Altered Notes

Something New.

感動的な「THE END」

2025-03-13 16:45:00 | 音楽

ポールマッカートニーやビートルズ周辺の事情に詳しい方なら「何を今さら」、な内容ではあるが、敢えて記しておきたい。

1997年9月15日、イギリス・ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホールで、とある慈善コンサートが開催された。それは

モントセラト島救済コンサート

である。その詳細は上記リンク先の記事を参照されたい。

エリザベス女王陛下もご臨席されたこのコンサートには、ポップス・ロックの世界から超が付く有名なミュージシャンが参加して行われた。ただ、この夜のコンサートが特別に豪華だったのは、ジョージ・マーティン(ビートルズの音楽プロデューサーでもあった)による音楽面のプロデュース・セッティングが非常に良く、各ミュージシャンだけでなく、弦楽隊(ストリングス)・管楽器(ホーンセクション)とコーラス隊を多数入れることで全体としてリッチな音楽、リッチなサウンドを作り上げたのである。

コンサートのメインキャストはポール・マッカートニーをはじめ、エリック・クラプトン、フィル・コリンズ、エルトン・ジョン、スティング、マーク・ノップラー、カール・パーキンスやその他の有能なミュージシャンが多数参加している。各々のミュージシャンの持ち曲が次々と披露されてゆく中、コンサートの締めくくりとしてThe Beatles の往年の名盤にして実質的に最後のアルバムとなった「 Abbey Road 」、しかもそのB面(アナログレコードのB面)に登場する短い曲がメドレーで演奏される部分から「Golden Slumbers/ Carry that Weight/ The End」が演奏されたのである。この部分はポール・マッカートニーも色々な場面で好んで演奏しているが、この夜が凄かったのは、上述のようにジョージ・マーティンによるディレクションによってオーケストラが加わることで、ほぼ「Abbey Road」で聴かれたサウンドの完全再現が成された事だろう。何しろ「Abbey Road」の音楽プロデュースをした本人(ジョージ・マーティン)が自らプロデュースにあたっているのだ。

当日のコンサートから、上記の部分の映像があるのでご覧頂きたい。

Paul McCartney Golden Slumbers , Carry That Weight , The End

ポール自身の歌唱力に若干「あれ?」というフシもあるが、それはさておき、鳴らされている音楽全体のクォリティは非常に高く感動的なものとなった、と言えよう。非常に大編成のバンド+オーケストラではあるが、その全体を引き締めるドラムはフィル・コリンズである。「The End」で出てくるリンゴ・スターのシンプルなドラムソロ・パートも迫力のある音楽的な演奏に昇華させて緊張と弛緩が同時に成立するグルーヴ感を生み出す事に成功している。実に音楽的なドラム演奏である。

同じく「The End」の中で3人のギタリストが2小節ずつソロを取る(回す)パートがある。ここは元のレコード(Abbey Road)ではポール、ジョン、ジョージの3人がソロを回していったのだが、このコンサートではポール、マーク・ノップラー、エリック・クラプトンの3人が各々2小節ずつソロを回している。

そして「The End」の大団円ではオーケストラが盛り上げるサウンドも素晴らしく、ジョージ・マーティンの素晴らしい指揮もあって感動的なエンディングを迎えるのである。舞台上のミュージシャンたちは実に気持ち良かったであろう。まさに「Abbey Road」のあのサウンドが再現されたのであり、全体のお膳立てをしたジョージ・マーティンには最高の賛辞が贈られて然るべきである。

 

参考までに、コンサートで演奏された部分の元のレコード(Abbey Road)の演奏は下記のリンク先を参照されたい。

Beatles Remastered 2009 HIGH QUALITY SOUND - (Golden Slumbers/ Carry that Weight/ The End)

 

 

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土葬問題 想像力皆無でお人好しな宮城県知事

2025-03-09 18:18:18 | 社会・政治

2025年2月、「宮城県・村井知事がイスラム教信者の為に土葬可能な墓地の整備を計画している」という報道が出た。

「多様性を大切に」とか「共存共栄」というお花畑脳の妄想に取り憑かれた村井知事は「土葬OK。早速整備しよう」と決めて、反対の論争が巻き起こる中でも「やらねばならぬ」として意固地な姿勢を見せている。

最初に結論を書くと、この手の問題の最適解は

「郷に入っては郷に従え」

である。もう、これに尽きると言って過言ではない。日本に来たなら日本の文化・伝統を重んじて下さい、ということだ。日本の法律では決して土葬を禁じている訳では無いし、ある種の離島などではその地域の伝統文化(宗教含む)として土葬が行われているところもある。だが、9割以上、ほぼ100%に近い割合で火葬が主体となっている事実は記しておく。

日本人がイスラム教文化の国に行けば、そこの文化伝統に従って生き、そして死んでゆく事に抵抗はないだろう。相手国の文化・伝統を尊重する心があるからだ。もしも抵抗があるなら日本に戻ればいいのだ。同様に、在日のイスラム系外国人もまた日本に対して無理やり土葬を求めるのなら、いっそ故国へ戻って埋葬すれば良いのである。

それだけのことなのだが、イスラム教徒は聞かん坊で強硬な態度を取っている。そもそも移民等で日本にやってきた外国人、特にイスラム系の人々は川口市のクルド人問題を持ち出すまでもなく、ここが日本であり、自分たちのそれとは異なる文化伝統がある国だと知っていながら、自分たちの文化・伝統・慣習を当然のようにそのまま日本で踏襲しようとしている。彼らの多くは日本の文化やルールに合わせる気もない。ひたすら自分ルールを日本に押し付けようとしているのが実態だ。そうではない人も居るが、ほとんどの人は前述の通りである。そしてまずいことに、日本の行政も警察もへっぴり腰でイスラム系外国人には手を出さず、従ってクルド人をはじめとしてイスラム系移民者は好き勝手やりたい放題なのである。そのおかげで日本国民が多大な迷惑を被っている、という事実もある。川口市などは外国人の住民登録が増える一方で日本人の住民がどんどん市外へ逃げ出している。

