tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

おカネの貸し借り、個人の場合、国の場合

2010年10月29日 14時45分13秒 | 国際経済
 個人の生活の中でも、収入を使いきらずに使い残して、お金が溜まった人と、収入を全部使ってなお足りず、他人から金を借りる人がいます。
 金融機関が発達していない頃は大変でした。小判にして縁の下に埋めて置くといった事が貯蓄の手段でした。それを盗まれたことをつゆ知らず、あると思ってニヤニヤしていたという守銭奴の話などは有名です。

 勿論個人間でも金の貸し借りは、相対関係でやるわけですが、通常これはトラブルのもとです。踏み倒し、夜逃げもあれば、高利や厳しい取り立てで、身売りや一家離散などにもなります。

 日本でも、明治以降、金融機関、具体的には銀行の発達は見ましたが、昭和恐慌で多くの銀行が潰れて、財産を失った人も多かったようです。戦争中の貯蓄は敗戦とインフレでタダ同然になりましたが、その後は金融行政は確りして、銀行にお金を預けておけば絶対安心になりました。

 近年はペイオフ制度などが導入され、安心という面では退化していますが、それでも、まあ、安心でしょう。
 
 ところで、国と国の貸し借りの場合はどうでしょうか。今に至る、銀行制度の発達する前の状態ではないでしょうか。
 今でも個人間では、金を貸すなら「呉れてやるつもりで貸せ」などといいますが、国家間で貸し借りした金は、なかなか取り立てられないことが多いですね。

 しかも、貸し借りの手段が「国債」といった債券ですから、マーケットでの売買の状況、金利の水準、為替レートの変動などで、価値が変わります。国家間の金の貸し借りは、個人間の金の貸し借りのように不安定極まりないのが現状です。

 グローバリズムがここまで進展してきた今日の世界です。IMFや世界銀行のような組織が、SDRのような共通な価値を持つものを使って、個人間の貸し借りが、銀行を通じて安全かつ合理的にできるようになったのと同じように、リスクを最小限 にする国際間の預金と融資の機能を果たすようなシステムを、いずれは作るべきなのでしょう。

 金融の役割というのは、本来そういうもので、国際投機資本がキャピタルゲインを求めて跋扈するような状態は、「国際金融制度が未開の時代のものだった」と、何時の日か言えるようにしたいものです。