私は昭和43年にラジオ局に入社しましたので、来年にもアナウンサー生活の50周年を迎えることになります。半世紀という数字に自分でも驚いています。映画監督の五所平之助さんの歌に『生きることは一筋がよし寒椿』がありますが、まさにアナウンサー一筋の人生です。職業としてのアナウンサーになる前には小学校の放送委員に始まって、高校、大学とすべてのクラブ活動が放送クラブでしたから、60年を超えてマイクの前にいるわけです。
しかしアナウンサーになる夢を持ったのは高校時代での、ほんのちょっとのきっかけでした。防音設備のないスタジオから、その日の休講案内を放送した時、該当する教室から喜びの歓声が聞こえてきて、自分の言葉が大勢の人に届いた嬉しさを感じたことでした。極端に言えば生きている証しを得たような気分になったものです。
このように人は会話が通じることは大きな喜びです。マスコミというメディアだけではなく、個人同士でも同じです。一筋に生きて得た最大の結論です。
しかしアナウンサーになる夢を持ったのは高校時代での、ほんのちょっとのきっかけでした。防音設備のないスタジオから、その日の休講案内を放送した時、該当する教室から喜びの歓声が聞こえてきて、自分の言葉が大勢の人に届いた嬉しさを感じたことでした。極端に言えば生きている証しを得たような気分になったものです。
このように人は会話が通じることは大きな喜びです。マスコミというメディアだけではなく、個人同士でも同じです。一筋に生きて得た最大の結論です。