イスラム系外国人は放っておいたらありとあらゆる事をイスラム文化に塗り替えようとするのだ。宮城県の村井知事は「多文化社会と言いながら、そういったところまで目が行き届いていないということは、私は行政としていかがかなとその時に強く感じましたので、批判があってもこれはやらなければならないと思っています」とムキになってこの計画を進めるようだ。反対されると意固地になる気質の人物なようである。ここに日本の政治家のお人好しで阿呆な側面が表れている。イスラム系外国人は日本人のこうしたお人好しで性善説に基づく価値観を利用して自分たちの文化・慣習を日本に飲ませようとしているのである。まず土葬を受け入れさせる…これは出来た…次はこれ…その次はあれ…とキリがない。このまま行けばイスラム系外国人の要求はどこまでもエスカレートしてゆくだろう。彼らが要求する通りにやっていたら、やがて此処が(文化的に)日本ではなくなってしまう…そこまで行くであろうことは間違いないだろう。宮城県・村井知事にはそこが見えていない。純情・純朴なまま育ってしまった坊やなのだろうか。これが単なる土葬の問題としか捉えられず、その先に何が待ち構えているかが想像できていないのである。考えなしのお人好しで、問題の捉え方の基本が分かっていないからだ。政治家としてはまさにボンクラであり、前述のように単純なお人好し、と言えよう。一般的にこういう人は馬と鹿で構成される熟語で表される場合が多い。

 

そもそも、日本に於ける墓地事情・墓地文化について改めて記しておく。ここからは作家で実業家でもある竹田恒泰氏の解説を基調にして展開してゆく。

まず、前提として、日本では火葬が標準である。墓地埋葬法という法律があって、詳しく見ればかなり厳格に規制されているのだが、ここで俎上に載せられている「土葬が駄目だ」、という法律にはなっていないのだ。

埋葬時には必ず自治体からの許可が必要になる。火葬には火葬許可が必要だし、土葬するにも土葬許可が必要である。そして、事実上、土葬許可を出さない自治体が多いのが実態である。なので、禁止されている訳ではないが事実上「出来ない」事になっている…ということだ。

日本における火葬率は 99.97% である。土葬は、と言えば、例えば東日本大震災の時のように火葬が不可能な状況下で例外的に土葬になった、というケースもある。後は個別の事情で、というケースもあるがそれは各自治体に任されている。

元々、土葬が出来る自治体は限られている。北海道・宮城県・栃木県・茨城県・岐阜県・奈良県・三重県・鳥取県・高知県の一部(離島など)では古来からの宗教文化の関係で土葬という場合があり、その場合は自治体が特別に許可している、というのが現状だ。そういうわけで、我々日本人にとっては火葬が標準(スタンダード)である、と言って間違いないのである。

また、多くの日本国民にとって骨壺に焼骨が入っている方が普通だし怖くないであろう。一方、土中に生の遺体が埋められているのはちょっと怖いのも普通の人の感覚だと言えよう。神道的には「火葬を経た焼骨は穢れではない」のである。その一方で「ご遺体は穢れである」とされている。その証拠に、お葬式に行くと、お清めの塩をもらって、帰宅して家に入る前にその塩を自分の身体に振りかける、という行為をするのが普通である。しかし、お墓参りに行ってもお清めの塩は使わない・・・そういうことなのである。お墓参りをしてもそこにはご遺体は無く、焼骨だけなので穢れではない、ということなのだ。繰り返すが、葬儀・通夜の場合は、昔からご遺体は穢れである、と考えているので仏式であってもお清めの塩が付いてくるのである。この違いが重要だ。

仮に日本のあちこちに土葬墓があったとしたらどうなるか?そうなると、人魂も出るだろうし、腐敗することで窪みが生ずる事もあるだろうし、何ならその地域の地質成分や地下水にも影響を及ぼす可能性もある。そして、お墓参りに行ってもお清めの塩を振りかけなければならなくなるのだ。そういうことで昔の人はこれを避けていたのである。また、伝染病が発生するケースも可能性として考えておく必要も出てくる。

そもそも、狭い日本の国土で土葬をやられてしまうと墓地の面積を桁違いに増やさなければならなくなる。ここがイスラム系外国人は意識できていないし村井知事もそうだ。焼骨を収めた骨壺なら狭い場所でも何柱でも入るが、土葬だととんでもなく広いスペースが取られてしまうので大変なのだ。

結局、宮城県在住の日本人は火葬な訳で、イスラム系外国人の為にはるかに広い墓地を公費で用意しなくてはならない、というのはどこかおかしなことである。イスラム教徒だけ特別にお金と手間がかかる、というのはおかしい、ということだ。

困ったことに、こうした問題が起きるとイスラム差別・ヘイトなどが発生する可能性もある。だから宮城県の村井知事のような「イスラム教徒優遇」をしてしまうと、逆にそれで差別感情を生んでしまう可能性がある。だったら、イスラム系外国人に限らず、日本人でも誰でも希望すれば土葬墓地に入れるようにしないといけないだろう。

