ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

メキシコ旅(3)

2024-04-10 00:03:29 | 旅行(海外)
別の日にもう一つの目的である、エクスプロールへ行く。

エクスプロールとは「自然の地形を生かした巨大なアドベンチャーパーク」なんだとか。どこでそんなのを見つけてきたのか、私も行くまで全く知らなかった。いわゆるアスレチックとアトラクションをコラボさせ、そこに運動的な体感をプラスさせた施設だ。お年寄りには向かない。健康体である60代くらいまでの方じゃないと体がもたないかも。オールインクルーシブになっていて、中に入ったらアトラクションはやり放題、食事も1日中食べ放題に飲み放題。すごい種類のバイキングをずっとやっている。飲み物は所々に飲み物スタンドがあり、フルーツの絞ったものなどが飲める。飲んで食べて遊んでの無限ループ、お値段は一人2万1千円。

まずはジップライン。日本でもいろんなところにできているが、1本がなんせ長いし、それを何本も乗り継いでいく。一体、どのくらいの距離なんだろうと思うほど。眼下に見えるのはジャングルだ。最後は水に突入して終わる。もう一生分やった感じ。

次に水陸両用のバギー。これを運転してジャングルや洞窟を爆走するというもの。これも長い、10キロの道を走ることになる。しかも妻も運転したいというから2回やる。合計20キロ。面白いが、もうヘロヘロ。

そして手漕ぎボート。洞窟の水路をは筏(いかだ)に乗って、手に板をつけて漕いで進むもの。これも長い。距離不明、終わるまでに1時間くらいかかる。手と腕がパンパンになる。

次に洞窟スイム。これも細長いセノーテをライフジャケットをつけて、延々と洞窟の中を泳いでいく。これもやっぱり長い。ただしこれが自然にできたものに、若干の手を加えてあるだけのものだと思うと感動する。そろそろ辛くなってきてようやく終わる。

で、地下洞窟探検。洞窟を歩いたり、水につかったり、最後はウォータースライダーで滑って終わる。やっぱり洞窟モノが多くなる。地上は暑いので、地下で遊ぶというのは理に叶ってはいる。

だいたいこんな感じだ。

これをひと通りやると、クタクタになる。気に入ったらもう一回やったりすると、2回目は途中で後悔したりする。
ひとつひとつがとにかく長いし、結構ハードなので体力がいる。そして時間もかかる。日本のアスレチックとは規模そのものが違う。すごいのは自然の地形を生かしていて、施設のほとんどは地下の鍾乳洞を多少なり加工して作られている。だからジップラインとバギーの道以外は、上から見るとジャングルの中に埋もれていて何も見えない。この辺りはかなり暑いので、こういう作りだとエアコンが必要なく常に涼しい。エコそのもの。考えて作られているんだなと思った。最初は何もメキシコまで来てテーマパークなんてと思ったが、やってみるとスケールが大きいので驚きの連続だったし、なによりも健康的で私的には遺跡を見に行くより、ずっと楽しめた感じ。

基本エクスプロールに行くには、タクシーなどの車かホテルまで迎えに来てくれる送迎バス(チケット代にプラスされる)で行くことになる。けれど私たちは例の乗り合いバスのコレクティーボを使って出かけてしまった。コレクティーボは乗り合いバスなので入口のゲートまでは行ってくれない。降ろされたのは入り口から一番近い高速道路の停留所だった。しかし、入り口は降りた停留所から通りを渡った向こう側にある。これが誤算だった。確かにすぐ目の前に見えるが、行くには片側4車線、計8車線の高速道路を横切らなくてはならない。歩道橋などは一切なく中央分離帯があるだけ。どう考えても渡らないとたどり着けない。それはつまりエクスプロールに行く人は、コレクティーボなんか使わないことを想定しているということ?だと思う。

間隔とタイミングを取って一気にダッシュする、けれど100キロ以上でバンバン走ってくる車の早いこと早いこと。渡り切ってからも足が震えていた。娘にも大変申し訳ないことをしたと思っている。意外と楽しんではいたけれど…。まさか高速を渡るなんて想像がつかなかったとはいえ、車に轢かれても自業自得どころか、轢いてしまった人にも申し訳ない。今後の人生、2度と高速道路は渡らないと誓った。しかし帰りは大丈夫。ゲートからトボトボ歩き、高速道路の脇に立って手を挙げていれば、帰る方向が車の進行方向なのでコレクティーボが止まってくれる。案の定、ほとんど待たずに帰れた。結局、エクスプロールで一番記憶に残ったのは、この高速横断アトラクションだったんじゃないかとさえ思う。

今回の日程で、1日だけ何もしない日があった。
一人でふらふら出かけた。プラヤデルカルメンのツーリストエリアの反対方面を歩いていくこと30分、大きな広場があってビニールテントがいくつも広がっていた。一見するとホームレスの集合体のようにも見えたが、近くに寄っていくとそれは大きなフリーマーケットの集合体だった。中に入っていくとメキシコ人でいっぱい。古着や古道具、古本にゲームカセット屋さんもあった。ほとんどがガラクタのようなものばっかりだったけれど野菜や果物も売っている。タコス屋さんもあるし、揚げたてのチョロスも売っている。その中にマンゴー屋さんも出ていてスーパーでキロ400円だったのが、ここでは250円。つい買ってしまった。甘そうなのを選んでいるとおばちゃんが選んでくれた。で、去り際に「グラーシャス、チノ…」と言われた。またマーケットを歩いている時、遠くの男の集団からは「チャンチュンチョン…」と言われた。昔から中南米では、中国人を小ばかにした言い方として、こんな風に言われていたので懐かしくもあった。まぁ彼らから見れば中国人も日本人も判別できないし、言われるたびに「ハポンです…」といったところで、さほど意味もない。もうこんな風に言わなくなったのかなと思っていたところ、まだこういう庶民的なところでは言ったりするんだなと、なんとなく変わらない安堵感みたいなものにホッとしてしまった。ここにきてやっとメキシコにいる実感が湧いてきた。帰り際、昔メキシコに来た時、良く立ち寄っていたような食堂を見つけ、入ろうかどうか迷ったけど、結局止めてしまった。

