tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

東京五輪:決断するのは誰なのか

2021年05月27日 15時58分09秒 | 文化社会
東京五輪:決断するのは誰なのか
 書きたくない問題ですが、書いておかなければならないのではないかと思う問題です。

 IOCのバッハ会長は「犠牲を払っても」実施すべきと発言され、反響は大きいようです。犠牲の中身は解りませんが、現在の状況の中で実施すれば犠牲の可能性が最も高いのは日本であり、東京都でしょう。

 そして、日本、東京は、現状、「実施」に向かってひた走りです。犠牲を払うか、払わないで済むか、その可能性を検討する際の最大のファクターは 「コロナウィルス」 です。

 日本政府は、コロナウィルス対策に「万全」を期して、東京五輪がなんとかいつもの五輪の様に世界の熱狂と興奮を呼べば、「コロナに負けず」、「災害からの復興」の証にもなると、いわば死中に活を求める様な気持ちで、実施に邁進という気持のようです。

 東京都は実施団体として、日本政府の方針に従わざるを得ないというのが本音でしょう。医療をはじめとして人的資源その他最も負担がかかり、未知の相手、対コロナを最重点に最も緊張を強いられるのも東京都でしょう。

 一部にはテニスやゴルフなどなどの国際大会が実施されていることも踏まえ、例え緊急事態宣言の中でも五輪開催は可能といった発言もあるようですが、参加国数や人間の移動の範囲や規模を考えても五輪は別格でしょう。

 問題は先に述べましたように、相手がコロナウィルスだという事です。相手が人間やその組織であれば、相互の話し合いや協力といったことが可能ですが、コロナウィルスは、話が通じる相手ではありません。
 しかも困ったことに、頻繁に突然変異を繰り返し、感染力の強い新種株の発生が起きやるくなっているようです。

 つまり相手は未知数なのです。これは、人間同士の問題ではなく、自然現象との関係で判断しなければならない問題なのです。
 人間が自然現象と対決しなければならない時の基本的な判断の原則は、「最悪の事態を想定すること」というのが通説でしょう。 相手が自然では、人間の思い上りは通用しないからです。

 東京五輪は、まさに未知の自然現象との対決を、既存の人間の知識の範囲で判断し、しかも言葉では「万全」と言いながら、人間の努力でいかに完璧を期しても、「上手の手から水が漏る」で、万全が不可能であることも常識です。

 はっきり言って、東京五輪は未知を既知で判断し、後は「神頼み」という、日本人の得意とする精神論になっているのでしょう。
 
 現状では、少ない確率にかけて実施に突っ込む。犠牲は出るかもしれませんが、後からそれでもよかったんだと自分で納得することで済ますことになるような気がしています。

 納得して済ませる人はいいのですが、犠牲になった人やその周辺の人達はどうなのでしょうか。
 東京五輪は、まさにコロナウィルスとの戦いです。人間同士の戦いは放棄した日本ですが、自然との、今回はウィルスとの戦いも、かつての戦争と同じ考え方でいいのでしょうか。

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