Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

映画は父を殺すためにある

2012-08-11 | 読書
これまでもいろんな映画評論を読んできたし、あれこれ観た今の年齢だからこそ評論を読むのは面白い。読んだ当時の僕に強烈なインパクトを与え、今でもそこに書かれていたことが映画を観る上での心構えや見方に影響を与えているものも多い。例えば畑中佳樹氏の「夢のあとで映画が始まる」では、「幸福な家庭に映画好きはいない。」という文章に衝撃を受けたし、別冊宝島のムック「映画の見方が変わる本」に収められた各界の人々の視点に驚かされた。淀川長治センセイや蓮見重彦センセイの著作にもいろいろ学んできた。

今回読んだのは「映画は父を殺すためにある」。何とも刺激的?なタイトルにちょっと引きつけられた。著者は宗教家の島田裕巳。ん?何か聞いたことがある。あ、オウム事件のときに名前を聞いた覚えがある。あの「映画の見方が変わる本」の中でもレビューを書いていた人。そんな訳で本屋で平積みされた文庫を手にした。

映画に"成長物語"はつきものだ。主人公が人間として成長する様は、いつも僕らを楽しませ、そして勇気づけてくれた。僕自身も映画の最初と最後でぜんぜん変わらない主人公の映画は好きでない。「マトリックス」はまさに救世主として成長するネオの物語で大好きだが、「海猿」の主人公仙崎は最初からデキるヤツなのでどうしても好きになれなかったものだ。島田裕巳氏は宗教学の立場から、この成長物語を"通過儀礼(イニシエーション)"と捉え、その視点から数々の映画を観た。そして、この本で「ローマの休日」「スタンド・バイ・ミー」「櫻の園」「いまを生きる」などを挙げて、通過儀礼の観点から詳細な分析をしている。

通過儀礼とは、かつてない経験、特にこれまでの自分(の価値観)を打ち消されるような経験をして、(人間的に)一歩成長すること。島田氏はアメリカ映画に通過儀礼として映画が作られているものが多いこと、そのキリスト教的な背景について考察している。強き父であることを求められる社会と、その父を越えるべき存在として意識する息子世代。父を越えること、自身が成長するために父を殺すこと。「スターウォーズ」はその典型だと言える。世界で受け入れられた黒澤映画は日本映画の中では珍しく通過儀礼の視点で描かれているという分析や、「男はつらいよ」の分析など興味深い。だが、1作品について詳しく掘り下げてかなりのページ数を費やしているだけにやや冗長な印象がある。その映画が好きなら読み込めるだろうけど、中原俊監督の「櫻の園」(名作!)を観ていなければこの章を読むのは辛いかも。

だが、最後に驚きが待っていた。この文庫の解説はあの町山智浩氏。僕の映画の視点を大きく変えた「映画の見方が変わる本」を編集した人物だ。町山氏は島田氏から教わった通過儀礼という視点で映画の見方が変わった。だが編集に関わった本で、島田氏にオウムについて記事を書いてもらったことが原因で、あの騒ぎになったという顛末にも触れていた。その後の二人の再会、交わした無言の握手。解説読んで涙腺がゆるんだ本は初めてかも。それは「映画の見方が変わる本」が僕にとって大きな存在だったからだろう。




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ポワゾン

2012-08-11 | 映画(は行)

■「ポワゾン/Original Sin」(2001年・アメリカ)

監督=マイケル・クリストファー
主演=アントニオ・バンデラス アンジェリーナ・ジョリー トーマス・ジェーン

ウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」をハリウッドがどう料理するのか、フランソワ・トリュフォー監督版(「暗くなるまでこの恋を」)とはどう違うのか・・・・まぁ興味はいろいろあったのだけど。・・・・結論。トリュフォー版の方が僕は好き。

というのは、トリュフォー版は、女にさんざんな目に遭わされながらもそれでも愛を貫こうとする、ジャン・ポール・ベルモントの狂気にも似た愛情ってのが後半の中心。それ故「何でこんな女に!」と観客はとまどいもするけれど、その女がカトリーヌ・ドヌーブだけに、どこか心の底では愛してくれているのかも、とかきっとベルモントの思いは通ずるに違いない・・・・という実に淡い期待が観客にはあった。登場人物の感情がドラマの中心だったのだ。

一方ハリウッド版は、後半は観客の期待を裏切るようなストーリー展開に終始して、愛と裏切りのサスペンスドラマというエンターテイメントに徹している。トリュフォー版を観ている観客にはエッ?という裏切りがありその辺りはハリウッドらしくて面白いところだ。クライマックスで真実を知ったアントニオ・バンデラスの表情には、怒りの感情があった。しかし、ベルモントなら”こんなろくでもねぇ女愛しちまった。しょうがねぇよな。でも俺はあいつを心底愛してるんだ”というあきらめや自嘲の表情を見せたに違いない。そう思うのだ。確かにあの場面のアンジェリーナ・ジョリーは見事だ。「トゥームレイダー」では絶対に見せない、感情がこみあげる表情はこの映画で印象に残るところのひとつだろう。

でもねー、アンジェリーナ・ジョリーがヒロインだけに、もう出てきた瞬間に”あ、こいつ何かやらかすな”という先入観を観客はどうしても抱かざるを得まい。「美人の花嫁でゴメンね。」とか言われちゃっても”こいつ美貌を鼻にかけたヤツ”としか思えなかった。同じ「他人の写真を送ったの。」という台詞でも、ドヌーブは本当に自分に自信がないからだろう、と納得させられる(騙される)けど、ジョリーは”最初から企んでたの”と言わんばかり。割れた唇には笑みさえ漂ってるではないか!。・・・・話題の官能シーンですか?。そっちは久々に見応えありましたね(笑)。

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 ★

この文章を書いたのは2001年。そもそもハリウッドリメイクに成功作なんざぁあるもんか、という先入観で映画を観ているのでやや厳しい。だけど物語の本質は男と女を考えるいい話なんだよね。同じ頃書いた、オリジナル版の「暗くなるまでこの恋を」の短いレビューも載せておきます。

■「暗くなるまでこの恋を/La Sirene Du Mississippi」(1969年・フランス)

監督=フランソワ・トリュフォー
主演=ジャン・ポール・ベルモント カトリーヌ・ドヌーヴ ミシェル・ブーケ

 ヒッチコックの「裏窓」で知られるウィリアム・アイリッシュの原作を、トリュフォーがメロドラマムードたっぷりに映画化した作品。文通で知り合った2人が結婚するのだが、実際に男の前に現れた女は、写真とは別の人物だった・・・・。ミステリアスな物語は前半で謎解きを迎える。そして後半は女と衝突しながらも、運命を共にする男の転落の物語。雰囲気もいいのだけれど、心のどこかで「・・・・だったらどっちから言い出してもいいから、捨てちゃえよ」と思いながら観た人いるだろうな。

 同じ原作をヒッチが撮っていたら・・・・とついつい考えてしまうが、後半のおセンチなムードは決して嫌いではなかった。ファム・ファタル(運命の女)たるカトリーヌ・ドヌーブに、観客がベルモンドと同じようにのめり込むことができるか否かが、この映画を気に入るかどうかの分かれ道かな。僕は毒殺を狙っているのだと「白雪姫」が載っている新聞を見て気づくシーンが好きだ。変に音楽も台詞もないあの表現がいいよね。冒頭、自動車からの視点が続くカメラは、ヒッチコック好きで知られるトリュフォーの「めまい」へのリスペクトなのだろうか?。

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