2025年2月、「宮城県・村井知事がイスラム教信者の為に土葬可能な墓地の整備を計画している」という報道が出た。
「多様性を大切に」とか「共存共栄」というお花畑脳の妄想に取り憑かれた村井知事は「土葬OK。早速整備しよう」と決めて、反対の論争が巻き起こる中でも「やらねばならぬ」として意固地な姿勢を見せている。
最初に結論を書くと、この手の問題の最適解は
「郷に入っては郷に従え」
である。もう、これに尽きると言って過言ではない。日本に来たなら日本の文化・伝統を重んじて下さい、ということだ。日本の法律では決して土葬を禁じている訳では無いし、ある種の離島などではその地域の伝統文化(宗教含む)として土葬が行われているところもある。だが、9割以上、ほぼ100%に近い割合で火葬が主体となっている事実は記しておく。
日本人がイスラム教文化の国に行けば、そこの文化伝統に従って生き、そして死んでゆく事に抵抗はないだろう。相手国の文化・伝統を尊重する心があるからだ。もしも抵抗があるなら日本に戻ればいいのだ。同様に、在日のイスラム系外国人もまた日本に対して無理やり土葬を求めるのなら、いっそ故国へ戻って埋葬すれば良いのである。
それだけのことなのだが、イスラム教徒は聞かん坊で強硬な態度を取っている。そもそも移民等で日本にやってきた外国人、特にイスラム系の人々は川口市のクルド人問題を持ち出すまでもなく、ここが日本であり、自分たちのそれとは異なる文化伝統がある国だと知っていながら、自分たちの文化・伝統・慣習を当然のようにそのまま日本で踏襲しようとしている。彼らの多くは日本の文化やルールに合わせる気もない。ひたすら自分ルールを日本に押し付けようとしているのが実態だ。そうではない人も居るが、ほとんどの人は前述の通りである。そしてまずいことに、日本の行政も警察もへっぴり腰でイスラム系外国人には手を出さず、従ってクルド人をはじめとしてイスラム系移民者は好き勝手やりたい放題なのである。そのおかげで日本国民が多大な迷惑を被っている、という事実もある。川口市などは外国人の住民登録が増える一方で日本人の住民がどんどん市外へ逃げ出している。
イスラム系外国人は放っておいたらありとあらゆる事をイスラム文化に塗り替えようとするのだ。宮城県の村井知事は「多文化社会と言いながら、そういったところまで目が行き届いていないということは、私は行政としていかがかなとその時に強く感じましたので、批判があってもこれはやらなければならないと思っています」とムキになってこの計画を進めるようだ。反対されると意固地になる気質の人物なようである。ここに日本の政治家のお人好しで阿呆な側面が表れている。イスラム系外国人は日本人のこうしたお人好しで性善説に基づく価値観を利用して自分たちの文化・慣習を日本に飲ませようとしているのである。まず土葬を受け入れさせる…これは出来た…次はこれ…その次はあれ…とキリがない。このまま行けばイスラム系外国人の要求はどこまでもエスカレートしてゆくだろう。彼らが要求する通りにやっていたら、やがて此処が(文化的に)日本ではなくなってしまう…そこまで行くであろうことは間違いないだろう。宮城県・村井知事にはそこが見えていない。純情・純朴なまま育ってしまった坊やなのだろうか。これが単なる土葬の問題としか捉えられず、その先に何が待ち構えているかが想像できていないのである。考えなしのお人好しで、問題の捉え方の基本が分かっていないからだ。政治家としてはまさにボンクラであり、前述のように単純なお人好し、と言えよう。一般的にこういう人は馬と鹿で構成される熟語で表される場合が多い。
そもそも、日本に於ける墓地事情・墓地文化について改めて記しておく。ここからは作家で実業家でもある竹田恒泰氏の解説を基調にして展開してゆく。
まず、前提として、日本では火葬が標準である。墓地埋葬法という法律があって、詳しく見ればかなり厳格に規制されているのだが、ここで俎上に載せられている「土葬が駄目だ」、という法律にはなっていないのだ。
埋葬時には必ず自治体からの許可が必要になる。火葬には火葬許可が必要だし、土葬するにも土葬許可が必要である。そして、事実上、土葬許可を出さない自治体が多いのが実態である。なので、禁止されている訳ではないが事実上「出来ない」事になっている…ということだ。
日本における火葬率は 99.97% である。土葬は、と言えば、例えば東日本大震災の時のように火葬が不可能な状況下で例外的に土葬になった、というケースもある。後は個別の事情で、というケースもあるがそれは各自治体に任されている。
元々、土葬が出来る自治体は限られている。北海道・宮城県・栃木県・茨城県・岐阜県・奈良県・三重県・鳥取県・高知県の一部(離島など)では古来からの宗教文化の関係で土葬という場合があり、その場合は自治体が特別に許可している、というのが現状だ。そういうわけで、我々日本人にとっては火葬が標準(スタンダード)である、と言って間違いないのである。