だが、ここで根本的な疑問に戻る。

そもそも「火葬」でよくないか?・・・ということだ。

冒頭に書いた結論…「郷に入っては郷に従え」で解決するのが最も適した解であると思われる。イスラム系外国人が火葬を嫌がるのなら、故国に戻して土葬して下さい、というのが最も普遍妥当性のある結論になるであろう。

上述したように、日本では火葬が99%以上の割合を占めるのであり、従ってこれが日本のルールと断言して良いだろう。

 

もう一つ。これまで数多の外国人キリスト教徒が日本に来ているのであり、日本人の中にもキリスト教徒は存在する。だが、彼らは誰も「土葬にしてくれ」とは言っていない。ちゃんと「郷に入っては郷に従え」を守っているのだ。キリスト教は基本的に土葬文化である。その状況で宮城県のようにイスラム教徒だけ土葬を認めてしまうのはどう見てもおかしいだろう。今までの数多のキリスト教徒は日本のルールである火葬で150年もやってきたのである。なので、村井知事が最初にやるべきことはイスラム教徒に対して「火葬」をお願いすることだろう。各種の環境問題や日本古来のルールであることをベースにしてお願いすべきなのだ。それで相手が嫌だと言うのなら、ご遺体を故国に戻して葬って下さい、と言うべきなのである。これが日本国の中で日本人が言える普通の事なのだ。

恐ろしいのは、今後、村井知事のような考えなしのボンクラ知事が日本各地に出てくることだ。そうなると、イスラム墓地反対の動きが日本全土で澎湃(ほうはい)として湧き上がってくる可能性もある。そうなると異文化共生ではなく、争いのネタを作ってしまう事にもなりかねないのだ。その意味でも村井知事の愚行は大きな問題と言えよう。

しかもこれは宗教に関わる問題なので非常にセンシティブに扱わなければならない事でもある。村井知事は「イスラム教徒と仲良く共存」を目指してやっているのかもしれないが、むしろ逆効果になる公算が大きいのだ。

だから、だ。

共存するなら「郷に入っては郷に従え」のルールでやるしかない。それは古今東西、最も妥当性が高い解決法であろう。そうでないと、イスラム教徒の要望をどこまで汲み取るのか、という事になる。彼らの要求はキリがなく、放置しておけばどこまでもイスラム文化を日本に押し付けてくるであろうことは明らかなのだ。向こう側に「日本様式に合わせる意志など皆無」なのだから。それは川口市のクルド人を見れば一目瞭然であろう。あれが答えだ。

村井知事という人は自分の政策が反対されると意固地になる傾向が強い人であり、それが日本をまずい状況に追い込む原因になっているのは非常に困った事である。

 

 

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「官僚のみっともない思い上がり」を元首相補佐官に見る

2025-03-05 07:45:00 | 社会・政治

まず、こちらの記事を提示する。↓

今井尚哉元首相補佐官の意外な証言 「最大の仕事は、反大蔵省軍団との対決でした」

産経新聞の記事だが、元記事は月刊中央公論3月号である。この記事について数量政策学者の高橋洋一氏がXにポストしている内容や、他のメディアで語られた内容を総合して記してゆく。

上記記事の中では、まず今井氏の凶悪な目つき顔つきが印象的(*1) だが、それと共に「私の役目は反大蔵省(財務省)軍団との対決だった」という述懐は噴飯ものと言えよう。

なぜか。

「高齢化が進行する中、消費税増税は絶対に必要」と今井氏は述べているが、実はこの考え方は根本から間違っているのだ。「前提から間違い」と言ってもいい。財務省のロジックに完全に染まっている。その理由は今井氏がこの分野についてド素人だからである。高橋氏が言うには「彼がド文系(今井氏は東大法学部卒)故」であり、文系人間の限界がここに露呈しているからである。

その訳は、世界で「消費税で社会保障を賄う国は(日本以外では)皆無である」という事実を無視していること。なぜなら社会保障は社会保険料による保険原理で成立しているのであり、消費税という税金そのものがこれにそぐわないからである。(*2) また、本来は財務省ではなく「歳入庁」を創設して最終的に国民の合意を得てから対処すべきものであるからである。これだけで今井氏の主張が誤りであることが判るのだが、このような人はこの「ちぐはぐ加減」に気が付かない阿呆、ということだ。まさに「東大阿呆(法)学部」の面目躍如といったところか。(蔑笑)だが、これは今井氏だけではなく、多くの識者と言われる人々が陥る典型的な間違いなのである。高橋氏はXポストの中で「こんなド素人では安倍さんも大変だったろう」と記している。安倍元総理は「消費税増税に反対」の立場だったが、今井氏のような”財務真理教”狂信者たちに押し切られて消費税増税をせざるを得なかった、という過去がある。多くの人が誤解しているが、総理大臣というのは絶対権力者ではない。あちこちのコンセンサスを得なければ自分が考える政策を実現できないのである。そこでの官僚、なかんずく財務官僚の押し付けの強さは半端ないものがあるのだ。これは一般の人がなかなか知り得ない部分である。

こうした実態がある事で、「今井氏はド素人」と断言出来るのである。

上記の中央公論記事中で今井氏は次のように語っている。

 

「公務員にとってのエクスタシーは、自分が世の中を動かしているという実感なんですよ」

「高齢化が進行する中、消費税増税は絶対に必要です」

「官僚の喜びは新しい社会のルールを作ること、つまり立法なんです」

 

