経済が元気でやっていければいいじゃないか、という理論です。
 そんなことはない、ギリシャだってポルトガルやイタリーだって、赤字をなくせとEUやIMFから厳しく財政規律をいわれ、引き締めをやって厳しい不況を経験してやっと黒字にしてという道をたどるのです。

 ところが、最近の財政赤字容認論というのは、日銀がどんどんお札を刷って、赤字財政を支えればいいという事のようです

財政赤字を続ければ、円は暴落、国債は紙屑と言われたが、未だに円は投機筋にも信頼されているし、国債は紙屑などと誰も言わない。
 日本経済は信用があり、財政赤字を拡大して景気を良くすれば、もっと信用ある国になる、といったものでしょう。

 安倍総理も、国会の議論ではそれにある程度賛同し、アベノミクスで日本の経済力はますます強くなっているといいたいようです。

 しかしそんな都合いい経済学が本当に成立するのでしょうか。トランプさんは金利を下げてドル安にすれば、赤字が減ってアメリカ経済が強くなるという経済学に賛同し、安倍さんは、赤字財政ものともせずで財政を拡大すれば日本経済がよくなるという意見にかなり魅力を感じているように見えます。

 しかし、「経済に、ただの昼飯はない」という諺は昔からあって、合理的に物事を考えていくと、こちらの方がどうも正しいようです。

 トランプさんがドル安でアメリカの景気を良くしようと考えるのは、日本をはじめアメリカ以外の国がその皺寄せの不況を甘受して、アメリカを支えてくれるという前提でしか成立しません。
 
 日本の場合は、国民が頑張って働き、稼いだ分の中から国債を買う(貯蓄をする)という形で政府に金を貸し、政府は外国から金を借りることがないために、日本経済は信用があり、円も、国債も暴落しないのです。
 つまり国民が生活を切り詰め、政府を支えているのです。

 つまり、誰かが犠牲になるからこそ、「ただで昼飯を食える」人が存在できるのです。
 アメリカはリーマン・ショックなどで、世界中に迷惑をかけ、中でも日本は平成30年の大部分を円高で「働けど、働けど」と「じっと手を見る」ことになったのです。

 日本の場合は、国民は生活費を切りつめそれを政府に貸して、老後に備えたつもりですが、財政拡大というのは、政府に貸した金は返ってこないということにほかなりません。
 国民が一斉に貯金を使おうとして現金化したら、財政は破綻するでしょう。

 為政者、権力者は、自分に都合のいい経済学を信じる傾向があります。その点では。トランプさんも安倍さんもよく似ているという事でしょうか。

中国は変わるか

2019年04月04日 23時26分29秒 | 国際関係
中国は変わるか
 習近平さんが、巨大な中国の代表として終身君臨することが決まりましたが、習近平さんはいったいどんな中国を作ろうとしているのでしょうか。
 もちろん我々に、習近平さんの心の内がわかる訳はありませんが、中国として目指している一帯一路、の展開状況、また、まさに進行中の米中貿易交渉においても、多くの問題が解決されなければならないようです。

 米中交渉では、現状、表面的には中国の柔軟な姿勢も目立ちます。米国からの輸入を、特に農産物の輸入などを大幅に増やす意向を示しています。
 かなりの無理筋を押し付けようとするアメリカに対して、より大人の態度で、できるだけ譲歩しながら、穏やかにwin=winの関係にもっていこうとしているように思えます。

 知的財産権の問題についても、確かに遅れている中国ですが、このところ国内でも厳しい取り締まりが行われている様子が報道されていますし、巨大で多様な国ですから苦労しながら、近代化を進めているように見受けられます。

 しかし、多分中国はそんなに大人しい国ではないのでしょう。南沙諸島では東南アジアの国々と、また日本とは東シナ海の油田や尖閣諸島の問題で、自己主張の強引さも目立ちます。

 識者の多くは、米中の覇権争いを指摘していますが、それは多分、歴史の必然なのでしょう。
 アメリカは、かつての強くて寛容な覇権国から、ニクソンショックを経て、典型的にはリーマンショックのように世界に迷惑をかける覇権国に成り下がってきています。
 トランプさんは覇権国の義務は果たさず、権力には固執するようなアメリカを印象付けています。

