Altered Notes

Something New.

安倍元総理暗殺の裏側 DSとマスコミの奇妙な動き

2025-03-21 16:16:16 | 社会・政治

USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)の闇については以前の記事(下記リンク先)でも触れた。

左派の世論誘導 USAID問題

1961年にJ.F.ケネディによって創設されたこの組織は、発展途上国への援助を中心に活動していたが、ケネディが暗殺された後でディープ・ステート(DS)に乗っ取られてしまった。すなわち米国務省やCIA(中央情報局)の傘下に位置づけられて暗躍する工作機関となっていったのである。

USAIDは、ざっくり言えば、リベラル・グローバリスト・左翼に都合の良い世界情勢を作るために諸外国の報道機関(日本含む)などに資金を援助してDSに都合が悪い言論や動きを弾圧し潰す事が主な任務となっている。

上記の通り、日本の報道機関もご多分に漏れず、しっかり資金提供を受けていたようである。日本マスコミのあからさまな左翼贔屓な姿勢を見せられれば誰でも判るだろう。公共放送であるNHKもそうだ。「反日姿勢」の番組を制作した事は数しれず、「軍艦島」に関するでたらめな内容のドキュメンタリーを作って垂れ流し、未だに反省もせず訂正もしていない。最近ではNHKの中国語ラジオ放送で「尖閣諸島は中国領土だ」と言い放った事でも判るだろう。NHK内部はほぼすべてが侵食されていると見て間違いない。

そもそもUSAIDが狂気の組織と化していた現状を変えるべく、トランプ大統領はこれを解体したことでDSは発狂しているようだが、もちろん日本のマスコミはほとんど報道せず、極力国民には知らせない姿勢である。

こうした異常で狂気に満ちたUSAID関係の動向は、安倍元総理の暗殺の時にも裏でこの組織が動いていた事を示唆している。下記の画像をご覧頂きたい。安倍氏が暗殺された日の翌日の新聞各紙の見出しが全部同じ、というのはどう考えても異常である。新聞各社が裏でどこかから指令を受け、「こうしろ」と指図を受けないとここまで同じ見出しになることは絶対に無い!と断言できる。このあまりに奇妙で異常な事態・・・。

暗殺事件が起きたその日からマスコミ各社は「海上自衛隊員が~」「統一教会が~」と予め決まっていたかのように一斉に犯人と背後関係について報道しまくった。その推測の中に(各社揃って)一つだけ無かったもの・・・それは「左翼」である。安部氏を根拠なく逆恨みしていたのは常に左翼勢力だったのだ。そしてその背後の中国や韓国・北朝鮮である。これら勢力にとって安部氏は「都合の悪いトップリーダー」だった。ならば、暗殺犯人として推定できる犯人の正体が「左翼勢力」である可能性が最も高い事になる。だが、マスコミは犯人の正体追及に於いて「左翼」だけ外して報道しまくったのだ。それはあたかも「左翼が犯行主体だった」という最も確率の高い推論・憶測を必死に覆い隠すかのような動きだったのである。

そして…安倍氏の暗殺からかなりの月日が経過しているにも関わらず、未だに初公判の期日すら決まっていない異常さ。裏にとんでもない闇事情が必ず存在しているであろう事が容易に推測できるのだ。

 

最後に思うところを追記する。

東京駅構内には二人の首相暗殺場所を示すマークが設置されている。原敬首相と浜口雄幸首相である。それは歴史上、国民が忘れてはならない出来事としての象徴的な意味合いがある。

しかし、世界から敬愛された安部元総理の暗殺現場(西大寺駅北口)には、ここが暗殺現場である事を示すマークも碑も何も無い。それは奈良県警や奈良県行政の安部元総理に対する感情がベースになっており、彼らが左派である証拠であろうと筆者は推察している。普通に考えれば、暗殺現場に何も設置しない、という事は考えられないのである。トランプ大統領をはじめ、世界中のトップリーダーから敬愛されて、常に「アベは何と言っている?」と安部氏の見解を求めていた首脳は多かった。国際政治においてこれだけ存在感を示した日本の総理大臣は安部氏だけである。アメリカの大統領ですら安倍氏を頼りにしていたのだ。こんなこと空前絶後である。その安部氏の暗殺現場に何もメモリアルなものを設置しない奈良県警と奈良県行政の無神経と無責任に対して筆者は大きく深い怒りを感じている。

