帰国いたしました。
中国といっても滞在先が観光地ではないので、別段、日本人を見かけることもなく、帰国日の空港も至って普通で、特に連休を思わせる混雑もなかった。滞在中は天候が悪く、想像以上に過ごしやすかったのは良かった。華南地方は4月に入ると、急激に蒸し暑くなり、天気の良い日は不快指数がグッと上がる。なのでこの時期は雲が一番過ごしやすく、晴れるよりは逆に雨の方が体力的にはありがたい。そういう意味では、すごく良いタイミングだった。
そして今日は平成最後の日。
昭和から平成を迎えた日は19歳だった。
当時の友人が住んでいた中野のアパートの一室でその日を迎えた。その日は朝方まで起きていて、午後3時ころに、先に私が目覚めてテレビを付けると、小渕さんが平成の文字を持っていた。すぐに友人を起こすと、しばらくボーっとしてから二人でラーメンを作って食べたのが平成の始まりだった。
当時のその友人は、3年前、長野県の集団大麻事件で捕まってしまった一人だった。もう、20年以上会っていないけれど、平成という時代を思い返す時、なんとなくこれからも彼のことを思い出すような気がしている。
明日は令和の初日だ。
私は休みで、多分、家族と過ごすことになるだろうと思う。そして30年後くらいに、もし健康で元気でいられたら、もしかするともう一度、元号の改正をこの目で見ることができるかもしれない。その時に令和の初日はどうやって過ごしていたのか、思い出すことができるだろうかと、ちょっと気になっている。何かあえて思い出に残るような日にすべきなのか、それとも何気ない普通の日でいいのだろうかと…。
でも、良く考えてみれば、平成最初の日も特に何かあったわけではないのだなと…。あの日、単に友人宅にいただけの日だったのに、今もこうして記憶に残っているということは、元号改正ということをちょっと特別な日に感じていただけのことだったということなのかもしれない。
だとすれば、明日のこともきっと、ちゃんと記憶していられるはずだ。
やっぱり、何気ない日常で過ごそうと思う。
中国といっても滞在先が観光地ではないので、別段、日本人を見かけることもなく、帰国日の空港も至って普通で、特に連休を思わせる混雑もなかった。滞在中は天候が悪く、想像以上に過ごしやすかったのは良かった。華南地方は4月に入ると、急激に蒸し暑くなり、天気の良い日は不快指数がグッと上がる。なのでこの時期は雲が一番過ごしやすく、晴れるよりは逆に雨の方が体力的にはありがたい。そういう意味では、すごく良いタイミングだった。
そして今日は平成最後の日。
昭和から平成を迎えた日は19歳だった。
当時の友人が住んでいた中野のアパートの一室でその日を迎えた。その日は朝方まで起きていて、午後3時ころに、先に私が目覚めてテレビを付けると、小渕さんが平成の文字を持っていた。すぐに友人を起こすと、しばらくボーっとしてから二人でラーメンを作って食べたのが平成の始まりだった。
当時のその友人は、3年前、長野県の集団大麻事件で捕まってしまった一人だった。もう、20年以上会っていないけれど、平成という時代を思い返す時、なんとなくこれからも彼のことを思い出すような気がしている。
明日は令和の初日だ。
私は休みで、多分、家族と過ごすことになるだろうと思う。そして30年後くらいに、もし健康で元気でいられたら、もしかするともう一度、元号の改正をこの目で見ることができるかもしれない。その時に令和の初日はどうやって過ごしていたのか、思い出すことができるだろうかと、ちょっと気になっている。何かあえて思い出に残るような日にすべきなのか、それとも何気ない普通の日でいいのだろうかと…。
でも、良く考えてみれば、平成最初の日も特に何かあったわけではないのだなと…。あの日、単に友人宅にいただけの日だったのに、今もこうして記憶に残っているということは、元号改正ということをちょっと特別な日に感じていただけのことだったということなのかもしれない。
だとすれば、明日のこともきっと、ちゃんと記憶していられるはずだ。
やっぱり、何気ない日常で過ごそうと思う。