「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」が問題解決の鍵
マイナカードと健康保険証の問題は、総理の態度が少し変わってきたようで、余り馬鹿馬鹿しいトラブルは避けられるのではないかと思えるようになってきました。
自民党内にも、来年秋で紙の保険証廃止は、どうも無理のようで、延ばした方がいいのではないか、強行すれば余計なトラブルばかり増えるのではないかという危惧が出て来たようです。
岸田総理も河野デジタル相とともに現場の意見を聞いたようで、物事はもう少し合理的な方向に変わる可能性が出てきたという事でしょう。
ここでそういうことが起きれば、自民党が黒を白と言いくるめ、問題をうやむやにして、国民の記憶の薄れるのを待つという安倍政権以来の悪習が、政権政党自身の中から改革されるという事で、これは大変結構なことではないかと思われます。
モリ・カケ・サクラから始まって、カジノ、学術会議任命拒否問題などなど、一度決めれば、何があっても改めないというのが政権の行動基準という事になりますと、思考や行動が硬直し、物事に解決がなくなるのが結果です。
朝令暮改がいいとは言いませんが、大多数の国民が疑問を持つような事でも、決まったからにはそれが正しいと言い張っては、日本人の得意とするコンセンサス作りが不可能になり、問題は棚晒しで放置されて、不信や不満がたまっていくというのがその結果です。
そしてこうした政府の態度はいろいろな所に伝染し、民間組織や個人間の関係においても、誤りを放置するような風潮が進み、社会が劣化するのです。
さらに進めば、責任者が、自らの判断で解決しない問題は、非合法の手段で正すしかないという意識に点火し、テロ行為の原因にもなるのでしょう。
今回、岸田総理が、マイナカード問題について、政府の政策に無理があった、これは改めて、より合理的な政策に変えていかなければならないと決断することになれば、これまでの絶対多数を盾に反対意見は一方的に無視するという自民党のイメージは変わるでしょう。
国民の多くが、安倍政権以来の、一度決めたら「過っていても改めない」政治が、国民の意向を聞き、「過ったら則ち改める」、国民の意見を聞く政治に変わるのではないかと考えて、歓迎するのではないでしょうか。
もともと独裁制は日本にはなじまないのです。日本は伝統的にコンセンサス社会なのです。日本の伝統文化に政権が近づけば、多くの日本人は安心して歓迎するでしょう。
マイナカードと健康保険証の問題は、総理の態度が少し変わってきたようで、余り馬鹿馬鹿しいトラブルは避けられるのではないかと思えるようになってきました。
自民党内にも、来年秋で紙の保険証廃止は、どうも無理のようで、延ばした方がいいのではないか、強行すれば余計なトラブルばかり増えるのではないかという危惧が出て来たようです。
岸田総理も河野デジタル相とともに現場の意見を聞いたようで、物事はもう少し合理的な方向に変わる可能性が出てきたという事でしょう。
ここでそういうことが起きれば、自民党が黒を白と言いくるめ、問題をうやむやにして、国民の記憶の薄れるのを待つという安倍政権以来の悪習が、政権政党自身の中から改革されるという事で、これは大変結構なことではないかと思われます。
モリ・カケ・サクラから始まって、カジノ、学術会議任命拒否問題などなど、一度決めれば、何があっても改めないというのが政権の行動基準という事になりますと、思考や行動が硬直し、物事に解決がなくなるのが結果です。
朝令暮改がいいとは言いませんが、大多数の国民が疑問を持つような事でも、決まったからにはそれが正しいと言い張っては、日本人の得意とするコンセンサス作りが不可能になり、問題は棚晒しで放置されて、不信や不満がたまっていくというのがその結果です。
そしてこうした政府の態度はいろいろな所に伝染し、民間組織や個人間の関係においても、誤りを放置するような風潮が進み、社会が劣化するのです。
さらに進めば、責任者が、自らの判断で解決しない問題は、非合法の手段で正すしかないという意識に点火し、テロ行為の原因にもなるのでしょう。
今回、岸田総理が、マイナカード問題について、政府の政策に無理があった、これは改めて、より合理的な政策に変えていかなければならないと決断することになれば、これまでの絶対多数を盾に反対意見は一方的に無視するという自民党のイメージは変わるでしょう。
国民の多くが、安倍政権以来の、一度決めたら「過っていても改めない」政治が、国民の意向を聞き、「過ったら則ち改める」、国民の意見を聞く政治に変わるのではないかと考えて、歓迎するのではないでしょうか。
もともと独裁制は日本にはなじまないのです。日本は伝統的にコンセンサス社会なのです。日本の伝統文化に政権が近づけば、多くの日本人は安心して歓迎するでしょう。