また、多くの日本国民にとって骨壺に焼骨が入っている方が普通だし怖くないであろう。一方、土中に生の遺体が埋められているのはちょっと怖いのも普通の人の感覚だと言えよう。神道的には「火葬を経た焼骨は穢れではない」のである。その一方で「ご遺体は穢れである」とされている。その証拠に、お葬式に行くと、お清めの塩をもらって、帰宅して家に入る前にその塩を自分の身体に振りかける、という行為をするのが普通である。しかし、お墓参りに行ってもお清めの塩は使わない・・・そういうことなのである。お墓参りをしてもそこにはご遺体は無く、焼骨だけなので穢れではない、ということなのだ。繰り返すが、葬儀・通夜の場合は、昔からご遺体は穢れである、と考えているので仏式であってもお清めの塩が付いてくるのである。この違いが重要だ。
仮に日本のあちこちに土葬墓があったとしたらどうなるか?そうなると、人魂も出るだろうし、腐敗することで窪みが生ずる事もあるだろうし、何ならその地域の地質成分や地下水にも影響を及ぼす可能性もある。そして、お墓参りに行ってもお清めの塩を振りかけなければならなくなるのだ。そういうことで昔の人はこれを避けていたのである。また、伝染病が発生するケースも可能性として考えておく必要も出てくる。
そもそも、狭い日本の国土で土葬をやられてしまうと墓地の面積を桁違いに増やさなければならなくなる。ここがイスラム系外国人は意識できていないし村井知事もそうだ。焼骨を収めた骨壺なら狭い場所でも何柱でも入るが、土葬だととんでもなく広いスペースが取られてしまうので大変なのだ。
結局、宮城県在住の日本人は火葬な訳で、イスラム系外国人の為にはるかに広い墓地を公費で用意しなくてはならない、というのはどこかおかしなことである。イスラム教徒だけ特別にお金と手間がかかる、というのはおかしい、ということだ。
困ったことに、こうした問題が起きるとイスラム差別・ヘイトなどが発生する可能性もある。だから宮城県の村井知事のような「イスラム教徒優遇」をしてしまうと、逆にそれで差別感情を生んでしまう可能性がある。だったら、イスラム系外国人に限らず、日本人でも誰でも希望すれば土葬墓地に入れるようにしないといけないだろう。
だが、ここで根本的な疑問に戻る。
そもそも「火葬」でよくないか?・・・ということだ。
冒頭に書いた結論…「郷に入っては郷に従え」で解決するのが最も適した解であると思われる。イスラム系外国人が火葬を嫌がるのなら、故国に戻して土葬して下さい、というのが最も普遍妥当性のある結論になるであろう。
上述したように、日本では火葬が99%以上の割合を占めるのであり、従ってこれが日本のルールと断言して良いだろう。
もう一つ。これまで数多の外国人キリスト教徒が日本に来ているのであり、日本人の中にもキリスト教徒は存在する。だが、彼らは誰も「土葬にしてくれ」とは言っていない。ちゃんと「郷に入っては郷に従え」を守っているのだ。キリスト教は基本的に土葬文化である。その状況で宮城県のようにイスラム教徒だけ土葬を認めてしまうのはどう見てもおかしいだろう。今までの数多のキリスト教徒は日本のルールである火葬で150年もやってきたのである。なので、村井知事が最初にやるべきことはイスラム教徒に対して「火葬」をお願いすることだろう。各種の環境問題や日本古来のルールであることをベースにしてお願いすべきなのだ。それで相手が嫌だと言うのなら、ご遺体を故国に戻して葬って下さい、と言うべきなのである。これが日本国の中で日本人が言える普通の事なのだ。
恐ろしいのは、今後、村井知事のような考えなしのボンクラ知事が日本各地に出てくることだ。そうなると、イスラム墓地反対の動きが日本全土で澎湃(ほうはい)として湧き上がってくる可能性もある。そうなると異文化共生ではなく、争いのネタを作ってしまう事にもなりかねないのだ。その意味でも村井知事の愚行は大きな問題と言えよう。
しかもこれは宗教に関わる問題なので非常にセンシティブに扱わなければならない事でもある。村井知事は「イスラム教徒と仲良く共存」を目指してやっているのかもしれないが、むしろ逆効果になる公算が大きいのだ。
だから、だ。
共存するなら「郷に入っては郷に従え」のルールでやるしかない。それは古今東西、最も妥当性が高い解決法であろう。そうでないと、イスラム教徒の要望をどこまで汲み取るのか、という事になる。彼らの要求はキリがなく、放置しておけばどこまでもイスラム文化を日本に押し付けてくるであろうことは明らかなのだ。向こう側に「日本様式に合わせる意志など皆無」なのだから。それは川口市のクルド人を見れば一目瞭然であろう。あれが答えだ。
村井知事という人は自分の政策が反対されると意固地になる傾向が強い人であり、それが日本をまずい状況に追い込む原因になっているのは非常に困った事である。
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