ということで、なんだかせっかくメキシコに来たのにメキシコが遠い旅になってしまった。まぁ、それもメキシコで、これもまたメキシコではあるけれど…。
旅の仕方で見える景色も全然違う。若い頃の金を使わないでする旅が完全に染みついてしまっている。宿と食事はアップデートできてきたものの、移動手段についてはやっぱりダメ。タクシーは金の問題以外に閉ざされた空間ゆえ、怖いイメージがどうしても消えない。これは過去のタクシー強盗のトラウマだと思っている。ただしウーバーの出現で徐々にこれもアップデートできそうな気もしている。それでも現地の庶民の乗り物はどこか楽しいので、これくらいは残しておいても良いかなと思っている。

帰りは時差の為、1日がスっ飛んで翌々日になって成田に到着。

さて次はどこへ行こう!
早々、行先を決めないといけない。まだまだチケット代も高いのが悩ましいけれど。

来年は娘の受験なので、1年間はどこにも行けないよ、と釘をさされてしまった。
大学受験ならまだしも、「高校なんて誰でも行けるじゃん!」と言おうものなら、「どこでもいいわけではないんだよ、この人でなし!」と返ってきそうなので、黙って従うことにしている。

考え方は人それぞれ。

多様な意見も尊重してほしいと願うばかりだ。
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メキシコ旅(2)

2024-04-09 20:45:32 | 旅行(海外)
ビバ・アエロブスというLCCでカンクンに到着。
このLCC、予約に苦労した。直サイトで航空券を購入しようとしても日本発行のクレカでは決済ができなかった。例外もあるらしいが、うちにあるすべてのカードで使えなかった。仕方ないのでスカイスキャナーで旅行会社を通して買うしかなかった。すると金額そのものと預け荷物の重量条件などが直サイトと随分異なり、結果、LCCの価格メリットが半減。この会社を利用するなら可能な限り預け荷物なしで乗る工夫が必要かもしれない。現に多くの人が10キロ以内の手荷物だけで乗っていた。日本から行く場合、なかなか難しいけれど…。さらにフライトキャンセルが頻発した。私たちは復路では2度のフライトキャンセルに合った。成田行きのANA便に合わせて予約していたのだが、時間に余裕があったから良かったものの、ひとつ間違えば乗り継げていなかったかもしれない。アジアのLCCより、随分、無責任度が高い、気がする。

カンクンはカリブ海のリゾート地で、今や物価も宿もアメリカ並みに高いとのことで、ここはスルーしてバスで1時間のところにあるプラヤデルカメルンという町に行く。ちょっと前まではカリブ海の隠家的な場所だったらしいけれど、なんてことはない、今や完全に欧米人御用達のメジャーなリゾート地になっている。ただし大きなホテルがないのでカンクンよりはずっと地味ではある。妻に「なんでここにしたの?」と聞くと、Airbnbで見つけた宿が安くて超快適な感じだったから…」とのこと。
宿に着くと、コンドミニアムそのもの。施設にはプールもあるしジムも併設されている。部屋もきれいで広いしキッチンもある。トイレもバスルームも大きくて、バルコニーには洗濯物もたくさん干せる。これで1泊8,000円は、たしかに安いと思う。

ビーチまで歩いて5分、大きなスーパーにもほど近い。で、私たちはここで自炊することにした。メキシコシティで妻がちゃんとしたメキシコ料理が食べたいということで、SNSで見つけた味も悪くないと評判のきちんとしたレストランで食事をした。何品も頼んだけれど癖があるせいか、どこれもこれも半分ほどしか食べれなかった。ほぼほぼ私しか食べてない。屋台のタコスも美味しくないと言って食べないし、スタンドのハンバーガーも肉が臭いという。そもそもメキシコの食べ物が合わないということで、庶民が利用する食堂に行く前にメキシコ料理が却下されてしまった。ちなみに私は辛くなければOKなので、何がそこまで不味いのか今一つわからないまま。まあ、そんなことで、以後、ここでは米に油に調味料なども買って、昼以外は、おうちごはんで済ませることに。スーパーではご当地産のマンゴーも売っていた。1キロ400円程度。たくさん買って、たくさん食べた。タイのマンゴーより濃厚で、結局メキシコではマンゴーが一番美味しかった。

この町ではウーバが使えない。タクシーはツーリストプライスで3キロ先まで行くのに2,000円とか平気で言ってくる。安く上げるにはコレクティーボという乗り合いのミニバスを利用するしかない。時間帯によってはすし詰め状態だったりするが、そうでない時もいつもそこそこ混んでいる。躊躇しているといつまでたっても乗れないので、メキシコ人がやっているように「えぃ!」と気合入れて乗り込む。乗ったタイミングで降りる所を大声で叫ぶと着いたら降ろしてくれる。で、降りる時に金を払う。一度やると慣れるが、娘にとっては何度やっても苦痛だったようで、泣きが入っていた。これで市内ならほぼほぼ90円で移動できる。1時間くらい先の町まで行く長距離版もあるので、これに乗り慣れると長距離バスが高く感じる。

で、まず行ったのがセノーテ。
妻が希望する目的のひとつである。セノーテは大きな陥没穴に地下水が溜まってできた天然の泉のこと。この辺りに大小合わせると3000くらいあるんだとか。太古の昔、小さな隕石がこの地に降り注ぎ、その時にできたとも言われている。この天然の泉と鍾乳洞が繋がっていて、ここをライフジャケットを借りてシュノーケルをするのが目的だ。なんといってもこの泉の透明度が半端ない。魚もいて4~5メートルの底まで見える透明度と何とも言えない雰囲気で、これぞ神秘的な感じとしか言いようがない。水が嫌いな私でも、ここでプカプカ浮いているだけで別の惑星にでも来たような気分になり大満足だった。