暗殺事件の闇に蠢いているであろうUSAIDや中国等の工作が存在している事は数多の傍証からまず間違いない、と見ている。大きな括りで言えば「左翼」だ。これらの闇をきちんと解明しなくては安部氏暗殺事件は終わらないのである。

 

 

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世良公則氏の極めて真っ当な意見

2025-03-19 16:16:16 | 社会・政治

現在の日本政府は日本人からお金を搾り取れるだけ搾り取り、それを外国人に無秩序と言えるほどばら撒いている。かなり行き過ぎており、酷い状況だ。看過できないものがある。産経新聞の記事を参照されたい。↓

 

「外国人の生活保護、法的根拠ない」維新・柳ケ瀬氏 福岡厚労相「外国人対象外は不適当」

 

在日外国人だけではない。岸田政権の時もそうだったが、日本人に対しては次々に「増税・社会負担増」を押し付けておきながら、諸外国へは気前よくお金を差し出してしまう。増税メガネは世界から「体の良い財布」と思われていたのであり、それは今の石破政権でも変わりない。岸田文雄氏も石破茂氏も「総理大臣になりたかった」だけの人間であり、国家観も思想も無く、何も中身の無い薄っぺらい人物である。この二人の関心事は利権と選挙の事だけであろう。(蔑笑)

 

30年間賃金は上がらず、国民は貧しくなり、結婚も諦める人が増加している。それは否応なく少子化が進行する原因にもなっている。だが、政府は一向にこの方向から向きを変えない。これは政府だけでなく、諸悪の根源とも言われる財務省がフィクサーでもあるのだが、結局最後は政治家の多くが無能であることで日本を痛めつけ貧しくしてきたのである。

移民政策も、欧米では既に「移民政策は失敗だった」と大反省して保守的な政策に回帰しているのに対して、日本は周回遅れで「移民受け入れ」に邁進している。この間抜けさには閉口する。在日外国人が増えれば、彼らに対する支出も増える。上記記事は際限の無い外国人優遇への警鐘だが、政府は逆に益々外国人優遇を進める考えである。

こうした状況にミュージシャンの世良公則氏が根本的な疑問を呈している。下記リンク先記事を参照されたい。↓

 

世良公則氏の意見を掲載した記事

 

今や、政府も政治家も官僚も国民を痛めつけることに躊躇がない。日本人から巻き上げて外国人にばら撒く…こればかりだ。どう見ても気が狂っているとしか思えない。岸田政権も石破政権も左翼思想が根本にあり、石破政権に至っては立憲民主党よりも左寄りであることが指摘されているくらいだ。以前の「悪夢の民主党政権時代」を思い出すまでもなく、政治を左翼にまかせていると、どんどん日本が崩壊してゆくのである。放っておいたら日本は完全に破壊されてしまい、気がついたら他国の支配下になっていた…という未来も冗談では済まない時代になってきている。きちんとした国家観を持ち、優れたリーダーシップが取れる本物の政治家が出現してほしい…そういう時代になっている。

 

 

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<参考資料>

ビートたけし氏が日本の未来を憂慮「この国は将来、何で食っていくんだろう…」が話題

 

 

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「大衆動員」手法を駆使したTBS 立花氏暗殺未遂事件

2025-03-16 13:13:13 | 社会・政治

2025年3月14日、都内の財務省近辺で演説中だったNHKから国民を守る党の立花孝志党首がナタ状の刃物で切りつけられて怪我をした事件があった。犯人の宮西詩音容疑者は犯行直後に笑顔で「失敗しちゃった」とあっけらかんと話していたが、これだけで頭がオカシイ輩であることが判る。しかも、犯行動機について宮西容疑者は

「他の議員を自殺に追い込むような奴だから、やった」「殺意は間違いなくあった」

…と殺すことが目的であった事を自供している。

 

ここで当ブログで以前紹介した中国の「大衆動員」という「国民を怨嗟感情で煽る手法」が使われた、と見られる事を書かない訳にはいかない。「大衆動員」という手法は下記の記事に詳しく解説しているので参照されたい。