高橋氏はこの「エクスタシー」という言葉を読んで、同じ公務員だった立場として「とても恥ずかしい」と述べている。そりゃそうだろう。「エクスタシー」…つまり「恍惚状態」である。読んでいても恥ずかしくなるような気色悪いワードセンスだ。こんなことを平気で言える神経が分からない。とんでもない思い上がりをしていることに今井氏本人が全然気がついていない上に、言っている事がどこか幼稚であるのは人として致命的であり、こんな連中が官僚をやっていたことに恐怖すら感じるところである。公務員・官僚はそもそも「事務方」と呼ばれるように、決められた仕事を淡々と着々と進めるだけ、である筈だ。…にも関わらず、「自分が世の中を動かす」というのは、あたかも「官僚は神のような存在」と本気で思い込んでいるのであろう。事務方が日本を動かす?・・・臍が茶を沸かすレベルの戯言だ。「不遜にもほどがある」暴言であろう。「新しい社会のルールを作る、つまり立法」をやるのはそもそも国会議員の仕事である。「ルールをつくる人は国会議員」であり「官僚はルールを執行する人」に過ぎないのである。その意味では今井氏は盛大に勘違い&思い上がりをしているのであり、国会議員を無視・軽視している、ということだ。官僚が立法するのなら。お前が国会議員をやれ、ということになる。今井氏の考えに立てば国会議員などそもそも不要、となるだろう。議員は官僚にとってパシリな存在でしかない、と今井氏は本気で思っているのだろう。このような発言で明確に判ることだが、今井氏は根本から間違っているし、「超絶的万能感に満ちている」様がありありと判る。驚くほど、とんでもない思い上がりの境地に達してしまっている阿呆の極み、と言えよう。悪口ではない、厳然たる事実だ。だが、この「超絶的な上から目線」こそが、むしろ今井氏という人間がド素人レベルであることを示している。ある種の中二病とも言えるだろう。滑稽である。(*3)

また、上述したように、「高齢化が進行する中、消費税増税は絶対に必要です」というコメントは世の中の数多の識者も間違うポイントである。この問題はシンプルだ。世界という観点で見れば、高齢化が進展すると社会保障費が増えるのは確かである。その社会保障費は何で賄うのだろうか?・・・社会保険料である。消費税は関係ないのだ。世界のどこの国も社会保険料で賄っているのである。保険原理で成り立つシステムなのだから社会保険料を充当するのが当然の当たり前のあったぼうな答えなのだ。ところが、だ。日本だけはこの財源に消費税を当てているのだが、これは大きな間違いである。

なぜ社会保険料なのか?…前述のように「保険だから」である。保険であることを考えれば社会保険給付と保険料がリンクするのである。100%保険料にするところがポイントである。ここでリンクするからこそ給付のレベルも自ずと決まってくるのである。ところが、日本の場合はその間に消費税が入ってくるので訳が分からなくなって混乱するのだ。社会保障給付が過大になった、と。すると、過大になるとそこに消費税をかけていく…というのは明確に間違いなのだ。これを高橋氏はかなり昔から言い続けているのに、今井氏は全く理解できず、それ以前にこういう事自体を知らないまま平気で「高齢化で消費税です」と言ってしまうのである。実に恥ずかしい無知さ加減だが、これだけで「お里が知れる」というものである。(蔑笑)

この「高齢化で消費税」と言う識者は日本でかなり多い・・・だが、その全部が「素人」なのである…と言い切れるのだ。

 

また、今井氏はこうも語っている。↓

「正直に言うと私の最大の仕事は、反大蔵省軍団との対決でした」

「財政規律やプライマリーバランスを無視した主張をする人々、具体的には内閣官房参与の本田悦朗さんや、菅内閣で内閣官房参与になる高橋洋一さんといった面々に、安倍さんが引きずられないようにする。それが私の役目でした」

「菅義偉官房長官には「増税して選挙に勝てるか」と何度も怒られましたが、安倍さんが本田さんや高橋さん、党内で言えば西田昌司さんや高市早苗さんと同様の考えであれば、私ではなく菅さんに乗った筈です」

「私の行動は彼らをにこやかに遠ざける、ある種の反政府行為だったかもしれません(笑)」

 

↑こうである。失笑を禁じ得ない。

「高橋洋一さんに引きずられないように~」云々の部分は噴飯ものであると同時に名誉毀損に近い物言いでもある。高橋氏は今井氏と話をしたことも無かったにも関わらず、こんな言い方を今井氏はするのである。自慢したくてついつい話しを盛ってしまうみっともない素人さん、と言えよう。その理由は、今井氏に基礎知識が無いからである。高橋氏は第一次政権の時に既に今井氏を見切っていたので相手にもしなかったのだ。「何も知らない人なんだな」と。だから会話もしなかったのである。

「菅義偉官房長官には「増税して選挙に勝てるか」と何度も怒られましたが、安倍さんが本田さんや高橋さん、党内で言えば西田昌司さんや高市早苗さんと同様の考えであれば、私ではなく菅さんに乗った筈です」と、「私の行動は彼らをにこやかに遠ざける、ある種の反政府行為だったかもしれません(笑)」の部分についても喫驚する言葉を今井氏は発している。「反政府行為」だと自分で言っているのだ。安倍総理が増税したのは、その前の民主党政権で決定されていた事なので、これをひっくり返すのはすくぶる大変なことなのである。高橋氏も色々言ったのだが、前政権で決まっていて安倍総理がそれをひっくり返すには強大な力が必要になる。すると安倍政権が潰れる可能性が出てくるのだ。それを安倍氏から聞いたから高橋氏は「そういうことならしょうがないですね」と言って降りただけ、である。