普通はこの辺りの遺跡と抱き合わせでツアーで回るのが一般的らしいが、それだと1時間程度しかいられないし大勢で入るので騒がしく気分的によろしくないという、妻の前情報があり、私たちは早起きしてコレクティーボでやってきた。個人で来ると停留所から3キロ歩かないといけないが、頑張って歩くと先に2人の西洋人のバックパッカーがちょうど帰るタイミングだった。ツアーの人らがやっくる10時過ぎまで2時間くらい静かなセノーテを充分に満喫できた。整備されたセノーテは国が管理して入場料を取りツーリストに開放している。外国人は1人3600円。以外に安くない。けれど思いのほか、海とはまた違って面白かった。

その後、再び炎天下の来た道を3キロ戻り、コレクティーボを捕まえトゥルムという町へ向かう。ここで中国人の安食堂を見つけてお昼を食べた。それから遺跡に向かう。トゥルム遺跡だ。メキシコの遺跡は日差しを遮るものがなく延々と炎天下を歩く羽目になるので「暑いから、止めてほうが良いんじゃない…」と、何度となく遠回しに言うのだが、行くと言ってきかない。この日は特に暑かったので、遺跡に入って20分ほどで、「やっぱり無理…」となり、早々退散。外に出て、冷えたヤシの実を売っていたので、そのまま割ってもらって飲む。これってぬるいと美味しく感じないが、冷えていると美味しいなと初めて思った。

コレクティーボの停留所で、日本人の親子と出会った。お父さんと中学1年生くらいの息子さんの2人旅だ。お父さんは大きなバックパックを背負っていて、3週間くらいメキシコを旅しているとのこと。歳は私と同年代くらいだが、完全に現役のパッカーに見えた。時間がなくてあまり話せなかったけれど、この息子さん、お父さんが行先の乗り場と合ってるのか悩んでいると、「僕が聞きに行ってくるよ!」と、率先して聞きにあげたりしていて、なんだか楽しそうで微笑ましかった。

反面、うちの娘はというと、口には出して言わないものの「なんでこんな疲れることして楽しいんだろ、それよりまずタクシーに乗せろよ!」と、思っていたと思う。しかも、時々英語習っているんだからちょっと聞いてきて、と頼むと「ごめん、今、ちょっと人としゃべりたくないんだよね…」などと返ってくる。もうちょっと旅行と向き合ってくれ、と思うが、まぁどちらかと言えば、親に付き合わせてるので仕方ない。

あのお父さんがちょっとうらやましく思えた。

つづく…。


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メキシコ旅(1)

2024-04-07 19:57:04 | 旅行(海外)
成田発メキシコシティ行き。
ひと昔前は、JALの成田発ロス経由のサンパウロ便などの長距離便があったが、今はANAの成田発メキシコシティ行きが日系国際線の最長距離便になっている。行きは追い風に乗って12時間半、帰りは向かい風になり14時間半はやっぱり長かった。

時差がマイナス15時間あり、成田を夕方経っても到着は同じ日の午後2時半。治安の面であまり評判の良くないメキシコシティに明るいうちに着けるのはありがたかった。ありがたついでに市内までは地下鉄を利用する。メキシコの地下鉄はどこまで行っても一律5ペソ(45円)と激安。ただしスリも多ようで、被害の実例もたくさん語られているせいか、短期旅行者は避ける人が多いらしい。けれどこういうのは、一度利用すると案外慣れるのもなので、妻には何も言わず「地下鉄は渋滞もないし便利で早いから…」と言って、あえてタクシーは使わなかった。これが功を奏したようで、その後も市内の移動は、ほぼほぼ地下鉄で済ませた。メキシコシティはウーバーも使える。一度夜になってからの移動で使ってみたが、それほど高くないし、たしかに深夜は早朝はこっちのほうが安全だなと思った。

旅先での旅程はいつも妻と折半する。旅の趣向がもう絶望的に違うので半々にせざる得ない。当初、私は日程の半分をキューバに充て、妻はユカタン半島に絞り、メキシコシティは1日のみの予定だったが、キューバ行のチケットが思いのほか高く、またフライトスケジュールも微妙な時間だったので諦めざる得なくなった。意気消沈した私はこの旅の要望分はすべて妻に返上し、その代わり、いつの日か再びインド・ミャンマー国境が再開した際は、無条件に白骨街道に付き合うこととバーターした。ということから、今回のメキシコ旅はすべて妻が決めた行先に付き合う羽目になった。

行先は教会とか博物館とか世界遺産とか、とにかく盛り沢山なので、これが大変忙しい。「記憶に残らない思うところは、行かなくてもいんじゃない…」と言っても「省いてこれだから…」と返ってくる。旅なんて突き詰めれば、目的地に着けば、もうどこにも行かなくても良いのではないかと思う。そうすれば時間はいくらでもあるし、朝もゆっくり寝てられる。だから疲れることもない。そんな中で、「ここくらい行っておくか…」と、いうくらいがちょうどいいのではないかと。もちろん考え方は人それぞれだし、ここだけは外せないというのはあるだろうけれど…。

「One day,One things」とはよく言ったもの。

これは期間の長短に限らず言えるんじゃないかと思う。まぁ、家族旅行なので致し方ないが、おかげでメキシコシティの見どころをたくさん見れたけれど…。

27年前のメキシコは未だ節約すれば1日1,000円程度で旅ができた国だった。当時、記していた日記には「タイより少し高い程度、マレーシア並み…」と書いてある。国民食のタコスは米ドルで50セント(当時のレートで65~75円)だったのが、今や(200~300円)以上する。公共交通機関は据え置いているようだけど、水もコーラもお菓子も、基本、座って食べる外食は総じて日本よりずっと高い。メキシコのような国でさえ今の日本から行くと、何もかも高く感じる。逆に言えば、これは日本が安すぎるということでもある。もちろん円安もその一因だが、それ以前に健全に経済成長してこなかったからというのが、そもそもあるんだろうなと…。今や精一杯、節約しても3000円以上はかかるかも。もちろん普通に旅をすれば1万円は軽く飛んでいく国である。

