金融資本主義の行方
子供の頃読んだ童話にこんなのがありました。
ある小さな国で、王様が小さなピンクの貝殻を「お金」に使うことを決めました。きれいで、なかなか無い貝殻なので、巧くお金の役割を果たしていました。
しかし、ある時、国中に、「ある谷にいって川を掘ると、その貝殻が見つかる」ということが知れるようになりました。
そこで国中の人が、だんだんその谷に集まって貝殻探しに血眼になり、誰も畠で作物を作る人がいなくなりました。
作物が獲れなくなってその国は滅びました。
どうしてこんな童話を覚えているのか、自分にもわかりませんが、この童話は、私に、「お金」というものの意味を、大変わかりやすく教えてくれたので印象に残ったのでしょう。
「お金さえあれば」と誰しも考えますが、買うものが無ければ、お金は無価値です。ですから、お金さえあればというのは、「誰かが自分の欲しいものを生産してくれている」という前提のものでしか成立しない考え方です。
資本主義が高度化すると、金融資本主義になるという意見は昔からあって、アメリカはそれを実践したようです。
世界の工場といわれるような国が地球上のどこかにあれば、それで、アメリカはすべて巧くいくと思ったのでしょう。
金融資本主義というのは本当に地球という「小さな国」を幸せにするのでしょうか。今回は、世界中が金融資本主義になる前に、アメリカが自分で転んだだけのことですが、物事の本質はやはりみんなに見えてしまった、ということでしょう。
子供の頃読んだ童話にこんなのがありました。
ある小さな国で、王様が小さなピンクの貝殻を「お金」に使うことを決めました。きれいで、なかなか無い貝殻なので、巧くお金の役割を果たしていました。
しかし、ある時、国中に、「ある谷にいって川を掘ると、その貝殻が見つかる」ということが知れるようになりました。
そこで国中の人が、だんだんその谷に集まって貝殻探しに血眼になり、誰も畠で作物を作る人がいなくなりました。
作物が獲れなくなってその国は滅びました。
どうしてこんな童話を覚えているのか、自分にもわかりませんが、この童話は、私に、「お金」というものの意味を、大変わかりやすく教えてくれたので印象に残ったのでしょう。
「お金さえあれば」と誰しも考えますが、買うものが無ければ、お金は無価値です。ですから、お金さえあればというのは、「誰かが自分の欲しいものを生産してくれている」という前提のものでしか成立しない考え方です。
資本主義が高度化すると、金融資本主義になるという意見は昔からあって、アメリカはそれを実践したようです。
世界の工場といわれるような国が地球上のどこかにあれば、それで、アメリカはすべて巧くいくと思ったのでしょう。
金融資本主義というのは本当に地球という「小さな国」を幸せにするのでしょうか。今回は、世界中が金融資本主義になる前に、アメリカが自分で転んだだけのことですが、物事の本質はやはりみんなに見えてしまった、ということでしょう。