今井氏の発言では「プライマリーバランスを無視した主張をする人々」の中で高橋氏の名前が出てくるが、ここで今井氏の完璧な無知が露呈されている。高橋氏は「PB(プライマリーバランス)を無視した主張をしたことは1回もない」と明言している。高橋氏が言ったのは、「政府の一部門、はっきり言えば狭い政府…そこだけでPBを考えているのが間違いです」ということだ。「統合政府」という言い方をするのだが、「関連会社を含めたそういうところでPBをきちんと計算して下さい」と言っただけなのである。それは高橋氏が20年以上前から主張していることで、一部門だけでPBを見たら分からないのである。「多少は赤字でも広い部門で捉えると黒字ですから」と高橋氏は言っていたのだ。それを「一部門だけ取り上げて”赤字だ!”というのはおかしいですよ」、と言っただけなのである。「PB計算の対象が間違っています」と言っただけなのだ。

なので、今井氏が自分に都合が良いように嘘を盛り込んで発言していることがよく分かるだろう。前述のように、高橋氏が言っていたのは、「政府が計算するPBは一部門だけで全体が正しく計算されていない」ということだ。その数式は下記に示すようなものである。

 

 

高橋氏が言うには、今井氏は「ド文系で素人なので理解できないのか」、だそうだ。だから「今井が絶対に理解できないことを書いてやった」、と。(笑)色々と文句をいってくる人は居るのだが、上記の数式に反論を言ってきた人は皆無だそうだ。(笑)「どうしても反論した人が居るなら数学で持ってこい」、と高橋氏は言う。要はきっちりと根拠を示して高橋氏は言っている、ということだ。

繰り返すが、今井氏は「高橋氏がPBを無視してる」と思い込んでいたのだが、政府が計算しているPBが一部分だけしか対象にしていなかったので、「それは違う」、と正論を言っていただけなのである。それがド文系の今井氏には理解できなかったのだ。「こいつ、ずーっと分からなかった」「上記の数式を示しても(今井氏は)全然理解できなかった」、と高橋氏。だから、今井氏も高橋氏も同じ内閣の「中の人」であったにも関わらず、第二次政権の時には、今井氏は高橋氏には絶対に近寄らなかったのである。会話しても論破される(自分からは手も足も出ない)ことを予測していたのだろう。(蔑笑)高橋氏も今井氏には一切コンタクトしなかった…当然だが。必要な時は安倍総理から直接高橋氏にコンタクトしてくるので今井氏を絡ませる必要も無かったのだ。

 

 

またネット番組の中でもこの問題が議論されたのだが、その中でジャーナリストの門田隆将氏は、今井氏が「親中派」でもあった、と述べている。いかにも日本を貶める財務省の方向性と軌を一にする事実である。

高橋氏は今井氏が上で述べてきたような凶悪な人物であることを熟知していたので、第二次安倍政権に於いて高橋氏は今井氏と一切話しをしていないそうだ。議員にしろ官僚にしろ、安倍総理とのアポを取る為にみんなが今井氏にすり寄っていく実態があった。今井氏を通さなければ安倍総理には会えなかったのである。そうした中で今井氏は思い上がって図に乗ってしまったのだろう。愚かな人間である。

今井氏は経済産業省出身の官僚である。ただ、経産省であるにも関わらず財務省が大好きだったそうだ。また、門田氏によれば、今井氏は第一次安倍政権が終了した時に安倍氏を支えた一人でもあったということで安倍氏も今井氏を遠ざける訳にもいかなかった、という事情があるようだ。だからマスコミの記者たちも安倍総理の真意を探るために今井氏をチヤホヤしまくったのだ。これも今井氏が思い上がってしまった一因であろう。チヤホヤされる中で気に入ったメディアだけ優遇していたそうだ。こうした実態から、第二次安倍政権のガンとも呼べる存在が今井氏だった、と門田氏は言う。

そんな中、高橋洋一氏だけは今井氏を一切通さずに安倍総理とツーカーでやりとりしていた。高橋氏が安倍総理に会うのにいちいち今井氏を通す訳もないのだが、今井氏はこれにえらく憤りを感じていたようだ。(笑)もっとも、安倍総理は高橋洋一氏には絶大な信頼を置いていたので、用があれば安倍氏から高橋氏に直接連絡が来ていたのが本当のところである。

 

今井尚哉氏は、かつて新日鉄の社長・会長で経団連の会長、財界のドンでもあった今井敬氏の甥にあたる。経済界・財界がバックに居ると思うと、それだけでも今井氏の思い上がりは頂点に達する勢いであったろう。ただ、安倍総理に対する忠誠心は見ているこちら(門田氏ら)が恥ずかしくなるほどのものであったそうだ。忠誠心と言っても安倍総理のスケジュールから何まで全て今井氏がコントロールしようとしていた、ということでもある。そうすることで今井氏が大好きな財務省の思惑に沿うような政策に安倍氏を誘導することも目的だったのであろうことは容易に想像できる。

 

それにしても、だ。現在の、今のこの時期に「こんなこと言うか?」と呆れているのが高橋氏である。安倍氏が暗殺されていなくなったので言えるようになった、ということでもあろう。門田氏によれば「今井氏はマズいですよ」と安倍氏に進言する人も少なくなかったが、安倍氏も前述の経緯があるので「そうだね」と同意しつつも使い続けたそうである。