宿は市内の中心地に近いところにして、夜も外出しやすいところに取った。ドミも併設するホステルのようなところで、さすがに3人部屋でトイレシャワーの付いた部屋だったけれど。客は西洋人ばかりで東洋人は皆無。メキシコは人気がないのか、主な見どころでも、中国、韓国人も本当に少なかった。もちろん日本にもほとんど会っていない。そしてメキシコシティと言えば、何はともあれティオティワカン(ピラミッド)である。シティからバスで1時間ちょっとのところにある階段状のそれだ。ここには昔も来ている。残念だったのが、昨年観光客が転落して亡くなり、それ以降、登れなくなっていた。それ以外にも、様々な規制が敷かれていて、昔のように無防備な感じではなくなっていて、時代の変化を感じた。

メキシコシティの中心地は言われるほど治安は悪くないが、通り1本外れるとガラリと雰囲気が変わるところもある。知らないうちに入り込んで、「あれっ!」と気が付くことが2~3度あったし、夜ウーバーで宿に帰る途中、ここはさすがにヤバいな、という通りもあった。中南米は銃も出回っているから、そんなところも気が抜けない。標高2240メートルの高地にあるメキシコシティ、空気が薄いせいかちょっと疲れやすい気がする。朝晩は冷えるし、寒暖の差が激しかった。

ちょっと疲れを残したまま、ユカタン半島へ飛んだ。

つづく…。

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おまけのバンコク

2023-08-11 00:11:11 | 旅行(海外)
復路はデリーからタイ航空でバンコクへ、乗り継いで名古屋というルートで帰ってきた。

バンコクでちょうど8時間ほど乗り継ぎ時間があった。荷物はスルーで名古屋まで行ってしまうので、手ぶらで一旦入国して街へ出てみた。妻が久しぶりにMBKに行きたいというのでエアポートリンクで終点まで行き、スカイトレインに乗り換えてMBKへ。タイに寄るつもりなどなかったので、とりえず空港で両替すると1バーツ、4,3円という最悪レート。空港だからというのもあると思うけれど…。相変わらずの円安にめげてくる。

インドではすべてATMからキャッシングで済ました。円ルピーの換金だとレートが悪そうだし、いちいち両替場所を探すのも面倒そうだからだ。結局、マイナー通貨の国なんかではこの方法がもっとも効率が良いのかも。帰国してすぐにカード会社へ連絡して「繰り上げ返済お願いします…」と伝え、翌日振り込めば、振り込み日までの最短金利だけで済むから、換算すれば換金率もそう悪くないはず。で、その分もクレカのポイントにもなる。米ドルやユーロなどのメジャー通貨は違うかもしれないけど…。

MBKの中に良質素材のTシャツ屋さんがあり、そこが一番のお目当て。それぞれ自分の好みを購入して、ちょっとふらふらして、再び空港へ戻る。インドからくるとバンコクがきれいな町だなと錯覚する。でも、決してそうではない。単にインドと比較しての錯覚なだけだ。

ようやく中国の団体旅行先に日本も加わった。
これで間もなく中国系キャリアも完全復活しそうだ。ということはチケット代金の高止まりが予想される。すぐに2019年ベースにはならなくとも、年内には落ち着くかもしれない。加えて中国ビザ緩和の話もあったようだけど、これがノービザ復活を示すのか、単にビザ発給要件の緩和のみの意味なのか分かり兼ねる。

秋には一度、ビザを取ってでも中国へ行ってみようと思っている。
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インド旅(夜行列車、デリー編)

2023-08-10 00:57:51 | 旅行(海外)
ジャイサルメールでの滞在を終え、デリーまで夜汽車の旅。

旅を卒業してから18時間も列車で移動するのは初めてのこと。移動はバスより列車の方が断然好きだ。特に長距離となると飽きたらふらふら車内を歩ける鉄道は楽だし楽しい。座席だと辛いが、寝ていける寝台車は昔も良く利用した。節約のためエアコンなしだったけれど。今回は2等の2段式エアコン車両、上段を3席。3人とも上段にしたのは下の段は日中、上の人が座りに来るし、時々知らない人まで座りに来ることがあるからだ。そのうち追い出されたりするけれど、外国人の私たちだとなかなか言い出しにくい。やっぱり寝ていたいときに寝れる上段がベストだ。

ジャイサルメールを夜23時25分の出発だったので、走り出すとすぐに就寝。翌朝は9時頃まで寝ていた。列車はガタゴトと同じリズムで揺れるのでよく眠れるのかもしれない。下段のインド人の乗客らはすでに皆起きていた。車内販売のおじさんからチャイを買う。砂糖たっぷりのチャイは寝起きの体に浸みわたる。インドの長距離列車の乗車口扉は走行中でも開けっ放しだし、たとえ閉まっていても自分で開けられる。空いた扉の前でボーッと外を眺めていた。昔も良くそうしていた。そのうち飽きた娘もやってきて、2人でずっと外の景色を眺めていた。

で、ひと言「インドは汽車に乗ってても、牛のうんち臭いんだね…」
確かに臭い…。

夏場のラジャスターンはとにかく暑いので、この時期はほんとうに旅行者が少なかった。欧米人をわずかに見かけただけで、アジア人は韓国人の2人組くらい。ただ最近の日本の猛暑を体感していると、「もしかすると日本のほうが暑いかも…」と、思うこともあり、さほど苦痛には感じなかった。それでも日中は暑いので、昼間の一時は町から人が居なくなる。朝早く7時くらいから行動し、昼までには一旦宿に戻り、夕方から再び出かける。こんな感じだ。

当然、宿にいる時間が長くなるので、ジャイサルメールの宿だけは奮発。でもこれで大正解。これまで泊った宿の中で多分、一番気持ちの良い宿だった。値段とか星の数とかそういう意味ではなくて、泊ればわかる凄い宿だ。とにかくスタッフのホスピタリティが半端ない。押し売り感ゼロだし、程よい距離感を維持してくれているインドでは珍しい宿。ジャイサルメールの宿はどこも皆、キャメルサファリの売り込みが激しいが、ここは全然売る気なし。聞けば2~3外の旅行社を教えてくれる程度。物理的なサービスで言えば、ミネラルウォーター、コーラ、冷蔵庫のジュース類、部屋に置いてある果物やポテチやチョコレートケーキ、チョコレートこれ全部無料でお代わり自由。ライトなクラブルームの感じ。けれど表向きはそれを謡っていない。外出して帰ってくる度に、これとは別に飲み物のオーダーを取りに来てくれる。この時のアイスコーヒーが、また絶品だった。暑いのでミネラルウォーターの消費が半端ないが1度も買うことはなかった。顔を見れば「お腹すいてない?何か飲み物は?」と聞いてくれるし、サファリの時も「食べモノが口にあわないといけないから…」と、食料をたくさん持たせてくれた。

