あくまで個人的な好みなのだが、
演劇において、以下を避けたいと
肝に銘じている三つがある。
・人が簡単に死ぬ
・キスとか裸とか性交とか
・喫煙
とはいえフリーの制作ゆえ、
そういう場面てんこ盛りの本が
決まっている作品を、仕事として
受けることがあったりはする。
また絶対に嫌というのじゃなく
「やるからには余程の覚悟で」
という方が正しいのかも……。
例えば、喫煙
私自身は吸わないけれど、
受動喫煙云々が理由ではない。
煙草を吸うシーンは、それだけで
「何となく格好がついちゃう」のが
個人的にアウトなのである。
人が死んじゃうやチューをする
も同様で、芝居の中身がなくても、
それで「劇的」になる反則技だと
ひねくれ者の私は思うのだ。
紅×[DISH]presents
『KIZU』
演出/脚本=宮元多聞とGoodfellas
(演出/脚本はクレジットの通り)
をシアターブラッツで観た。
馬鹿馬鹿しいコメディを
得意とする[DISH]だから、
今回も派手に笑わせてもらおうと
席についたのだった。
時間のやりくりがついたのが
開演の40分前。電話で予約。
内容を確認する余裕もないまま
客席は闇に包まれ、開幕した。
やたら人が撃たれたり刺されたりして
冒頭からかなりの数の人が死んだ。
ヤクザの世界が絡んでいたし……、
[DISH]の前に「紅」の文字が
冠されているのに終演後に気づいた。
紅は「チーム紅」のこと。
今回の演出助手兼出演の小川英樹、
主演の佐々木仁吉らのユニット。
プロデュースシステムを敷く
[DISH]は、コラボする処により
姿かたちを変貌させるのだった。
そして。
佐々木、小川といえば遠い昔から
「熱い男の芝居」を続ける男だ。
それこそ30年近く前にまで遡る
私も少々関係している話で、
ちょいと長い昔語りになるから、
今日は止めておく。
さて『KIZU』。
終幕したのでネタバレする。
実の親を喪い「本当の母」と
暮らす血の繋がりのない兄妹。
彼らの住む街は底辺にあり、
かつての敏腕刑事はヤクザの犬に。
殺し屋から古道具屋になった男、
法律より命を選んだ医師、
戒律より現実に身を投じた神父
等々、濃口の登場人物ばかりが
これでもかと出てくる芝居。
そこに。
中国から母を探しに来る青年は
映画監督を目指している・・・。
天才・宮元多聞は、その彼が、
「ネタの宝庫」の街と人々を材に
夢を叶えて「映画」にした!
という構造で成立させた。
序盤、芝居にしては短いシーンを
積み上げて行くのも「映画」だから。
突飛に過ぎる筋立も「映画」だからと
納得させられる。
人がドバドバ死ぬ「演劇」だけれど、
それを否定する僕をも、この手なら
セーフなのである。
まずは[DISH]に関する第一報。
演劇において、以下を避けたいと
肝に銘じている三つがある。
・人が簡単に死ぬ
・キスとか裸とか性交とか
・喫煙
とはいえフリーの制作ゆえ、
そういう場面てんこ盛りの本が
決まっている作品を、仕事として
受けることがあったりはする。
また絶対に嫌というのじゃなく
「やるからには余程の覚悟で」
という方が正しいのかも……。
例えば、喫煙
私自身は吸わないけれど、
受動喫煙云々が理由ではない。
煙草を吸うシーンは、それだけで
「何となく格好がついちゃう」のが
個人的にアウトなのである。
人が死んじゃうやチューをする
も同様で、芝居の中身がなくても、
それで「劇的」になる反則技だと
ひねくれ者の私は思うのだ。
紅×[DISH]presents
『KIZU』
演出/脚本=宮元多聞とGoodfellas
(演出/脚本はクレジットの通り)
をシアターブラッツで観た。
馬鹿馬鹿しいコメディを
得意とする[DISH]だから、
今回も派手に笑わせてもらおうと
席についたのだった。
時間のやりくりがついたのが
開演の40分前。電話で予約。
内容を確認する余裕もないまま
客席は闇に包まれ、開幕した。
やたら人が撃たれたり刺されたりして
冒頭からかなりの数の人が死んだ。
ヤクザの世界が絡んでいたし……、
[DISH]の前に「紅」の文字が
冠されているのに終演後に気づいた。
紅は「チーム紅」のこと。
今回の演出助手兼出演の小川英樹、
主演の佐々木仁吉らのユニット。
プロデュースシステムを敷く
[DISH]は、コラボする処により
姿かたちを変貌させるのだった。
そして。
佐々木、小川といえば遠い昔から
「熱い男の芝居」を続ける男だ。
それこそ30年近く前にまで遡る
私も少々関係している話で、
ちょいと長い昔語りになるから、
今日は止めておく。
さて『KIZU』。
終幕したのでネタバレする。
実の親を喪い「本当の母」と
暮らす血の繋がりのない兄妹。
彼らの住む街は底辺にあり、
かつての敏腕刑事はヤクザの犬に。
殺し屋から古道具屋になった男、
法律より命を選んだ医師、
戒律より現実に身を投じた神父
等々、濃口の登場人物ばかりが
これでもかと出てくる芝居。
そこに。
中国から母を探しに来る青年は
映画監督を目指している・・・。
天才・宮元多聞は、その彼が、
「ネタの宝庫」の街と人々を材に
夢を叶えて「映画」にした!
という構造で成立させた。
序盤、芝居にしては短いシーンを
積み上げて行くのも「映画」だから。
突飛に過ぎる筋立も「映画」だからと
納得させられる。
人がドバドバ死ぬ「演劇」だけれど、
それを否定する僕をも、この手なら
セーフなのである。
まずは[DISH]に関する第一報。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます