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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

キャピタルゲインの課税問題

2021年10月30日 12時15分20秒 | 経済
T.ピケティの「21世紀の資本論」が人々の注意を喚起し、「格差社会化はSDGsに反する」、「格差社会化は社会の安定を破壊する」といった論調の合理性が浸透していきました。
マネーゲームによるキャピタルゲインが、格差社会化を齎すといった意見も少なくありません。

折しも、アメリカ発の金融工学の発達と、投資銀行、ヘッジファンドから個人投資家の「デイトレ」の盛行もあり、それに応じた多様なデリバティブなどの投資対象が生まれ、そうした投資対象には大きなレバレッジがかけられるといった投資(投機)システムが一般的になりました。

こうしたいわゆるマネーゲームは当然にコンピュータシステムに乗ることになり、何分の1秒を競い合って、巨大なキャピタルゲインやキャピタルロスが発生するというマネー資本主義が伝統的な実体経済中心の資本主義の中に入ってきました。

伝統的な資本主義は、資本を活用して付加価値(GDP)を創りその中から資本の分け前を得るというものでしたが、上記の様なマネーゲーム・金融資本主義では、付加価値生産のプロセスを省いて、カネが直接にカネを生むというシステムが一般化したことになります。

これは、伝統的な概念から言えば、賭博、ギャンブルと同じもので、実体経済とは別に購買力としてのカネを直接にやり取りする事(富・所得の再配分)に他なりません。

こうしたものは、富くじ、競馬、カジノなどとして、政府などの特別な管轄のもとでのみ認められていたものです。

ただ、気を付けなければならないのは、今日、経済活動の一環として行われているマネーゲームは、単に僥倖を願うものではなく、経済活動の結果に賭けるものですから、一見経済活動そのもののように受け取られㇾことが多いという事です。

「キャピタルゲイン」は、こうしたマネーゲームが追い求めるものですが、そのもともとが価格変動によって、「ゲイン」「ロス」が発生するわけで、こうしたマネー上でのプラス・マイナスは、経済計算では、デフレータによって消去されるもので、実体経済とは関係がなくなるものです。

しかし、ここで問題が出てきます。
価格のプラス・マイナスはデフレータで消去されますが、よく考えれば、価格の変動によって、実体経済の活動は大きな影響を受けています。

消費者の需要が多く価格が上がれば、生産を増やし製品が多くの人に行き渡るとか、日本の高度成長期のように3C、新3C といった商品の価格が下がれば、それらは急速に普及し、経済発展の原動力になるなどというのもよくある事です。

経済発展は価格メカニズムによって可能になるといってもいいすぎではないでしょう。

昨今のマネーゲームの対象の主役である「株式」にもそうした役割はあります。
多くの人が希望する製品やサービスを生産する企業は人気が出て株価が上がり、資金調達が容易になって、生産拡大に貢献するといった形です。

そうした企業に投資し、結果的に株価上昇で、キャピタルゲインを得た場合、そのキャピタルゲインは、実体経済の成長に貢献した成果と言えない事もありません。
成果は株主配当で十分と言い切るには多少問題もあるという意見もあるでしょう。

ここでちょっと横道にそれますが、今の税制では、株主配当も、値上がり益も同じ20%の課税です。これを同じにしている事には合理性があるのでしょうか?

話を戻して、株式やそのデリバティブなどの売買からのキャピタルゲインにも、企業・経済活動の実態の即した資本の配置に貢献した成果という説明は不可能とは言えません。
しかし、秒速で売買し、巨大なレバレッジをかけて巨億のキャピタルゲインを得るといった取引にもそうした説明が可能でしょうか。

同じキャピタルゲインでも、政府が税金をかけるという事になれば、何らかの合理性の根拠が必要なように思えます。

キャピタルゲインの世界は、アジア通貨危機のように、巨大なヘッジファンドが、経済的に弱体と見た国の通貨を空売りし、暴落したところで買い戻すといった、一国の経済活動を破壊するようなものもありました。

マネーゲームは、企業や経済の発展に役立つものから、企業活動や実体経済を破壊するものまであります。

金融所得課税問題は、巨大な仮想空間にまで広がったマネー取引の世界にいかなる税制を対応させるかといった大変困難な問題をはらんでいるように思います。
次回は、そのあたりを少し整理出来ればと思っています。