今現在、今井尚哉氏は キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 という肩書となっているが、大した影響力もないのが実情だ。なぜなら実力も何も無いから…と言うのは高橋氏である。実際、今井氏から説得力のある見解や言論が出てきたためしはない。今回の中央公論での対談記事でもつまらない自慢話が中心で、むしろみっともない印象しかない。あえて言うなら「どこに出しても恥ずかしい人」だろうか。高橋氏が言うには、キヤノングローバル戦略研究所は経団連の関連で天下り先の一つにすぎないようである。天下り先で自慢話・・・これが今井氏の「程度」だ。承認欲求は強いが中味も実力もない…そういう人物なのである。よほど褒めてもらいたいのかもしれないが、今回のインタビュー内容で褒めてくれる人など皆無だろう。アベノミクスを批判して足を引っ張っている…ということであり、本人も言っているように「反政府行為」なのである。(蔑笑)こんな内容は安倍氏が存命中だったら絶対に言えなかったことであろう。今はいないから言えるのだ。もし存命中に言っていたら「おまえ、何を言ってるんだ?」でお終い、な話である。こんなインタビュー内容を安倍氏がなくなってから言える、というのは相当な厚顔無恥と言えよう。呆れるばかり、である。

 

 

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<2025年3月12日:追記>

そもそもの話し、今井氏はなぜ「今」になってこんな話しをしているのだろうか?…これについて高橋洋一氏は次のように推察している。

安倍政権では安倍総理にべったり寄り添い、安倍氏に恭順の意を示していた(*4)にも関わらず、安倍氏が亡くなっていなくなったら、今井氏は「安倍総理は俺が操縦していた」とばかりに安倍氏を貶めているのだ。噂では安倍色を払拭して岸田氏に乗り換えている、ということだ。安倍氏に対しては極めて失礼な事である。その勢いに乗じて高橋洋一氏にまで事実と異なる名誉毀損相当な言葉を吐いているのだ。

なぜ、今井氏は「今」になってわざわざこんな話しをしているのだろうか?

あり得る推察から言うならば、現在政権末期を迎えている石破政権の「次の政権」で再び政府内で重用してもらいたくて、次の政権を担う総理大臣(*5)に向かって自分(今井氏)をアピールしているのではないか、ということだ。次期内閣が岸田氏の再登板という可能性もある。今井氏は岸田政権になるかもしれない次期政権で政府内に再び重用されて美味しい汁をたっぷり吸いたいのだろう、チューチューと。だから、あれだけ奉公した安倍総理をけちょんけちょんに貶してまで自分をアピールしているのである。・・・現在の政局も合わせて考慮すれば、今の時点で今井氏がわざわざこんな話しを世間に出す事は合点がいくのだ。

酷い男である。もっとも、今井氏のインタビューは発言内容が稚拙で失笑せざるを得ない箇所が多々ある事で、これがアピールになり得るのか?という疑問は残るのだが…。(蔑笑)

 

 

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(*1)

ルッキズム云々な話ではない。目つきや顔つきにはその人の人間性が滲み出るものだからである。

 

(*2)

余談だが、経済評論コメンテーターとしても知られる明治大学教授の飯田泰之氏もここが理解できていない人物である。経済が専門であるにも関わらず、高橋氏の見立てに従えば「飯田氏もド素人」ということになる。

 

(*3)

高橋氏は述懐する。第一次安倍政権の時に今井氏は既に政権内に秘書官として居た。その時の今井氏はおとなしい感じの人物だったそうだ。その後、安倍氏に気に入られて第二次安倍政権の時に秘書官になったのである。この第二次政権の時に「安倍総理のスケジュールを全て管理して全部仕切ってます」と言って憚らなかったそうだ。高橋氏の立場では、そんなことは全然関係ないので、いちいち今井氏を通さずに安倍氏にアポを取ることができたのだ。今井氏の管理下にはないからである。それが今井氏は気に入らなかったのだろう。子供のような悪感情を持っていたであろうことは想像に難くない。(蔑笑)だが、高橋氏はそんなに頻繁に安倍氏に電話などかけていないし、そもそも用がある時は安倍総理の方から直接高橋氏に連絡が来ていたのである。連絡が来れば「こうですよ」とアドバイスする、ということだ。

 

(*4)

「安倍さん命」とまで言っていたほどである。

 

(*5)

現時点(2025年3月12日)で次期内閣の総理大臣が誰になるかは未定である。

 

 

 

 

 

 

 

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日本銀行総裁の間抜けさにうんさり

2025-03-04 14:15:16 | 社会・政治

数量政策学者の高橋洋一氏が日銀総裁の間抜けな金利処理…「長期金利と短期金利の関係」について解説しているので、それを基調に記してゆく。

 

日銀の植田総裁が2月21日の予算委員会で次のような発言をした。

「長期金利が急激に上昇するような例外的状況では機動的に国債買い入れの増額を実施する」

↑これはどのような意味であろうか。

これを理解するには金融の基礎知識が必要だ、と高橋氏は言う。これは種々の状況で役立つ原理であり、金融や金利の動きについての理解が容易になるものである。

 

<金利について>

金利には大きく分けて「短期金利」「長期金利」がある。正確に言えば、「機関に応じて金利がある」ので、イールドカーブにおいて最も短いものがオーバーナイトで「1日」というのがある。さらに、「1年」「2年」・・・「10年」…と、各々の期間に応じて金利が付いている。それを図(グラフ)にしたものがイールドカーブという形になるのだ。これには「期間と金利が色々なパターン」がある。よく知らない人々は普通に「金利」と呼んでいるが、実は「どの期間の金利」であるかを言わないと無意味なのである。「期間」と「金利」が重要なのだ。一般的にはイールドカーブでの説明はやや難しいので、大体は「短期」と「長期」の2つで説明されることが多いのである。

「政策金利」という言葉を聞くケースが少ない。「日本銀行が政策金利を上げました」などという時の これ である。←これは「無担保コールオーバーナイト」と呼ばれる金利である。「無担保」であり、「コール」は銀行間のレートである。そして「オーバーナイト」は「1日」ということだ。従って「政策金利」とは本当の「短期金利」の話しなのである。「短期金利の典型」と呼べるものなのだ。なにしろ「1日」なので。

