週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

動物たちに会って。

2014年11月08日 | ★江戸っ子エッセイ★



 秋晴れの休日、久しぶりに上野の動物園に行く

 上野公園もそうだが、動物園も案外混んでいて驚く。

 外国人の方たちもやたら目に付く。

 大陸の人も結構、ここは万国平和だ。

 やはりみんな野生の動物に興味があるのね。



 息子たちが幼い頃は、それなりに遊びに訪れていた。

 子どもたちに本物の動物たちを見せてあげるには最適な施設だもの。
 
 学校の遠足で、アフリカやインドへ連れていくには遠過ぎるからね。

 この動物たち、人口の場所で生まれ、育ったものたちも多い。
 
 まさに、人間に観察されるために生きているのだ。

 安っぽい賛否を述べるつもりはない。これはこれで一定の価値があるのだろう。もちろん人間の側に。。

 

 僕が小さなうちから人気者であるパンダはやっぱり行列が出来ている。

 ちょうど笹を食べるところがみられた。

 可愛い顔してるけど、自然界で出会うと怖いだろうな。なんといっても熊だもんね。

 賢いゴリラに、うんちを投げられたことがある。

 昔はガラス越しでなかった。

 人に近いと言われる類人猿だから、四六時中見られていることに苛立っているんだろう。



 百獣の王は気品と風格たっぷり。

 サバンナでは何もしない雄より、働きものの雌に共感を抱いてしまう。俺は雄だけども。。

 この日は雄が見られなかった。

 子どもの頃は、虎とライオンがどっちが強いかなんて、不毛で幼稚な議論をした。住んでいる場所が違うから戦う必要もないわけだ。



 象もそうだが、サイやカバの圧倒的な存在感にはただひれ伏すしかない。

 プロレスもカラダの大きさにアドバンテージがあるからね。

 動物たちがもし思考というものを持つならどう思うのだろう、と私はいらんことを考える。

 野生と違って、敵がいない、餌に不自由しない、それを最良とするのか。

 はたまた、自由に駆け回ることのできない束縛、群れからの離別、好みの雄雌と交配できない不条理を嘆くのか。

 水族館でも同様な視点で、観察してしまう自分はアホなんやろか。

 梟の洞察深い視線、全長1.2m、片足でじっと動かないハシビロコウの諦念、シマウマの彩色の美しさ、猿山のボスの杞憂、北極の地から亜熱帯に連れてこられたシロクマの怠さ。

 平和と引き換えの、不自由にも一遍の価値があるなら、自由ゆえの尊厳が生き物として当然の権利ではないのか。



 1639(寛永16)年に再建された五重塔が立っている。

 これ、今回気付きました、って遅いやろ。

 重要文化財が上野動物園内にあるなんて知らんかった。

 荘厳な佇まいは、ここだけ異質の空気を放っていた。



 モノレールが下る方面に、不忍池が一望できる。

 天上の蓮が池一面を覆っている。

 むかし、北あかり(ジャガイモ)を売りにきていたおじさんが言っていたっけ。西郷さんの銅像、有名な不忍池はさぞ立派なもんだろうと想像して上京したら、こんなちっちゃい沼だったのか、と。

 そう、北海道の大地を知っている方からみたら、彼の地の水たまりのようだな、と思ったもんだ。

 育った環境の違いや、ちょいと視点を変えると、同じ万物も別の見え方になるから、難しくも面白い。

 いちばん最初に書いた小説は、象が出てくる現代の夢物語。合評で全否定されたモノだが、同人の方から面白かったよ、とメールもらった。

 自分が書きたいモノ、それすなわち、自分だけのオリジナルなんだな。

 たまには、いつも行かない場所にいくと、刺激スイッチが入るでやんすよ。

 先週は鼻ッ風邪を引いた。

 毎朝熱を測ると、35度2分。低体温、爬虫類なみの海光でござる。

 来週10日、そして22日は酉の市。

 皆さんも、流行っているので、ご用心くださいまし


 【かじかむ手灯り恋しい酉の市】哲露