tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

一味違う日本の労使関係

2009年10月04日 21時24分04秒 | 労働
一味違う日本の労使関係
 失われた10年以来、世界的にも異常なデフレ不況の長期継続の中で、労使間でまともな春闘論議をするようなことが少なくなってしまいました。
そのせいか、それまで世界的に最も成熟した労使関係として、世界から注目されていた日本の労使が、あまり、本格的な対話をしなくなったのは大変に残念です。

 1980年代までは日本の労使はいつも真剣に議論すると同時に、雇用の確保には、共に本当に熱心でした。1985年のプラザ合意で、二年後には円が対ドルで2倍に切り上げられ、多くの製造業が急激なコスト高に耐えられず、アジア諸国に急速に展開を始めた時期にも、企業はいろいろと頭を絞り、雇用の確保に一生懸命努力しました。

 その名残は今でも残っていますが、鉄鋼会社や電力会社が温排水を利用してウナギやアワビの養殖をやるとか、製紙会社がパルプの搾りかすの山でミミズの養殖をやるとか、アジアに移転してしまった工場のあとを利用して生け簀を作って、テラピアの養殖をするとか、それが必ずしもペイしなくても、少しでも付加価値を作り出すことが出来る以上、雇用の確保にはある程度の貢献が出来るという意味での真剣な取り組みでした。

 当時の半分真面目な笑い話に、鉄鋼会社に就職した友人に、「それで今何の担当?」と聞いたら、「ウナギの成育を早める研究です」と聞いてビックリ、などというのがありました。
 労働組合のほうも、そうした雇用確保策に極めて協力的で、円高があれほど深刻にならなければ、それで円高不況のいっ時はしのぐことが出来たかもしれません。

 現実には、円高の進行が極端に過ぎ、そうした対策では、とてもしのぎきれなかったというのが現実ですが(為替レートとゴルフのハンディ 参照)、雇用対策についての労使の息はピッタリとあっていたということだったと思います。

 そういう労使の相互理解、信頼関係が生まれたのには、それなりの理由があってのことだったと思います。
 次回以降、その辺りを少し見て行きたいと思います。


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