tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

森林をどう見るか:西洋文化と日本文化

2021年03月13日 00時08分28秒 | 文化社会
森林をどう見るか:西洋文化と日本文化
 かつて日本の「舶来崇拝」について書きました。
 島国日本は新しい文物はほとんどが海外から入ってくるという状態だったでしょうから、何かといえば海外の進んだ文物を取り入れようとしたのでしょう。

 特に鎖国になってまさに海外ハングリー状態で明治の開国を迎えたのですから、日本と西洋の文明格差は巨大で舶来崇拝はますますひどくなったのではないでしょうか。
「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする〕などと言われたのも当然かもしれません。

 しかし「文化」という面で見ると、必ずしも西洋が優れていたというわけではないように思います。

文化というのは、人間の生き方の問題でしょう。したがってその優劣は 文明や科学技術の水準とは関係なく、地球環境の進化の結果として生まれた人間が、地球の自然に対していかなる接し方をするかというのが一番大事な点でしょう。
 
 前回、自然はその恩恵に対して人間が適切な返礼をせれば、ますます豊かな恩恵を与えてくれるものだという事を書きまいたが、ここでは森林、森を例にとって考えてみましょう。

 日本では山は神聖なもの、山は雪や森に覆われていて、そこには神が宿ると考えていました。森には動物がいて、動物も人間と同じ生命を持ち、時には神としての姿も持つ仲間で、森の神や土神とともに森に棲んでいると考えられていました。

 西洋ではどうだったかといいますと、高い山には悪魔が住んでいると考え、いまはアルプスでも高くて美しく有名なモンブランも昔は悪魔の住みかと思われていました。森にはよく童話に出て来ますが魔法使いが住んでいて、子供たちを捕まえて食べてしまうといった考え方です。

 ですから山は征服するもの、森は木を伐り開いて牧草地や小麦畑などにしてしまわなければいけなかったのでしょう。こうした結果ヨーロッパ大陸の平地から森は消え、昔は赤ブナの鬱蒼な森であった地中海北岸も、森は消えて白堊の岩場となり、地中海マグロは養殖しなければ食用にならないという痩せた海になってしまったという事です。

 今は自然を大切にするので有名なニュージーランドでも西洋からの入植以前は7割が山林でしたが、今は山林は3割程のようです。

 それに引きかえ日本はどうでしょうか。今も国土の7割近くが山林で、最近は大分樹木の本数は減りましたが、人々の住むところでも神社には鎮守の森が付き物で、神は森に宿るという考え方が残っています。
 山に登るのは、悪魔を征服するのではなく、山岳信仰で、精進潔斎して、六根清浄を唱えながら、神気に触れ、ご来光を拝するという神、あるいは自然と一体化するという思想が根強く残っています。

 言い換えてみれば、自然を尊重し、自然と共存するために、自然をより豊かのものにしていこうという日本の文化と、自然を収奪し、改造して人間が住みやすい様に作り替えるという西洋の文化といった対比がみられるように思われるのです。

 今、西洋、というより欧米の文化も、自然を収奪した結果が、地球環境の変動を齎し、異常気象の原因になり、地球人類に警告を発していることに気づき、自然への返礼の必要に目覚めたようです。
 中には。部分的に行き過ぎて、クジラとイルカだけは捕ってはいけないなとという人々もいますすが、それも反省の仕方のひとつなのでしょう。

 ところで日本の中にも、日本の優れた伝統文化を単純な「欲得」のために忘れてしまい、舶来崇拝一辺倒に堕し、人類全体を包む大きな自然の大切な役割の意義をなおざりにする人が出てきていることは誠に残念なことです

 我々日本人も、改めて自然と人間の関係という大きな問題についての日本の伝統的な文化・思考方法に改めて目覚め、あらゆることをそれをより豊かな自然の実現を基準に判断するように心掛けることが必要になるように感じるところです。

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