tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

政権の成長率論争の不毛

2017年11月07日 21時58分09秒 | 経済
政権の成長率論争の不毛
 安倍政権が、政権を取ってから経済成長率が上がったと言い、旧民主党系からの反論が出ています。 しかし、経済の実態という立場からすれば、そんな論争は、どう見ても無意味のようです。

 実体経済というものは、自動車のように、ハンドルを切ればすぐにそれが結果に表れるといったものではありません。
 たとえて言えば、複雑な海流の中を航行する大型船のようなもので、舵を切っても、方向転換以はそれなりの時間がかかりますし、潮の流れに影響されて、効果が狙いと違う事も多々あるでしょう。

 日本経済が長期不況に陥ってたのは自民党政権の時です。基本的な原因は「プラザ合意」による1ドル=240円が120円になったことから始まります。
 プラザ合意は1985年の事で、大幅円高になって、製造業の空洞化が言われ、鉄鋼会社が温排水でウナギを飼ったり、製紙会社が廃棄物の中でミミズを養殖したりしました。

 しかし、その時の日本は、土地神話を背景に地価高騰による金融大盛況、株価暴騰といった状況にあり、経済が失速したのは1990-91年のバブル崩壊からでした。
 日本経済は、いわばその余熱で1997年まで何とか経済成長をつづけますが、1997年のGDP534兆円をピークに2002年の516兆円まで落ち込みます。

 この落ち込みの時の担当内閣は橋本、小渕、森、小泉内閣です。これは政権が悪いのではなくて、円高で日本が(現実には日本の企業が)コストも物価も世界一高くなり、その対応策として、徹底したコストカットをやらなければならなかった時期です。誰が総理になっても同じでしょう。

 2002年、日本経済、現実には日本企業はコスト調整を何とかやり切り、いくらかの利益が出るようになり「いざなぎ越え」という微弱な回復が2008年まで、6年続きました。
 この時は、小泉、安倍、福田、麻生の4内閣です。

 しかしこの時、すでにアメリカではサブプライムローン問題が起きていて、2008年秋のリーマンショックで、世界中の銀行のB/Sに大穴が空き、世界金融恐慌かと言われることになりました。

 この余波で円は1ドル=80円から75円まで円高になりこのままでは、日本経済破綻と言われたのが2011年まででしょう。
 この時期の政権担当は、民主党で、麻生、鳩山、菅、野田、内閣です。日本経済が最も苦しんだ時期です。日本のGDPは2011年に、491兆円とボトムを付けます。

 アメリカではバーナンキさんが「金融恐慌は金融緩和で防げる」という持論を駆使し、「異次元金融緩和」で、何とか金融恐慌を回避、2011年-12年には、その目鼻がつき始める(その後遺症は今もありますが)所まで来ました。
 日本経済も2012年には漸く先が見え始め、一安心でしたが、その2012年末発足したのが第二次安倍内閣です。

 こうしてみますと、実体経済の大きなうねりの中で、その時どきの内閣は、それに応じた政策をとっているのでしょうが、その結果は、世界経済環境次第という面もあり、効果が出るのは何年か後だったりで、1代・2代後の内閣がその結果に苦しんだり喜んだりするといったことが繰り返されているようです。

 政府が何かやれば、すぐその効果が出るなどと考えて、成果を誇る論争をするなという、実体経済の現実を洞察しない不毛な論議は願い下げです。

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