で、そのサービス精神半端ないその理由は、要するに口コミだった。
帰る時、駅まで送ってくれる車の車内で、「予約したサイトへの口コミ依頼をお願いします…」と。もっとも、それすら謙虚な感じだったけれど。途中から、この半端ない接客はもしかしたら口コミかなと、なんとなく思ってはいたけれど、やっぱりそうだった。それにしても、例えそういう魂胆だったとしても、余りあるおもてなしには感動しかない。今の時代、どこでもある程度はそういうことを気にしながらやっているはずだし、多分この半端ないおもてなしを続けているうちに、本当にお客さんが感動してくることが喜びになってしまったのではないかとすら思える。

どうであれ、あれほど手厚くされたら、誰でも感謝しかない。こんなところに日本人のお年寄りが泊まったら、感激のあまり「皆さん、これを何かの足しにして下さい…」と、大金を置いてくるんじゃないかと思う。で、そういう私もちょっとばかり渡してきた。ちょうど私たち以外に宿泊客がいなかったこともあり、すべてが私たちのためにという感じだったし…。けれど、繁忙期にはとてもできないんじゃないかと思うけれど、どうなんだろう?
とにかく予約サイトの口コミには最大限の賞賛と評価をしておいた。

まぁ、そんな宿もあるんだということで…。

ジャイサルメールは、インドの中でも人が柔らかいと言われている。そういえば、土産屋の客引きなども全然、鬱陶しくなかったし、それはここの土地の人の特性なんだと、何かの本にも書かれていた。確かに嫌なことなど何もなかったけれど。たしかに土地柄と人柄は同じ国でも、場所によって大きく変わるもの。

で、18時間後、汽車は無事にデリーに到着。と思ったら、私たちは見事に通り過ぎてしまった。そもそもこの列車はデリー行きではなく、その先があったということ。車両の行先表示も見たけれど、私たちの車両とその前後はヒンドゥー語のみの表示だったのもいけなかった。到着予定時間の少し前に少々、長く停車した駅があった。これはデリー駅の一つ手前の駅かと勝手に思い込んでいた。この時、私たちの下段のインド人の乗客らは、すでに降りてしまっていたのも不運だった。あれだけの駅だから多くの人が降りるはずで、普通なら間違えるはずなどないのに、気が付いたときはすでに遅かった。30分ほど走った次の駅で下車した。

すぐに駅の窓口に行き、30分後にデリーに向かう次の電車を確認して、3人で95ルピー(103円)の切符を購入した。教えてもらったホームへ行くとすでに列車が止まっていた。今思えば、この列車に乗って待っていればよかったのに、私たちはなぜか対面のホームに列車がやってくるものだと思っていた。で、30分後、停まっていた列車は静かに出て行き、私たちはこれを見送った。その時私たちは、この駅に群がるサルの軍団を見て笑っていた。完全にアホだった。

愚かな行為に、激しく落胆する。
もう鉄道で行くのは止めよう。

タクシーでデリーに帰ろうと、駅前でウーバーで捕まえたタクシーで1時間かかってデリーの宿に着いた。500ルピー(900円)だった。予定より1時間半以上遅れた。
デリーの宿は、パハールガンジ、ニューデリー駅のすぐそば。懐かしいメインバザールやコンノートプレイスは昔とほとんど変わっていなかった。特にメインバザールは汚いし、騒々しいしニューデリー駅前の店なんかもボロボロ感が全然変わっていない。ネオンの付いた電飾系の看板が目新しさを感じさせる程度。ここは一応首都なのに、なぜここまで変わらないのか不思議なほど。特にニューデリー駅前は一国の首都の鉄道駅の玄関口だ。

インド最後の夕食は、コンノートプレイス付近のご飯屋さんでタンドリーチキンとチキンティカの晩餐。

とにかく事故や体調不良もなく無事に終えて良かった。

変わらないけど変わりつつあるインド、奥が深いなと思った。


やはり旅は移動を伴ってこそ、次の旅は来年3月。
さて、どこへ行こうかな…?
サウジやイランも行ってみたい…。

終わり。

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インド旅(ジャイサルメール、キャメルサファリ編)

2023-08-09 00:24:15 | 旅行(海外)
かつてはインドの西の辺境と言われたジャイサルメールも、数年前から飛行機が飛び随分行きやすくなったようだ。
けれどAIRは冬のシーズン中のみで、夏場は飛んでいない。私たちはムンバイからエアーとバスの組み合わせでやってきたが、ムンバイから直通の列車が1日1本、17時間で結んでいる。けれど時間帯が悪く効率を考えるとちょっと使えなかった。

上空から見るとタール砂漠の中にあるオアシス都市にも見えるけれど、完全な砂砂漠ではないのでオアシスのイメージとはちょっと違う気がする。町は城壁があり城壁内とその周囲はどこを撮っても絵になる感じ。まさに中世の町そのもの、インドというよりどこか中東の国にいるような感覚に陥る。近代的なビルもなく発展からは取り残された感じがプンプンする。多分それが居心地の良さに繋がっているんだと思う。程よくツーリスティックなのも良い。長旅の途中なら1週間は居たかもしれない。

付いてすぐに宿のすぐ近くにあったレンタルバイクを借りる。城壁内へ行くには急坂の連続だし、暑いので疲れを防ぐにも役立つ。3ケツは大変だったけれど、夏のジャイサルメールには絶対おすすめ。もちろん交通ルールなど何もないに等しいので運転には十分注意が必要です。まずはここを発つ列車の切符を買いに町外れにある駅に向かう。ちなみにウーバーなどの配車アプリはこの町でも未だ使えなかった。こういう町では特にバイクは効力を発揮する。

