京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

藤田嗣治展ー没後五十年

2018-11-05 16:26:10 | 美術・博物館


日本人として世界に生きた画家、藤田嗣治(1886–1968)の没後50年を記念する大回顧展が京都近代美術館で開催されています。





明治半ばの日本に生まれた藤田は、20代後半にパリへ渡り、30代から40代にかけてパリで華々しく活躍します。
戦時には日本で作戦記録画を多数発表しましたが、戦後の1949年、日本を離れ、翌年にはパリへ帰還し、やがてフランス国籍を取得して欧州で生涯を終えました。
今回の展示会では、藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦の代表作が一堂に会するのみならず、初来日となる作品や、従来あまり紹介されてこなかった作品も展示されています。

作品展示は8章に分かれていて、時代とともに藤田の変わる画風がよくわかります。
若い頃のパリではキュビズムなどの影響を色濃く受けますが、やがて「乳白色の裸婦」が喝采を浴び、パリ画壇の寵児となります。
しかし第二次世界大戦の作品は暗い時代です。日本でつらいパッシングにあいます。
日本を離れフランスに戻り、カトリックに入信してからの晩年の作品は、精神的にも落ち着いた作品で、私はこの時代の藤田の絵が一番好きです。


Ⅰ 原風景 家族と風景

自画像 1910
東京美術学校卒業制作。黒田清輝に酷評される。





朝鮮風景  1913





Ⅱ はじまりのパリ 第一次世界大戦をはさんで

トランプ占いの女  1914
渡仏翌年の作品。当時のパリ美術界はピカソとブラックのキュビスムが大きな影響をもっていた。
ピカソ出会った藤田も影響を受けキュビスム風作品を手がける





パリ城門  1914





パリ風景  1918





モンルージュ、パリ  1918





二人の少女 1918





花を持つ少女  1918





バラ  1922





Ⅲ 1920年代の自画像と肖像ー「時代」をまとうひとの姿


自画像 1921




座る女  1921





エミリー・クレイン=、シャドボーンの肖像





人形を抱く女  1923





アンナ・ド・ノアイユの肖像  1926





Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代

横たわる裸婦  1922




裸婦像 長い髪のユキ  1923





タピスリーの裸婦  1923





五人の裸婦  1923





舞踏会の前  1925





砂の上で  1923





腕を上げた裸婦  1923





友情  1924





自画像 1929





Ⅴ 1930年代・旅する画家ー北米・中南米・アジア


横たわる裸婦と猫  1931





町芸人  1932





リオの人々  1932





ラマと四人の人物  1933





メキシコに於けるマドレーヌ  1934





ちんどん屋三人組  1934





ちんどんや 職人と女中 1934
魚河岸  1934





自画像  1936





孫  1938





十九00年






明日に続く。




二尊院・小倉山の紅葉(11/3)

2018-11-05 05:39:01 | 2018紅葉


二尊院・小倉山中腹の紅葉撮影に行ってきました。

総門




紅葉の馬場はまだ青葉です。





石段を上った築地塀の紅葉





黒門











勅使門





本堂










九頭竜弁財天堂横の石段を上がります。










小倉山中腹は色づいています。
このあたりは角倉家墓、鷹司家墓などの近くです。












京都市内
京都タワーも見えます。

































三天陵
土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇





































黒門





総門出口





次回は紅葉の馬場が見頃のときに訪れます。