 一方で、中国が覇権国を目指すとすれば、覇権国として、巨大な負担をしなければならないということに気づくべきでしょう。
 例えば、一帯一路を推進することは、中国にとって巨大なビジネスチャンスと利益をもたらすのではなく、経済成長の恩恵に浴するのはまず中国の相手国でしょう。
中国にとっては、まず大きな持ち出しになり、それを回収するには超長期の期間がかかり、決して思うような有利な仕事ではないというのが現実でしょう。

 覇権国というのは、権威や名誉はあるかもしれませんが、経済的には決して有利なものではないというのがこれまでの現実ではないでしょうか。
 中国はトータルで見れば、まだまだ貧しい国です。コストのかかる覇権国の役割を果たすのには一人当たり国民所得が世界のトップクラスになることが必要なように思われます。
 覇権国であることは経済的にプラスと見ているとすれば、それは忽ち行き詰まるでしょう。そんな兆候はすでに見えているように思います。

 習近平さんの中国が、どんな理念を掲げているのか、未だ良くわかりませんが、本当に世界のためになる中国を目指しているとすれば、中国は変わらなければなないし、世界の関係する国々も、そう望んでいるのではないでしょうか。

「万葉夢想」、「令和」に寄せて:万葉仮名と日本人

2019年04月03日 16時17分54秒 | 文化社会
「万葉夢想」、「令和」に寄せて:万葉仮名と日本人
次の元号「令和」は、もうすでに日本人に馴染んできたようです。この時代がますます良い時代であることを願う日本人の一人です。

 この1月22日に、「 さて、次の元号は」で、そろそろ日本の古典、古事記、日本書紀、万葉集、17条の憲法あたりからとるのも、と書きましたが、万葉集からというのは特によかったと思います。

 安倍さんも言っていましたが、万葉集は、天皇から広く庶民まで、当時の多くの日本人の歌を集めています。もちろん『令和』に採用されたのは大伴旅人が開いた、梅の花をめでる歌会の記録に旅人が書いたと思われる前文からだそうで、まさに五言絶句の形ですが、あとの2行、転句と結句は、字余りですが、和歌の七、七の口調を感じさせるものです。
 ネットで種々解説が出ていますが、是非、日本語の響きを感じてみてください。

 ところで本題に入りますが、万葉集には広く庶民まで含む人々の歌を集めるという「分け隔てのない」、編集方針がとられていますが、なぜそんな形になったのか、更に言えば、なぜそこまでの歌を集めたのか、そしてそれが可能だったのか、あるいはそうするのがいいとなぜ考えたのだろうかというのが大きな疑問ではないのでしょうか。

 ご承知のように、漢字が入って来るまでは日本の文化はすべて口伝でした、北方モンゴロイドは共通に文字を持たない文化だったようです。
 そこに文字が入ってきたのはまさに大革命だったでしょう。人は死んでも記録は残るということは(今でもそうですが)素晴らしいことでしょう。

 万葉仮名の始まりは5世紀の古墳時代にみられ、貴人の名前などと漢字で表記したようですが、8世紀に至る300年ほどの間に、日本語の発音が特定の漢字に置き換えられて表記されるという万葉仮名の「いろは」が次第の標準化されてきたのでしょう。

 そして8世紀の初め720年頃には日本で「口伝」の「万葉仮名による記録」のブームが起きたのではないでしょうか。
 多くの口伝が「古事記」として記録されるのには語り部「稗田阿礼」(恐らく多数の人物)からの「聞き取り調査」が行われ、太安万侶が監修して古事記が出来たのでしょう。

 万葉集についても恐らく同じようなことが起きたのではないでしょうか。言葉としては、和歌、五、七、五、七、七、「五七調」の言い方は、そのリズム感から口伝の中でも日本人には広く使われていたのではないでしょうか。五言絶句、七言絶句は中国伝来、五と七の音節を並べると軽快です、都々逸も七、七、七、五、(ちなみに英語の「きらきら星」も7,7,7,7です)。
 そうした日本文化が文字で記録できるようになったのだから、日本中から出来るだけ沢山集めて記録しようと意気込んだ人がいても不思議ではありません。