 

 

今回のこの話では、「長期金利」というのはどれくらいを指しているのか?…一般的には1年以上だが、この場合の長期金利というのは「10年」なのである。これが話題になるのは「10年国債」というのを出した時に、「その時の金利がどうなるか」、ということで話題になるから10年なのだ。もちろん「1年」の金利も長期と呼ぶ場合があるが、「10年の金利」というので上がるのである。

普通の人は「短期金利が上がると長期金利も上がる」と思い込む。このカラクリは「長期金利というのは短期金利が今後上昇すると予想されると”上がる”」というものなのだ。逆に言えば、短期金利が「これから上昇しないと思うと下がる」ものなのである。これが「短期金利の打ち止め感」というものなのだ。「打ち止め」ということになったから長期金利が下がる…ということ。「打ち止め」ということはこれ以上短期金利が上昇しないで下降する、という予想である。

「10年金利」はどのように決まるのだろうか。「1年金利」…その1年後の「1年金利」…2年後の「1年金利」…3年後の「1年金利」・・・9年後の「1年金利」で決まるものである。1年でころころ回していけば1年後、2年後、3年後の「1年金利」で決まるのだ。これはもちろん数式でも説明可能なものである。

それで短期金利が上昇すると思うと、ざっくり言えば「短期金利の平均で長期金利が決まるので長期金利が上がる」のである。

短期金利がこれから打ち止めで「下降すると思うと長期金利の方が下がる」のである。

・・・このようなメカニズムなのである。

 

これらの知識を前提にして、今回の植田日銀総裁の件を考える。

植田総裁は、これからも「金利の正常化」と言って「短期金利を上げていく」としている。従って、長期金利が上がるのは当たり前なことなのである。上がるのは当たり前なのだが、ちょっと上がりすぎちゃってマズいので、「力ずくで下げてあげます」と言っているのだ。

これは実に阿呆なことで…はっきり言って植田総裁自身が「短期金利を上げる」と言わなければそもそも上がらないものなのである。だから混乱を呼び寄せてしまっているのだ。もうね、阿呆かと、馬鹿かと・・・。

 

これを国会で追求するのなら、議員は植田総裁に向けて

「あんた、金利の正常化って言って、”上げる”って言うから上がるんでしょ」

と説明すれば、植田総裁は何も答えられない状態になるのは必定である。

つまり・・・

「自分で放火して自分で消火している」ような状況を自ら作っているのだ。植田氏が何も言わなければ何も上がらない…それが分からない植田総裁なのである。(蔑笑)

 

日銀は国債の買い入れ増額で消火しようとしているのだが、需給関係で抑え込みにかかるのだが、しかしその一方で発言しちゃっているので抑え込みが効かない時があるのだ。

だが、自分の発言を落とせばすぐに下降する筈である。でも自分の発言を落とせないから力技で抑え込むのである。かなり無理があるし、実に格好悪いのである。

 

高橋氏が言っているのは「長期金利の期待形成理論」というもので、本当の真っ当な金融理論である。「短期金利の様相によって長期金利が決まる」というのは誰も否定できないような真っ当な理論なのである。なので、国会ではそれを持ち出して植田総裁を追求して「貴方が元凶でマズいんじゃないですか?」と言えばいいのである。

何しろ、総裁本人が言いすぎて、それで「上がってしまう」のだ。「上がってるから焦ってる」のだ。なんだかなぁ~、な話しである。

仮に、だ。

これを抑え込めずに長期金利が上がったままで国債買い入れ増額を続けていったらどうなるだろうか?

国債の買い入れをする時にお金を刷って出すだけだからインフレ率が高くなるのである。これはこれで弊害が出る可能性があるのだ。「良くない」のである。

だ~か~ら~・・・

言わなきゃいいのである、余計なことを。(蔑笑)ほとんど身から出た錆なのである。

こういうことを国会で議論すればいいのである。「植田総裁が一番の問題でしょ?」という事実を明確にすべきであろう。

これらの見解は高橋氏が「長期金利の期待形成理論に基づいて言っているだけ、なのである。これは極めて普遍妥当性の高い理論であり説明力がとても高いものだ。

 

そう考えると、現在の植田日銀総裁は結構な「とんでも」な人物だった、という事である。前のめりになり過ぎているとこういう事態に至ってしまうのだ。先走っていう事を控える方がよろしい、ということなのである。

逆に敢えて先走って言うのであれば、自信を持って「この長期金利の上昇は正常です」と言い切るくらいの形にした方がよろしい、と。政策金利が上がるような印象で喋ってしまうからこういうことになるのだ。ただ、「政策金利は多分あと何回しか上がらない」などと言っておけば、あまり上がらないのである。「あと何回」と言っておけば、聞く方も「ああ、それだけか」と思って、それは上がらないのだ。「あと何回です」と言ってないので、この先ずーっと上がるように思われてしまうのである。そうすれば「そこで終わりかな」と思うのであまり上がらないのだ。植田氏の言い方が下手というか駄目過ぎたのだ。

じゃぁじゃぁじゃぁ(*1)…何でそう言わないの?…という当然の疑問が湧いてくる。

その答えは「日銀官僚はちょっとオツムが足りない」という事に尽きるだろう。上述の「あと何回です」という言い方については、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)はそういう言い方をしているからだ。なので、FRBと同様にやっていたならば、たとえ上がったとしても瞬時の事で、「あと何回です」と決まっているならばすぐに落ち着く・・・そういうことなのである。ずーっと上がり続けると思い込む人はマーケットに必ずいる。そういう意味では、日銀も植田総裁も「下手」と言えよう。

