tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

国は国民の生命と財産を守ってくれているのか

2020年07月11日 23時16分08秒 | 政治
九州の豪雨災害に思う
 昔から梅雨といえば、雨のしとしと降る日が続くというのがイメージでしたが、近年は全く変わってきました。ニュースでは集中豪雨、線状降水帯といった言葉が日常になり、梅雨の時期の雨は雷や突風、いままで気象庁もあまり使わなかった竜巻まで同伴し、「今まで経験したことのないような」という形容句が定型文のような形で使われています。
 
 今回の九州をはじめ、中部、東北に及ぶ自然災害は、気候変動の恐ろしさを身にしみて感じさせるものです。台風シーズンには間がある梅雨の時期に、すでに多くの人命と人々が積み上げた貴重で膨大な財産が家族や友人その思い出とともに失われているのです。

 日本人は縄文の昔から天災は諦めるしかない物といった意識があるようで、落語にも「天災」というのがあったりしますが、近年の様相を見れば、そんなことをいっていられる状況ではないのではないでしょうか。

 現政権は、よく「国民の生命と財産を守るために」といいます。しかしどうもそれは、何処からか飛んでくるミサイルの事だけを考えての発言のように聞こえてきます。それ以前に、毎年繰り返される自然災害による人命と財産の滅失には、どんな防御の手段が考えられているのでしょうか。

 今後も気候変動の影響がますます大きくなることは避けられないでしょう。「今まで経験したことのないような」という常套形容句は、使われ続けることになるのでしょう。

 ならばこの対策こそが「国民の生命と財産を守る」ための喫緊の課題ではないかという気がするのは私だけではないしょう。
 確かに「国土強靭化」といった言葉も聞かれます。しかし具体的に、氾濫する河川、崩れる斜面などなどについて、具体的にどのような対策が、どのような規模で進捗しているのかはあまりニュースにもならないようです。

 今回も津波の様に恐ろしい球磨川の氾濫の映像を見せられることになりましたが、私たちの知る範囲でも、所謂「天井川」は到る所にあります。
 川底は流れてくる土砂で年々高くなるでしょう。今までは両岸の堤防を高くして氾濫を防いでいたというのが一般的なものだったのでしょうか。
 それを繰り返して川は田畑や住宅地より高くなる、「だから天井川という」と小学校で教わりましたが、天井川という呼び名の由来を教わっただけでは間に合わない時代になってきているのではないでしょうか。

 先日も土砂流出の現場で、砂防ダムの計画は出来ているのだが、工事が進んでいないという災害現場のニュースのコメントがありました。
 国土強靭化も計画はあるのでしょうが、その実行は、政府・自治体の財政不如意でしょうか、それとも政策の重点順位の問題でしょうか、現実に進んでいないことを年々の自然災害が見せつけてくれているのではないかといった気がします。

 しかし、現実に年々失われる国民の生命と財産の大きな損失を見れば、国土強靭化こそ、この気候変動の時代において、まさに喫緊の課題といえるのではないでしょうか。

 天災だから諦めによりしょうがないといいう見方はすでに昔のことで、異常気象のますます激化する今の日本の状況(世界共通かも知れませんが)に鑑みれば、すでに放置できる問題ではなくなったのではないでしょうか。

 異常気象は年々深刻化し、「今まで経験したことのないような」が、災害報道の常套的な「枕言葉」となるような、現実を見るとき、「国民の生命と財産を、なにから守るか」の優先順位を日本として、本格的に再検討する時にあるのではないかと深刻に感じるところです。



 

 



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