インドで列車の切符を買うのも22年ぶりだ。記入用紙をもらい3日後のデリー行き、エアコン2等寝台の上段を3つ無事に確保。デリーまで1人1800ルピー(3240円)だった。18時間の距離を思うと、まだまだインドの鉄道は安いと思う。これでエアコンなしならこの半分くらいになる。夏はちょっと選択の余地はないけれど…。これで2か月半前、タイのチェンマイ駅でバンコク行きの夜行列車に乗り込む旅行者を見て以来、夜汽車の旅がしたいとの願いがようやく叶う。

次は明日からのキャメルサファリの手配。目ぼしを付けていた旅行社へ向かう。この時期はオフシーズンなのでどんな手配でも前日でOK。これが10月からのオンシーズンになるとこうはいかないらしい。この町に来るほとんどの旅行者はこのキャメルサファリがお目当て。サファリはここから車で1時間ほど西へ行った小さな村からラクダの背に乗って2時間、着いた砂漠の真ん中にベットを置き、そこに一晩泊って翌日また同じ行程で帰ってくるというもの。ラクダ使いのお兄さんが作ってくれる朝夕食付。夜は満天の星空の下で眠り、朝は夜明けとともに起きる。まさにネーチャートラベリングだ。ご予算1人2200ルピー(3960円)ほど。

でもこれ私一人だったら、多分行かない。

ちょっと考えてみてほしい。ラクダの2時間はまだ許せる。けれど往復で考えれば4時間だ。決して乗り心地の良くない動物の背中に4時間は長すぎる。まず腰がやられる。で、砂漠でベットだけ?ということは壁も屋根もないということ。つまり風が吹いたら砂まみれだし、寒ければ眠れないはず。風邪だって引きかねない。満天の星空?はどこにそんな保証があるのか?曇りの日や満月や新月なら明るくて星など見えない。この辺は行く前から予測可能だ。けれど妻と娘は行かないなど考えられないほど盛り上がっている。

で、仕方なく参加する。

そして案の定、ラクダは辛かったし、腰が酷く痛かった。1時間がマックスだと思う。満天の星空はやはり月が明るくてほとんど見えなかったし、夜は強い風がひと晩中吹いて、毛布もあったが、屋内ならどこでも眠れる私はほとんど眠れなかった。明け方にうとうとし始めたと思ったら、今度は朝日が眩しく眠れない。これには腹が立つほどだった。これでわかったことは、私にはホームレスには向かないということ。そんな私をよそに妻と娘は熟睡していた。

個人的にはキャメルサファリはお勧めできない。冬ならテントを借りてもマジで寒いだろうし、間違いなく体を壊すと思う。辛い環境に耐えるのが好きな人には良いかも。私にとっては罰ゲームに近かった。ちなみにラクダ使いのお兄ちゃんが作るご飯も大変不味い。カレーは辛すぎだしマギーの麺類も煮物かと思うほど茹で過ぎで流動食かと思うほど。ちなみにサファリはアメリカ帰りのインド人大家族と一緒の混載ツアーだった。これは別に問題ないけれど…。

SNSで行った人の記事を見ると、多くの人が楽しかったとか素晴らしかったとか賞賛するものばかりだった。これ絶対、無理してると思う。あれほどノリノリだった妻と娘もそこまで否定はしないけれど、一度で充分だと言っている。

思い出を美化するのは自由だが、正直な感想もほしいところです。

つづく…
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インド旅(移動編)

2023-08-08 19:52:26 | 旅行(海外)
ムンバイに2泊した後、朝のエアーインディア便でジョートプルへ飛んだ。

昨年国営からインドの大財閥、タータグループに経営権が移り、いきなり最新鋭機500機の発注を行ったエアーインディア。この区間を飛ぶLCCより安い価格で売っているにもかかわらず、2時間弱のフライトでも温かい機内食まで出てさすが財閥経営。遅れもなく、やっぱり民営化は正しい道だと思う。

ジョートプルの空港はブルーシティーと呼ばれるだけあって、青を基調とした可愛らしい空港だった。にもかからず空港内には高射砲や戦車に戦闘機も駐機している軍民兼用でちょっと物々しい雰囲気。写真も厳禁だと再三機内で放送があった。ジョートプルは経由地でここから目的地であるジャンサルメールへバスで向かう。ムンバイ空港のプリペイドタシクーで痛い目に合ったので、ここは空港の外へ出て流しを拾う。ジョートプルはウーバなどの配車アプリは未だ使えなかった。一台のオートリクシャーのおやじに料金を聞くとSNSで知った相場の倍の価格だったので、少し歩いて他のリクシャーのおやじに聞くと最初のおやじの半分以下だった。良心的だなと思い、この人にお願いすると最初のおやじが物凄い怒号をあげてやってきた。以下は想像です…。

最初のおやじ:「おりゃー、俺の客を取るんじゃねーよ!」
良心的おやじ:「俺は聞かれたから、答えただけだろ!」
最初のおやじ:「うるせー、余計なこと言ってんじゃねー、引っ込め!」
良心的おやじ:「お前の価格じゃ乗らねえって言ってんだよ、お前こそ引っ込め!」
最初のおやじ;「ふざけんな、これから交渉するんだよ!」

こんな感じのやり取りの後、最初のおやじが良心的おやじに掴みかかり、これはもしや殴り合いになるかと思われたところで、恐怖を感じた良心的おやじが折れた感じになった。娘は妻の陰に隠れドン引きしいてた。私は「これこれ、これぞインドじゃないか。こういうのがないとインドじゃない…」と、ちょっと楽しくなってしまった。

結局、最初のおやじが良心的おやじの価格で手打ちとなった。けれど急いで追っかけてきた時、オートリクシャーが道路脇の溝にはまり、私たちも道路にあげるのを手伝う羽目に。おやじが娘にも「お前も手伝え!」と促し、娘は浮かない顔で渋々手伝っていた。長旅の時はこういうのは鬱陶しくもあったが、なかなか旅に出られない今、こういう珍事はちょっと楽しくもある。