 大伴家持が東国の歌を集めたとして有名ですが、おそらく多くに人たちが集め、万葉仮名で書く事を誇り楽しみながら、大伴家持などに伝えたのではないでしょうか。

 その後。古今、新古今など、勅撰をはじめ多くの歌集はありますが、名もない庶民の歌まで集めたこうした形の歌集はありません。
 平安という文化が咲き誇った時代、多くの日本人が、口伝を文書に記録することに日本文化の革命的な意義を感じ、その成果を後世に残そうと熱狂たことが、万葉集を生んだのではないかなどと感じてしまうのです。

 万葉の時代に生きた人々がどんな気持ちで、何に熱中したかは、想像するしかありませんが、もともとエネルギー・レベルの高い日本人のことです、和歌のたしなみは上流社会だけという、その後の時代以前の、黎明期の日本人の社会を想像するのも楽しいことのように思われます。

2019年4月「日銀短観」上期は下押し、下期は強気

2019年04月01日 18時19分03秒 | 経営
2019年4月「日銀短観」上期は下押し、下期は強気
 新しい元号が発表になりました。
 『令和』です。
 由来は万葉集。初めて 日本の古典からの元号です。これも最近の国際情勢の反映でしょうか。「令」はこれから世の中が良くなることを意味し、「和」は、人々が仲良く、あるいは平和の「和」さらには日本を意味する「和」、いずれにしてもよい元号が決まりました。

 ところで、今日「日銀短観」が発表になりました。この1~3月の状況を調べたものです。
 マスコミでは、代表的指標である製造業大企業の景況感を示すDIが、前の10~12月期に比べて、19ポイントから12ポイントへ7ポイント落ちていることから「景況感大幅悪化」といった見方です。

 大分前から日本電産の永守社長などが、中国経済の減速の影響に厳しさを指摘し、景況悪化は思ったより大きいのではないかといった見方をしておられますが、そうした懸念が端的に出てきたということでしょうか。

 さらに、先行き3か月の判断はDIが8に低下するといったもので、プラスではあるものの、景気の減速感は否めないという見方のようです。
 この傾向は、製造業に関する限り中堅企業でも、中小企業でも基本的に同じです。

 ただ、非製造業で見ますとDIの動きは大企業で、24(前期)、21(今1~3月期)、20(来期)と、製造業ほどの落ち込みではなく、中堅企業、中小企業も下向きではありますが、製造業に比べると落ち込みは浅いようです。

 とはいえ、今回の調査では、「景気は山を越えた」という感じが濃厚です。原因は何かと考えますと、国内の景気対策の手詰まり感(財政・金融政策の行き詰まり、消費税増税に関わる政府不信、などなど)もありますが、より大きいのは国際情勢、特に米中関係でしょう。

 米中貿易交渉では「巧くいきそう」、「やっぱり難しい」といった観測が何度も繰り返され、そのたびに株価が乱高下して、投機家にビジネス・チャンスかもしれませんが、我々は振り回されるばかりです。

 では日本の企業はどう見ているかですが、今度の「短観」にヒントがあるようです。
 短観では半年ベースの収益関係の企業の計画も調べていますが、2018下期、2019年上期2019年下期の「経常利益」、「当期純利益」の対前年同期比を見てみますと、製造業、非製造業の大企業、中堅企業、中小企業ともに、ほぼ同じような収益の推移を考えているようで、2018年下期と2019年上期は、対前年同期はマイナスがほとんどですが、2019年下期になりますとほぼ全面的に増益の計画になっています。

 この計画値から判断しますと、多くの企業はこのところの景気の落ち込みは、それほど深刻ではなく、今年の後半には回復基調に入ると考えていることが知られます。
 この計画値が「当たり」と出るか「外れ」に終わるか、国際情勢の行方と安倍政権の政策いかんによる事になるのでしょう。
 それねも、なお、日本企業の頑張りに期待したいと思います。