「大衆動員」を使って日本人を攻撃する中国

要するに、メディアを使って「あいつが悪い。全てはあいつのせいだ」とばかりに特定の人物を名指しして何度も何度も繰り返して放送することで国民の間に「特定の相手」に対する「恨みの感情」「怨嗟感情」を植え付けて煽り立てるのである。(*1) 「はじめに結論ありき」で「こいつが全部悪いんだよね」と決めつけて特定の個人を攻撃する。それを繰り返し放送すれば、テレビしか見ていない情報弱者は「そうなんだ」と思ってしまうのである。そしてその中には「あいつ許せん!」と義憤にかられて殺人行為に走る人が出てくる・・・これが「大衆動員」という手法であり、共産主義国などでは当たり前の手法であり、日本でも左翼系の人なら誰でも知っている手法である。

実際に安倍政権の頃に当時の安倍総理を嘘やデマで攻撃し続けたマスコミの扇動にまんまと乗せられた法政大学の山口二郎教授は2015年8月のデモに参加した際に「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」などと殺害予告に等しい発言をしている。

そして、まさにこの手法を使って日本国民の情報弱者に「立花孝志が全部悪い」と「100:0」の割合で「立花孝志悪者論」を繰り返し放送 (*2) して、国民の間に立花氏への怨嗟感情を醸成し煽りに煽った放送局・番組が

東京放送(TBS)の「報道特集」

である。この番組はそもそも評判が悪く、番組名も「偏向報道特集」と揶揄されているくらいである。当該番組は昨年から最近に至るまで8回に渡って立花氏を悪者と決めつけた放送をしてきた。印象操作である。

宮西容疑者の「他の議員を自殺に追い込む~」という供述はまさにこのTBS「報道特集」が訴求してきた内容に合致しているのであり、TBSによって大衆動員されてしまった人物、と言えよう。TBSは左翼で親中・媚中の放送局であり、やっていること、言っている事、発想、思考の全てが共産主義国である中国に似ているのである。

 

元テレビ・ディレクターだった さっきー氏 の動画に事件の経緯が説明されているので是非参照されたい。↓

【立花孝志氏 襲撃】 TBS報道特集のしつような偏向報道が原因である可能性について

 

また、TBSの正体について解説した記事があるので、こちらも参照されたい。↓

TBS「報道特集」の偏向度合い

テロ組織ハマスを擁護する人々

TBSが犯した取り返しのつかない大罪

 

「大衆動員」という中国がよくやる手法を平然と執行できてしまうあたりは、流石に親中の左翼放送局(左翼の情報工作機関)と言えよう。TBSはオウム真理教事件で坂本弁護士一家殺害という大惨事を招いておきながら、全く反省せずに何度でも同じ間違いを繰り返している狂気の放送局である。放送局というより、極左活動家の集まり(組織)と呼んだ方がぴったりくるだろう。

最後にもう一度記しておく。

TBSがやったのは中国の「大衆動員」手法そのものである。

 

 

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(*1)

最近よく聞く言葉で言えば「犬笛を吹く」というやつである。

(*2)

放送法では中立・公正の立場での報道が義務付けられている。片方の立場の意見だけでなく、反対側の意見も平等に放送しなければならない事になっているが、TBSはお構いなしに「100:0」で振り切って、とにかく「立花=悪」という印象操作を執拗にやりまくったのである。明白な放送法違反だ。左翼が蔓延るTV界ではこの手の放送法違反は日常茶飯事となっている。

 

 

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感動的な「THE END」

2025-03-13 16:45:00 | 音楽

ポールマッカートニーやビートルズ周辺の事情に詳しい方なら「何を今さら」、な内容ではあるが、敢えて記しておきたい。

1997年9月15日、イギリス・ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホールで、とある慈善コンサートが開催された。それは

モントセラト島救済コンサート

である。その詳細は上記リンク先の記事を参照されたい。

エリザベス女王陛下もご臨席されたこのコンサートには、ポップス・ロックの世界から超が付く有名なミュージシャンが参加して行われた。ただ、この夜のコンサートが特別に豪華だったのは、ジョージ・マーティン(ビートルズの音楽プロデューサーでもあった)による音楽面のプロデュース・セッティングが非常に良く、各ミュージシャンだけでなく、弦楽隊(ストリングス)・管楽器(ホーンセクション)とコーラス隊を多数入れることで全体としてリッチな音楽、リッチなサウンドを作り上げたのである。

