ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

1992年4月4日

2008-10-06 15:14:45 | 生活
先日の夜、押入れ整理をしていたら、セピア色に変色した古新聞が
一紙出てきた。日付けを見ると、「1992年4月4日(火)」とある。
今から16年前の新聞、それも読売新聞だ。

早速、一通り目を通した。この日はさほど大きなニュースはないが、
一面を飾っているのは、退任したばかりのゴルバチョフ元ソ連大統領
が来日して、読売新聞の当時の社長、渡辺恒雄氏と会談した記事であった。

また、日本の貿易黒字が史上2位の883億ドルを記録したとある。
1992年と言えば、バブルが崩壊した直後だが、その頃は、まだ、
不良債権などの問題は浮上しておらず、日本経済に余力があると
思われていた頃ではないだろうか。

時の内閣は宮沢政権である。国際面では、ボスニアが戦闘再開とあり、
ユーゴスラビアが崩壊し泥沼状態にあった頃だ。北朝鮮では金日成が
健在であり、リビアではカダフィーが孤立しながらも、国際社会と
やりあっていた様子が紙面から伺われる。また、韓国が中国と国交
正常化を模索中だとも記されている。

テレビ欄では、「火曜サスペンス劇場」に「なるほどザ・ワールド、」
「大橋巨泉のギミア・ぶれいく」そして、「三枝の愛ラブ・爆笑クリニック」
と時代を感じさせるものばかりである。

そして、当時、私は一体何をしていただろう…と思い返してみる。

本来なら大学4年生になったばかりの頃だが、この年、私は大学を1年間
休学をして旅に出ていた年であった。
4月4日となると、日本を出発したばかりで、おそらくは香港に居たと
思われる。ラッキーゲストハウスに泊まり中国ビザを申請し、受領待ち
でもしていただろう。これから始まる1年間という長旅に思いを馳せ、
至福の時だったに違いない。

今にして思えば、帰国してからの仕事のことも気にする必要もない
学生という身分での旅は実にお気楽であった。なぜ、もう2~3年休学という
手段を用いて旅を続けなかったのか、非常に悔やまれることである。

しかし、こうやって思いがけずに古新聞を発見するも、たまには良い
ものである。昔の記憶が蘇り、しばしタイムスリップしたような感覚
に陥る。

額縁の中敷などに古い新聞を使用している方もいるだろう…?

ぜひ1度、暇な日にでも探してみることをお薦めしたい。



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