tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

コロナ後を見据えた経済政策 1

2021年06月28日 22時17分32秒 | 経済
コロナ後を見据えた経済政策 1
この問題を考える場合、参考として検討を要するのは、鳴り物入りで登場したアベノミクスが、第一弾の円安実現は大成功だったもの、その後の第二弾の積極的財政政策、第三弾の構造改革(規制撤廃)においては、どうにも思い通りにはいかなかったという経験でしょう。

当時考えていたことは、第一弾の日銀のゼロ金利政策で1$=80円状態から1$=120円が実現した時、これで日本経済の対外環境は正常化(円レートの正常化)が実現したのだから、後は、プラザ合意による円高以前の元気な日本経済に立ち帰ることが出来るはずだという展望でした。

プラザ合意前の日本経済は「ジャパンアズナンバーワン」などと言われ、欧米諸国がスタグフレーションの後遺症に悩まされる中で、労使の努力でインフレを抑制し健全な安定成長路線をひた走るという状態で、GDPは世界第2位、経常収支赤字国アメリカに対し万年黒字国状態で、アメリカの脅威になるような経済を自負していたのです。

現実は、その結果の対日政策がプラザ合意だったわけで、その後30年にわたりバブルと長期不況という経済の異常状態を、なんとか遣り繰ってきた日本でしたから、円レートが正常化すれば、当然プラザ合意前の状態に復元の道をたどると思われたのです。

しかし、その見方は些か甘すぎたようです。30年にわたる経済の異常状態は、特にリーマンショック後の数年間の泥沼を這い歩くような経験の後遺症でしょうか、プラザ合意以前の自信を日本人から奪い去っていたようです。

30年というのは一世代ですから、その間ゼロ近傍の経済成長が続けば、次の世代は経済成長は期待できないものという前提で行動する事が当たり前になり、その結果、日本企業は専守防衛の意識が強い存在となり、日本の家計は将来不安から生活防衛意識の塊のようになっていたようです。

そのあたりの理解はアベノミクスには全くなかったのでしょう。自分の命令で各省の大臣や官僚を動かせば経済などは簡単に良くなるとでも思ったのでしょうか、「決める政治」を標榜し、独裁者のように、積極的財政政策と規制緩和を進めようとしたようです。

しかし、経済や財政にはそれなりの理論や心理があり、新自由主義の名のもとに進めようとして規制改革は、本来は民間の自由な動きによるべきものでしたから、共に上手くいきませんでした。

つまり、アベノミクスは、海外の機関投資家たちにはゼロ金利というバーナンキ流の踏襲で効果を上げたものの、日本国内では、国民の意識や行動についての理解に乏しく、全ては安倍政権の力で決められるという誤った認識に立ったがゆえに、国内ではほとんどまともに機能しなかったという事でしょう。

さらに、この辺りの認識の問題は、モリ、カケ、さくらといったスキャンダルでまともな議論にもならず、安倍さんは降板、リリーフの菅さんは、揚句の果てのコロナ問題で、今やコロナ征圧と東京五輪で混乱の極、コロナ後は、まだまだ先の問題という事でしょう。

こう見てきますと、今度の選挙で政権がどうなるかは別として、矢張り、今のうちからコロナ後の経済政策には何が必要かを考えておくことは、アベノミクスの反省すらしっかりできていない日本国政府にとっても大事なことのように思われます。

また前置きが長くなってしまいましたが、上の様な考察からしますと、取るべき経済政策は、まず、日本の企業や家計の意識、思考形態を、プラザ合意以降の様な、将来に希望を持って、自分たちの力に自信を持ち、前向きで積極的な生き方をするようなものに変えていかなければならないのでしょう。

そして今、世界中がコロナ禍で、どこも経済低迷という状況の中で、日本の場合は、政治の混乱と、国民の行動の確かさが対極をなしながら、感染率、死亡率などの客観的な数字で、総体的対応の良さが、明確に示されるという実態があるのです。

政府の政策は、ワクチンは作らない、緊急事態宣言で行くと言ったら、次はGoToだ、また緊急事態だ、解除、また緊急事態だ。マンボウだといった混乱ぶりですが、国民はは確りしています。それは、前述の数字が示しています。

未だ日本人は、それなりのものを持っているのでしょう。残念ながら、政府がそれを引き出すことに失敗していただけという考え方が次第に強くなってくるのではないでしょうか。

コロナ後の政策を考える場合、その辺りも1つの鍵になるのではないかという気がしています。

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