コンサートのメインキャストはポール・マッカートニーをはじめ、エリック・クラプトン、フィル・コリンズ、エルトン・ジョン、スティング、マーク・ノップラー、カール・パーキンスやその他の有能なミュージシャンが多数参加している。各々のミュージシャンの持ち曲が次々と披露されてゆく中、コンサートの締めくくりとしてThe Beatles の往年の名盤にして実質的に最後のアルバムとなった「 Abbey Road 」、しかもそのB面(アナログレコードのB面)に登場する短い曲がメドレーで演奏される部分から「Golden Slumbers/ Carry that Weight/ The End」が演奏されたのである。この部分はポール・マッカートニーも色々な場面で好んで演奏しているが、この夜が凄かったのは、上述のようにジョージ・マーティンによるディレクションによってオーケストラが加わることで、ほぼ「Abbey Road」で聴かれたサウンドの完全再現が成された事だろう。何しろ「Abbey Road」の音楽プロデュースをした本人(ジョージ・マーティン)が自らプロデュースにあたっているのだ。

当日のコンサートから、上記の部分の映像があるのでご覧頂きたい。

Paul McCartney Golden Slumbers , Carry That Weight , The End

ポール自身の歌唱力に若干「あれ?」というフシもあるが、それはさておき、鳴らされている音楽全体のクォリティは非常に高く感動的なものとなった、と言えよう。非常に大編成のバンド+オーケストラではあるが、その全体を引き締めるドラムはフィル・コリンズである。「The End」で出てくるリンゴ・スターのシンプルなドラムソロ・パートも迫力のある音楽的な演奏に昇華させて緊張と弛緩が同時に成立するグルーヴ感を生み出す事に成功している。実に音楽的なドラム演奏である。

同じく「The End」の中で3人のギタリストが2小節ずつソロを取る(回す)パートがある。ここは元のレコード(Abbey Road)ではポール、ジョン、ジョージの3人がソロを回していったのだが、このコンサートではポール、マーク・ノップラー、エリック・クラプトンの3人が各々2小節ずつソロを回している。

そして「The End」の大団円ではオーケストラが盛り上げるサウンドも素晴らしく、ジョージ・マーティンの素晴らしい指揮もあって感動的なエンディングを迎えるのである。舞台上のミュージシャンたちは実に気持ち良かったであろう。まさに「Abbey Road」のあのサウンドが再現されたのであり、全体のお膳立てをしたジョージ・マーティンには最高の賛辞が贈られて然るべきである。

 

参考までに、コンサートで演奏された部分の元のレコード(Abbey Road)の演奏は下記のリンク先を参照されたい。

Beatles Remastered 2009 HIGH QUALITY SOUND - (Golden Slumbers/ Carry that Weight/ The End)

 

 

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土葬問題 想像力皆無でお人好しな宮城県知事

2025-03-09 18:18:18 | 社会・政治

2025年2月、「宮城県・村井知事がイスラム教信者の為に土葬可能な墓地の整備を計画している」という報道が出た。

「多様性を大切に」とか「共存共栄」というお花畑脳の妄想に取り憑かれた村井知事は「土葬OK。早速整備しよう」と決めて、反対の論争が巻き起こる中でも「やらねばならぬ」として意固地な姿勢を見せている。

最初に結論を書くと、この手の問題の最適解は

「郷に入っては郷に従え」

である。もう、これに尽きると言って過言ではない。日本に来たなら日本の文化・伝統を重んじて下さい、ということだ。日本の法律では決して土葬を禁じている訳では無いし、ある種の離島などではその地域の伝統文化(宗教含む)として土葬が行われているところもある。だが、9割以上、ほぼ100%に近い割合で火葬が主体となっている事実は記しておく。

日本人がイスラム教文化の国に行けば、そこの文化伝統に従って生き、そして死んでゆく事に抵抗はないだろう。相手国の文化・伝統を尊重する心があるからだ。もしも抵抗があるなら日本に戻ればいいのだ。同様に、在日のイスラム系外国人もまた日本に対して無理やり土葬を求めるのなら、いっそ故国へ戻って埋葬すれば良いのである。