ジャイサルメール行きのバス停に着くとちょうど20分後に出るバスがあった。このバス2階建てで1階は2人用座席、2階は左側は1人用の寝台席が5つ、右はダブルの寝台席が5つといった初めて見るタイプだった。けれどエアコンは付いていない。SNSの情報では、この区間のバスは時々乗車率150%にもなるので、空いていれば迷わず寝台席を取るべしとの記事もあり、ちょうど1人用寝台席が3席開いていたので素直に従った。1人600ルピー(1,080円)。ちなみに通常席は300ルピー(540円)だった。ここからジャイサルメールまではちょうど6時間、昼間なので本来寝台など不要だが、後から人がどんどん乗り込んで来るし通路までいっぱいになるのでこれで良かった。エアコンはないが走れば涼しいし、何より足を延ばせてるのは楽だった。それよりも高い位置から外を眺められるし、窓を開けてても物売りやバクシーシの手も入ってこないのが気楽だった。

車内では通りすぎる田舎の村々を眺めていた。途中の村では赤やオレンジ色のサリーを着た女性たちが給水車からのホースに群がって水浴びをしていた。路上なのに大胆に肌を露出している人もいた。なんおか祭りっぽい雰囲気でもあり、それにしても乾いた茶色い土地にカラフルなサリーは良く映える。

バスは小さな村や時々何もない路上で人を拾ったりしながら進んだ。人のいない風景が穏やかで心地良かったが、やっぱり牛の糞の臭いがずっとしていた。

後で娘がこのバスの移動が一番印象に残っていると言っていた。

つづく…。

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インド旅(ムンバイ編)

2023-08-07 20:23:11 | 旅行(海外)
成田から直行便でちょうど8時間でムンバイ到着。
これまで日本からインドへ直行したことなどないので、その距離感がバンクーバやシアトルと同じくらいなんだなとあらためて実感。インドは22年ぶりだけど、ムンバイとなると実に32年ぶり。ゴアに行く途中、2泊しただけで記憶は遠い彼方。空港から宿までプリペイドタクシー(一応、適正価格と言われている)を使ったが、あとで相場の5倍もボラれていた。同じプリペイドでも行ったカウンターが悪かったらしい。インドも物価が上がったんだなと思ったが、そうではなかった。(もっとも上がってはいるが、そこまでではなかったというだけ)。以後、タクシーやオートリクシャーを使うときは、すべてウーバーを利用した。

映画「スラムドックビリオネラ」を観た妻と娘がムンバイでは扉全開の人で溢れる近郊列車に乗りたいと言っていたので、早々これを利用して宿から街中へ向かう。この列車、男性車両はいつもそこそこ混んでいるが女性専用車両は比較的空いている。2人がいることで外国人男の私も便乗して女性車両に乗車。結構なスピードで走るこの列車、下手なアトラクションより気持ちよく楽しい。すっかりハマって、その後何度も利用した。朝夕の通勤時間はすし詰めで危ないらしいが、日中は大丈夫だと思う。しかもこの列車、切符の買い方が分からず、申し訳ないが全て無賃乗車だった。多分9割くらいの方がタダ乗りしていると思う。ムンバイはこの扉全開列車とウーバーの利用で、市内の移動はタクシーやリクシャーの運ちゃんとの料金交渉もなくノーストレスだった。

で、その後ムンバイでは「スラムツアー」に参加。ムンバイに着いた日の夜スマホから予約。1人日本円で900円ほど、2時間きっちりスラムを案内してくれる。参加者は他にオマーン人の家族とパキスタン人の夫婦一組。
ムンバイにあるのはアジア最大のダラビーと呼ばれるスラム。写真は基本NG。スラム内には工場などの仕事場や学校もあり、普通の社会と一緒だ。ただ何しろムンバイは暑いので強烈な臭いとゴミが溢れて環境は最悪。特に住居は想像を遥かに超えていた。とても普通の人が住める環境ではなく写真NGなのも頷けるほど。ここに来れば誰もがここに生まれなかったことに感謝するはず。日本では国ガチャ、親ガチャなどと言われるが、ちょっと次元が違う。娘はすっかり無言になり、完全に固まっていた。

その後、向かったのはドービーガート、巨大洗濯場だ。
最下層のカーストの人らが洗濯を生業としている場所。最寄りの駅の陸橋から見渡せる。32年前も一度来ているが、当時は今と違って見渡せる場所が作られてはいなかったが、今はちゃんと整備され説明書きのプレートもある。これも貧困ツーリズム?かもしれない。昔はとてもじゃないけど怖くて中に入ろうなどとは思わなかったけれど、交渉して入れてもらった人の記事をSNSで観て、ちょっと勇気を振り絞って入ってみようかと入口まで降りてみた。橋の上から見ている人はたくさんいるけれど誰も降りてこない。うちらが行けば誰か付いてくるかなと期待したが誰も来てくれなかった。

入口で近くにいる人に声を掛けると「ちょっと待ってろ…」と誰かを呼びに行ってくれた。その間、入り口前にあるチャイ屋さんで5ルピー(9円)のチャイを頂いた。このチャイが本当に美味しかった。その後もここのチャイを超えるチャイには出会えなかった。しばらくすると1人のおっちゃんが現れ「中に入りたいのか!」と。頷くと「こっちに来い!」と言われ、人の少ないところに連れていかれた。

「3人で1000ルピー(1800円)だ!」

ネット記事ではその半分以下のはずだが、ここは値切らずに素直に支払って中に入れてもらった。1.5メートル四方の洗い場一つにひと家族が担当する。これが無数にあり従事する人の家も洗濯場の中にある。これが陽も当たらず本当に狭い。しかもここに何人も住んでいる。どうやって寝ているのか不思議だった。これはダラビーのスラムでも言えることだったけれど…。1日14時間労働で洗剤で手足の皮がやられるとのこと。ここで生まれた人は、こういう仕事しか就けない。そもそも選択の余地がない。たしかに例外もあるようだけれど、発展するインドをアピールする政府としては、安易に解決できない貧困問題は後回しするしかないように思える。

