麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

フェニックス

2017年12月20日 | スポーツ

日本新劇俳優協会フェスティバルは
昨日無事「終宴」いたしました。


会員による朗読や紙芝居の発表、
さらには「立体朗読」等から成り、
本来は終演と書くべきでしょうが、
二日限りの、協会のお祭りゆえ、
あえて「終宴」と……。

昨日の千秋楽はブレヒトの芝居小屋が
超満員となり質量とも盛況なフェスに
なったと思います。


(『買出し』出演の酒井康行撮影/一番手前。
左端は演出・鵜澤秀行。ほかキャスト
スタッフを加えた懇親会の一葉)

さて、その仕込をしていた日曜日。
アメリカンフットボールの大学No.1を
決する「甲子園ボウル」で日大が優勝。

実に27年ぶりの頂点でした。
相手は宿命のライバル・関学。

1949年、第4回大会で初優勝した
関西学院大学ファイターズは、
8回から11回に4連覇を果たして、
日本アメフト界の黎明期を牽引。

1955年の第10回は両校優勝。
トロフィーを分けあったのが日大。
フェニックスの、これが初優勝。

57~59年に3連覇、61~64年に4連覇
と日大は最初の黄金時代を迎え、
関学の優勝回数を上回った。

対するファイターズは73~77年に
史上初の5連覇を達成。
優勝回数を15に伸ばし「雄の座」に
再び座ると、翌年から今度は日大が
5連覇し16度の登頂に成功し巻き返す。

この頃、日本にアメフトブーム到来。
子供達は、胸にでっかい二桁番号の
Tシャツを着て、まるで消えない
アメフトのヘルメット型の消ゴムを
筆箱に入れていたのだった。


ただファッションや文房具は、

NFLやNCAA、つまり本場の

プロや大学のグッズであって、
日本の大学のアメフトは、
それほど注目されてはいなかった。

が、勿論。1959年に監督に就任以来、
ショットガンフォーメーションを
中心とした篠竹幹夫が、椅子に座り、
煙草を燻らせながらの厳しい指導は
当時まだ義務教育のさなかの僕も
知ってはいた。ああ、懐かしや、
あの時代、明大野球部の島岡監督、
明大ラグビー部の北島監督など、
ユニークな「指導者」が多かったな~。

閑話休題。

フェニックスの甲子園ボウル5連覇の
対戦校は京都大学ギャングスターズ。
翌83年、京大が雪辱。悲願の初優勝!

そしてこの年度に、初めて大学と
社会人が「真の日本一」を決する
第37回ライスボールが開催され、
京大が初代王者の栄誉を勝ち得た。

「初めて」なのに37回?
前年まで、ライスボウルは学生の
東西オールスターの戦いであり、
日大を中心とした東が24勝、
西軍12勝という大会の、衣替え。

第71回大会は、来年1月3日。
日大対富士通(東京ドーム)

【つづく】


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