それだけのことなのだが、イスラム教徒は聞かん坊で強硬な態度を取っている。そもそも移民等で日本にやってきた外国人、特にイスラム系の人々は川口市のクルド人問題を持ち出すまでもなく、ここが日本であり、自分たちのそれとは異なる文化伝統がある国だと知っていながら、自分たちの文化・伝統・慣習を当然のようにそのまま日本で踏襲しようとしている。彼らの多くは日本の文化やルールに合わせる気もない。ひたすら自分ルールを日本に押し付けようとしているのが実態だ。そうではない人も居るが、ほとんどの人は前述の通りである。そしてまずいことに、日本の行政も警察もへっぴり腰でイスラム系外国人には手を出さず、従ってクルド人をはじめとしてイスラム系移民者は好き勝手やりたい放題なのである。そのおかげで日本国民が多大な迷惑を被っている、という事実もある。川口市などは外国人の住民登録が増える一方で日本人の住民がどんどん市外へ逃げ出している。

イスラム系外国人は放っておいたらありとあらゆる事をイスラム文化に塗り替えようとするのだ。宮城県の村井知事は「多文化社会と言いながら、そういったところまで目が行き届いていないということは、私は行政としていかがかなとその時に強く感じましたので、批判があってもこれはやらなければならないと思っています」とムキになってこの計画を進めるようだ。反対されると意固地になる気質の人物なようである。ここに日本の政治家のお人好しで阿呆な側面が表れている。イスラム系外国人は日本人のこうしたお人好しで性善説に基づく価値観を利用して自分たちの文化・慣習を日本に飲ませようとしているのである。まず土葬を受け入れさせる…これは出来た…次はこれ…その次はあれ…とキリがない。このまま行けばイスラム系外国人の要求はどこまでもエスカレートしてゆくだろう。彼らが要求する通りにやっていたら、やがて此処が(文化的に)日本ではなくなってしまう…そこまで行くであろうことは間違いないだろう。宮城県・村井知事にはそこが見えていない。純情・純朴なまま育ってしまった坊やなのだろうか。これが単なる土葬の問題としか捉えられず、その先に何が待ち構えているかが想像できていないのである。考えなしのお人好しで、問題の捉え方の基本が分かっていないからだ。政治家としてはまさにボンクラであり、前述のように単純なお人好し、と言えよう。一般的にこういう人は馬と鹿で構成される熟語で表される場合が多い。

 

そもそも、日本に於ける墓地事情・墓地文化について改めて記しておく。ここからは作家で実業家でもある竹田恒泰氏の解説を基調にして展開してゆく。

まず、前提として、日本では火葬が標準である。墓地埋葬法という法律があって、詳しく見ればかなり厳格に規制されているのだが、ここで俎上に載せられている「土葬が駄目だ」、という法律にはなっていないのだ。

埋葬時には必ず自治体からの許可が必要になる。火葬には火葬許可が必要だし、土葬するにも土葬許可が必要である。そして、事実上、土葬許可を出さない自治体が多いのが実態である。なので、禁止されている訳ではないが事実上「出来ない」事になっている…ということだ。

日本における火葬率は 99.97% である。土葬は、と言えば、例えば東日本大震災の時のように火葬が不可能な状況下で例外的に土葬になった、というケースもある。後は個別の事情で、というケースもあるがそれは各自治体に任されている。

元々、土葬が出来る自治体は限られている。北海道・宮城県・栃木県・茨城県・岐阜県・奈良県・三重県・鳥取県・高知県の一部(離島など)では古来からの宗教文化の関係で土葬という場合があり、その場合は自治体が特別に許可している、というのが現状だ。そういうわけで、我々日本人にとっては火葬が標準(スタンダード)である、と言って間違いないのである。

また、多くの日本国民にとって骨壺に焼骨が入っている方が普通だし怖くないであろう。一方、土中に生の遺体が埋められているのはちょっと怖いのも普通の人の感覚だと言えよう。神道的には「火葬を経た焼骨は穢れではない」のである。その一方で「ご遺体は穢れである」とされている。その証拠に、お葬式に行くと、お清めの塩をもらって、帰宅して家に入る前にその塩を自分の身体に振りかける、という行為をするのが普通である。しかし、お墓参りに行ってもお清めの塩は使わない・・・そういうことなのである。お墓参りをしてもそこにはご遺体は無く、焼骨だけなので穢れではない、ということなのだ。繰り返すが、葬儀・通夜の場合は、昔からご遺体は穢れである、と考えているので仏式であってもお清めの塩が付いてくるのである。この違いが重要だ。

仮に日本のあちこちに土葬墓があったとしたらどうなるか?そうなると、人魂も出るだろうし、腐敗することで窪みが生ずる事もあるだろうし、何ならその地域の地質成分や地下水にも影響を及ぼす可能性もある。そして、お墓参りに行ってもお清めの塩を振りかけなければならなくなるのだ。そういうことで昔の人はこれを避けていたのである。また、伝染病が発生するケースも可能性として考えておく必要も出てくる。

そもそも、狭い日本の国土で土葬をやられてしまうと墓地の面積を桁違いに増やさなければならなくなる。ここがイスラム系外国人は意識できていないし村井知事もそうだ。焼骨を収めた骨壺なら狭い場所でも何柱でも入るが、土葬だととんでもなく広いスペースが取られてしまうので大変なのだ。

結局、宮城県在住の日本人は火葬な訳で、イスラム系外国人の為にはるかに広い墓地を公費で用意しなくてはならない、というのはどこかおかしなことである。イスラム教徒だけ特別にお金と手間がかかる、というのはおかしい、ということだ。

困ったことに、こうした問題が起きるとイスラム差別・ヘイトなどが発生する可能性もある。だから宮城県の村井知事のような「イスラム教徒優遇」をしてしまうと、逆にそれで差別感情を生んでしまう可能性がある。だったら、イスラム系外国人に限らず、日本人でも誰でも希望すれば土葬墓地に入れるようにしないといけないだろう。

だが、ここで根本的な疑問に戻る。

そもそも「火葬」でよくないか?・・・ということだ。

冒頭に書いた結論…「郷に入っては郷に従え」で解決するのが最も適した解であると思われる。イスラム系外国人が火葬を嫌がるのなら、故国に戻して土葬して下さい、というのが最も普遍妥当性のある結論になるであろう。

上述したように、日本では火葬が99%以上の割合を占めるのであり、従ってこれが日本のルールと断言して良いだろう。

 

もう一つ。これまで数多の外国人キリスト教徒が日本に来ているのであり、日本人の中にもキリスト教徒は存在する。だが、彼らは誰も「土葬にしてくれ」とは言っていない。ちゃんと「郷に入っては郷に従え」を守っているのだ。キリスト教は基本的に土葬文化である。その状況で宮城県のようにイスラム教徒だけ土葬を認めてしまうのはどう見てもおかしいだろう。今までの数多のキリスト教徒は日本のルールである火葬で150年もやってきたのである。なので、村井知事が最初にやるべきことはイスラム教徒に対して「火葬」をお願いすることだろう。各種の環境問題や日本古来のルールであることをベースにしてお願いすべきなのだ。それで相手が嫌だと言うのなら、ご遺体を故国に戻して葬って下さい、と言うべきなのである。これが日本国の中で日本人が言える普通の事なのだ。

恐ろしいのは、今後、村井知事のような考えなしのボンクラ知事が日本各地に出てくることだ。そうなると、イスラム墓地反対の動きが日本全土で澎湃(ほうはい)として湧き上がってくる可能性もある。そうなると異文化共生ではなく、争いのネタを作ってしまう事にもなりかねないのだ。その意味でも村井知事の愚行は大きな問題と言えよう。

しかもこれは宗教に関わる問題なので非常にセンシティブに扱わなければならない事でもある。村井知事は「イスラム教徒と仲良く共存」を目指してやっているのかもしれないが、むしろ逆効果になる公算が大きいのだ。

だから、だ。

共存するなら「郷に入っては郷に従え」のルールでやるしかない。それは古今東西、最も妥当性が高い解決法であろう。そうでないと、イスラム教徒の要望をどこまで汲み取るのか、という事になる。彼らの要求はキリがなく、放置しておけばどこまでもイスラム文化を日本に押し付けてくるであろうことは明らかなのだ。向こう側に「日本様式に合わせる意志など皆無」なのだから。それは川口市のクルド人を見れば一目瞭然であろう。あれが答えだ。

村井知事という人は自分の政策が反対されると意固地になる傾向が強い人であり、それが日本をまずい状況に追い込む原因になっているのは非常に困った事である。

 

 

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