衣笠山山麓の金閣寺、龍安寺、仁和寺の三つの世界遺産をつなぐ観光道路は「きぬかけの路」と呼ばれています。
御室仁和寺を開山した宇多天皇が「夏に雪を見たい」と請われ、「衣笠山に白衣を懸けてお慰めした」という伝承からきています。
風光明媚な地で、多くの観光寺社があり、また、歴史に名を残す人々が祀られる墓所もあり、散策に適しています。
金閣寺から龍安寺までは約18分、龍安寺から仁和寺までは約11分。路沿いに走る嵐電に乗れば、嵐山まで20分です。
金閣寺と龍安寺の間に立命館大学、堂本印象美術館、褶曲地層があります。
堂本印象美術館
1966年(昭和41年)、日本画家堂本印象が自らの作品を展示するために設立した美術館です。
斬新な外観は堂本印象自らのデザインによるものです。
きぬかけの路沿道の立命館大学衣笠キャンパス正門前に位置し、豊かな自然と多くの名刹に囲まれています。
美術館と所蔵作品は1991年(平成3年)に京都府に寄贈され、京都府立堂本印象美術館となっています。

立命館大学の前から見える衣笠山

褶曲地層
海底のチャートにより形成された地層の、何枚もの平行な縞模様が見られます。
約2億年以上も前の地殻変動で波状に隆起した、褶曲地層の断面です。


龍安寺
妙心寺の境外塔頭になる禅宗寺院です。1450年に細川勝元が創建し、江戸時代後期に現在の姿となっています。山門から中門までの区域と、境内に広がる衣笠山を背にする鏡容池は国指定名勝で、「虎の子渡し」と呼ばれる枯山水式石庭の代表作である「龍安寺方丈庭園」が国の特別名勝・史跡に指定されています。庭の龍安寺垣、方丈(重要文化財)の北庭にある蹲踞や秀吉が賞賛したと伝わる侘助椿なども見所です。大珠院の境内には真田幸村と正妻の利世(竹林院)の墓と伝える石塔があります。

龍安寺から仁和寺までの道中に石碑があります。

住吉大伴神社
平安京遷都の際に、大伴氏の氏神を祀る伴氏神社として建てられました。
平安時代末期に航海の神と和歌の神である住吉大神を合祀したと伝わる神社です。

仁和寺
888年の創建。宇多天皇が住まわれたことで御室御所とも呼ばれました。江戸時代初期に建築された御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)や、再建された五重塔(重要文化財)などが建築美を見せ、雅で美しい御殿の宸殿や庭園、境内には名勝御室桜があります。

衣笠等持院付近を歩きます。
六請神社
創建は古く、衣笠山に葬られた人々の御霊を祀り、衣笠岳御霊社と呼ばれていました。天照大神にはじまり六柱の神を祀っています。


旧本野精吾邸
本野精吾は日本のモダニズム建築の先駆者といわれ、ヨーロッパ留学後には、旧西陣織会館(現・京都市考古資料館)を設計しました。大正13年建築の自邸です。

臨済宗相国寺派真如寺

等持院
室町時代前期、足利尊氏により創建された寺院です。
足利将軍歴代の菩提寺で、尊氏の墓と伝えられる宝筺印塔があります。
霊光殿には足利歴代将軍と徳川家康の木像が安置されています。
庭園は夢窓疎石作と伝えられる三名園の一つです。


マキノ省三銅像
等持院境内には「日本映画の父」と呼ばれる、マキノ省三の銅像があります。
大正時代、等持院境内にはマキノ省三が建設した撮影所がありました。

櫻谷文庫
大正時代初期に建築された、日本画家・木島櫻谷(このしまおうこく)の住居兼アトリエです。曲線の造形が特徴の洋館、和館と80畳の大画室の三棟からなっています。櫻谷の作品や資料が収蔵されています。


衣笠絵描き村大正時代初め、櫻谷が衣笠に転居してから、土田麦僊、金島桂華、村上華岳、菊池芳文、堂本印象、西村五雲、小野竹喬、宇田萩邨、福田平八郎、徳岡神泉などの多くの画家が移り住みました。
白梅町
西大路通りと今出川通りの交差点
嵐電白梅町駅の出発点です。

北野白梅町付近にあった飛鳥時代から平安時代の寺院跡とみられています。文献には寺院名がなく、地名を取って北野廃寺と呼んでいます。

この周辺は何度か訪れていますが、金閣寺や龍安寺は外国人観光客の方が多いですがそれに比べて仁和寺は少ないですね。
有名な観光スポットなので、出題も多いのでしょうね。
京都の世界遺産のなかで、清水寺、嵐山、そして金閣寺と龍安寺は別格に国内外の観光客が多いです。
なかでも清水寺、金閣寺のバス停はいつも超満員です。かなり本数を増やしているようですが、追いつかないそうです。
おっしゃるように、それらに比べると仁和寺は観光客が少ないですが、御室桜の春と、金堂や経蔵などの特別公開は多いです。
ありがとうございます。
今出川通を銀閣寺道から北野白梅町まで市電で通うのですが、けっこう時間がかかりました。
堂本美術館は変わった建物だなと思っただけで、等持院が映画の聖地だとは後で知りました。
確か作家の水上勉が修業時代にいたところだと記憶しています。
白梅町駅横のスーパーの場所には以前、喫茶店があり学校の往きかえりによく立ち寄りました。
京都ではアイスコーヒーのことをコールコーヒーと呼ぶことを、ここで知りました。
残念ながらキャンパス周辺以外には、右京区はあまり歩きませんでした。
長いコメントになりすみません。
九州さまには懐かしい場所のようですね。
当時は市電が走っていたのを私も思いだします。よく乗った記憶があります。
おっしゃるとおり、水上勉が相国寺塔頭寺院、等持院で修業されたと本で読んだことがあります。
ありがとうございます。