ここまでずっとこんなんばかり見せられてきた娘はちょっと意気消沈気味になっていた。
気分転換にインド門やタージマハルホテル周辺を歩いた。

なんだろう!キャッシュレス決済もそこまで進んでいないようだし、(時々見かける、利用している人もいる)街は相変わらず汚いし、人々のモラルも昔の印象と全然変わっていない気がする。言われるほど発展しているようには到底見えなかった。発展するインドは一体どこに…?もちろん変わったところもたくさんあるんだろうけれど、旅行者目線ではあまり感じられないだけなのかもしれない。

東南アジアの変化とは、ずいぶん違うんだなと思った。

ちょっと安心していた。

つづく。
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すったもんだ…

2019-08-13 00:14:02 | 旅行(海外)
一体、何しに行ったのだろうという感じだ。

旅の半分は体調不良と発熱でフラフラだった。元々、ギリシャはどうでも良かったのだが、楽しみにしていたアルバニアも結局、行きたいところは行けなかったし、出歩ける時間もわずかだった。自己責任とはいえ、残念、極まりない。

同行者はパスポートを盗まれ、私はケッチャップ泥棒の的にされかけるというオチまで付いた。妻と娘はおかげで旅が延長できたと、ほくそ笑んでいたけれど、新たに購入し直した3人分のアテネー名古屋間のエティハド航空の片道チケットは、ひとり9万3千円もした。日本で購入したアエロフロートのアテネ往復が8万3千円だったので、片道だといかに高いかがわかる。往復も含めて安いのを探したが、日程重視だったので、まぁ、仕方ない。予定を変更せざる得なくなると、思わぬ出費になる。

私たちが先に帰国した後、残った妻らの3人は、あの後も地下鉄や広場などで何度もスリや窃盗未遂に遭遇したそうで、アテネは、マドリードやローマなどと同じくらいのレベルで窃盗には気を付けないといけないのかなと思った。

その泥棒らに共通しているのが、ギリシャ人ではないということ。顔は浅黒く、いわゆるジプシーと呼ばれている人らに近い顔立ちとのこと。ジプシーは町中で手に商品を持って、いわゆるモノ売りをしている人が多いが、子供を含め、親と一緒に泥棒稼業をしている方々も多いと思われる。国籍や人種差別などで職業につけなかったりと、いろんな問題があるのだろうけれど、こういうイメージでジプシーの人々を見てしまい、それが浸透してしまうのは、本当に残念なことだなと思う。

ともあれ、まったく不完全燃焼に終わった今回の旅の思い出は、すでに記憶の彼方に行ってしまいつつある。

先日、チャリで世界一周の旅に出ていた元小学校教師の日本人がペルー北部で交通事故に合い、亡くなったというニュースがあった。

どんなに気を付けていても、避けられない事故もあるし、事件に遭遇することだってある。すべては運と言ってしまえばそれまでだが、どこにいても最低限、自分自身を守る術は養っておきたいし、その為のアンテナだけは立てておかなければとつくづく思う。旅に出るときは無理だけはしない、これだけは心掛けたい。

さて次は、どこに行こう?

それを考えている時が、一番、楽しいかもしれない。

終わり…。

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ギリシャ・イドラ島

2019-08-12 22:39:30 | 旅行(海外)
翌朝、体調はほぼ回復。

アテネの街でもフラフラしたいと思ったが、同行者の意向もあって、プチエーゲ海クルーズへ出かけることになった。アテネから地下鉄で30分ほどのピレウス港からエーゲ海にある島々へ船が出ている。

プチクルーズと言えば、1日で近場の島を3つほど巡って帰ってくるのが主流だが、急いで3つ廻っても仕方ない。一つでいいということで、ツアー船ではなく、通常の船でイドラ島へ向かった。行きは高速船で2時間弱、復路はローカル船で3時間半かかった。イドラ島は、いわゆる観光島で、アテネから手軽に青と白の世界を味わいたい観光客で賑わっている。

島での滞在およそ3時間ほど。

暑かった。ただ、久しぶりの日差しが気持ちよかった。帰りの船でも熟睡。

アテネに戻り、同行者がキャッシングしたいというので、シンタグマ広場に面するATMでユーロを引き出そうとしたその時、それは起こった。同行者が不慣れなので、代わりに画面を操作していると、突然、背中に液体をかけられた。

「ケチャップ泥棒」だとすぐに気が付いた。

お金を引き出すのを辞めて、すぐに同行者を連れてその場を離れた。あのまま気が付かなければ、次の展開として親切を装った仲間がやってきて、「背中に何かついてますよ…」などと言ってハンカチかタオルで拭いてくれようとするのだ。で、そのすきにカバンの中からなにか抜き取っていくという、ヨーロッパではもはや古典的な泥棒の手口となっている。ただ、かけられたのはケチャップでもシャンプーでもなく、女性ものの化粧品かなにかだったと思う。

まさか、自分がターゲットになるなんて信じられなかったが、以外にも冷静で、どうせなら次の展開までやられてみて、拭いてくれようとする奴が近づいてきたら、「お前ら、泥棒だろ!」と一撃食らわせてみたかったなと思ったりもしていた。もっとも、同行者の背中にも
べったりかけられていたので、そんなことはできはるはずもなかったけれど…。

とりあえず、一度宿へ戻り、すぐに着替えて、別のATMに向かった。

私と同行者のひとりは最後の晩餐。私はギリシャ料理が良かったが、同行者のリクエストで日本食になってしまった。明日、帰るというのに…。

私なら絶対に入らないだろうタイプの日本食レストランだ。海外でちゃんとした日本食レストランに入るのは、何十年ぶりだろう。おいしかったが、値段もそれなりだった。

それにしても、まさか最後の日に、ケチャップ泥棒に合うとは…。

そういえば、アテネの町、まったく出歩かずに終わってしまったな…。まぁ、良いんだけれど…。


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