 

もう一つ・・・国会のことだ。

 

日銀側のこうした間抜けな見解に対して「どの議員も指摘できない」という事実。これは情けない。国会に高橋氏を呼べば数分で終わる話しである。

 

 

 

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(*1)

「水曜どうでしょう」の藤村Dがこんな言い方してた事を思い出したので。

 

 

 

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日本マスコミ・偏向の象徴 左派系外国人コメンテーター

2025-02-24 17:00:00 | 社会・政治

アメリカでトランプ政権第2期がスタートして、イーロン・マスク氏の協力もあって矢継ぎ早に改革を実施しているが、日本のマスコミはトランプ大統領を叩き続けている。トランプ氏がやっているのは実は極めて常識的なことばかりで、それを批判する日本のマスコミがいかに非常識であるかが判る、というものである。

日本マスコミの「トランプ叩き」はかつて日本に安倍政権があった頃に何かといえば「アベガー」を連発していた時の様相を彷彿とさせるところがある。それで判ると思うが、安倍氏もトランプ氏も真っ当な保守派だからマスコミは叩くのだ。なぜか? マスコミはほぼ全部がリベラル左翼だからであり、グローバリストでもあるからだ。今、話題のUSAIDからも資金が提供されており、日本の左傾化を推し進めている勢力でもある。

左翼は日本を破壊する事が目的で日夜活動を続けている。マスコミは戦後の公職追放(パージ)の動きがあった後から、そこに左翼が入り込んで一気に日本のメディアを奪ってしまったのである。メディアは国民への影響力が大きく強く、そこを握ってしまわれた事は痛恨のミスである。これをミスと認めてどうにかすべきだった、と後悔したのは当時の占領軍GHQである。戦時中にマスメディアで概ね部長職以上の役職にあった人間を追放したのだ。その後に入ってきたのは共産主義を信奉する左翼勢力であって、日本のマスコミがこれで左翼の支配する世界となってしまったのである。

この辺の事情を詳しく知りたい方は下記リンク先の記事を参照されたい。

日本のマスコミが左傾化した本当の理由

現在、トランプ叩きに燃えている日本のマスコミ、特にテレビ局だが、ワイドショーやニュース・ショーのコメンテーターとして外国人を使うケースが非常に多い。外国人に語らせた方が説得力があって世論誘導しやすいと思っているのだろう。日本国民一般はマスコミに見下されている、ということだ。

そのコメンテーターが尽くアメリカ・民主党支持の反トランプ派ばかりなのである。その理由はもうお分かりの通り、テレビ屋が左翼勢力だから、だ。当ブログでも以前から書いているように、日本のマスコミ(新聞・テレビ)は報道機関というよりも左翼の情報工作機関と呼んだ方が正しい、と言えよう。

 

漫画家の倉田真由美氏も日本マスコミの異常性に気がついたようで、下記のXポストをしている。

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日本メディアは海外情勢を語らせる時にアメリカ出身タレントを使うのを好むが、トランプ嫌いの米民主党支持者しか見たことない。偏向するに決まっているのに、そういう人しか呼ばないのは何故なのか。

午前9:08 · 2025年2月21日 倉田真由美氏のXポスト

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さらに日刊スポーツが記事にしているので、それも紹介しておく。

倉田真由美氏「偏向するに決まっているのに…」米国出身タレントコメンテーター起用に私見

 

倉田氏が書く「何故なのか」の答えは「マスコミが左翼だから」である。

左翼の夢見人として有名なパックン(パトリック・ハーラン)氏をはじめ、デーブ・スペクター氏、モーリー・ロバートソン氏などTVでよく見る人々だが、全て米民主党支持者であり、脳内がお花畑で反トランプな人々である。そして彼らを好んで出演させるテレビ局という左翼活動組織。「オールドメディアはデマばかり」を地で行く偏向ぶり、な日本のマスコミである。彼らの異常性に多くの日本人が既に気がついている。左派系メディアの好きにさせていたら、本当に日本は崩壊の危機を迎えるだろう。それは間違いない。

ちなみに、左翼(場合によっては極左)姿勢を隠しもしなくなった日本のマスコミだが、安倍総理やトランプ大統領などの真っ当な保守政権にはなりふり構わず攻撃するのだが、現在の石破政権やその前の岸田政権のような左派政策を進める左寄り政権にはマスコミは攻撃をしないか、攻撃したとしても手加減する。だから、何をやらせても駄目な石破政権には好意的な報道をする一方で真に有能な安倍元総理やトランプ大統領のような政治家には徹底的に叩きのめす姿勢を見せるのである。反吐が出るほどの偏向ぶりであり卑劣な連中である。

もう一つ…USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)は元々は非軍事の海外援助が中心の組織だったが、ある時期(民主党政権下)から世界中の左傾化を進める目的で資金をばら撒く左翼組織となってしまった。特に民主党であるバイデン政権下に於いて日本の政治家やマスメディアにも相当な金額の資金が流れた、とされている。一部では資金を受け取った政治家として岸田文雄氏、河野太郎氏、小西洋之氏などの名前が上がっているようだ。世界が左傾化して喜ぶのは中国・ロシア・北朝鮮などの社会主義国家や専制国家である。なかんずく中国は喜ぶだろう。その意味では背後に中国が存在している可能性も考慮しておく必要はあるかもしれない。親中派や親韓派、そしてUSAIDとの関係といい、日本の政治家は誰のために仕事をしているのだろうか?と、根本的な疑問が浮かぶのである。これは日本のマスコミも同様だ。

 

 

 

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