ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

行ってきます…

2018-04-24 21:35:59 | つぶやき
ということで、しばしタイへ行ってきます。

今回はお客さんだけでなく、友人からも大きな頼まれ仕事を頂いてしまったので、すでに行く前から荷物がいっぱいになってしまった。大変ありがたいことで、ただ、もう少し余裕を持ってご依頼いただけると、なをありがたいのだけれど…。おかげで今月は、ちゃんと休めたのは1日だけに…。

帰国は5月に入ってからで、ちょうど連休のなか日にあたる。今月はちょうど2週間、出かけっぱなしだったので、あっという間のひと月だった。

来月は、また催事も始まるけれど、ちょっとはのんびりできそうな気も…。

子供の友人の中には、連休なか日の2日間を学校休んで旅行に行ったりする人もいるらしい。確かにここを休めば9連休になり、旅行にはもってこいではある。ただ、うちは学校をやすませて…というのは、どうしても違和感がある。もっともサラリーマンの場合は休みも限られるので、仕方ないのかもしれないけれど…。

連休といえば、夏にどこかに行こうと思えば、そろそろ予約しなければいけないタイミングだ。お盆休みの場合だとすでに遅いけれど、それ以外ならまだ十分間に合う。おおよそだが、一応、ベストな予約のタイミングというのがある。

どこかに行こうと思ってチケットを探す。基本は60日前が一つの目安だと思う。ただ、欧米路線の場合はこれに限らず、半年前の方が安い場合もある。けれど早ければ早いほどいい、というわけではない。そして予約するのは火曜日か水曜日。絶対、ダメなのが土曜日と日曜日と月曜日の3日間。近年、航空券の価格は日々変動している。で、どういうわけか土曜日と日曜日は若干、高くなる傾向にある。月曜日はどこかの会社でキャンペーン運賃などが始まることが多く、すると火曜日にそれを意識した他社が
さらなる値引きの料金を出してくることも多い。従って火曜日か水曜日の午前中がベストだと個人的には思っている。あとは為替の変動分で変わることがあるけれど、これは読めないので、まぁ、仕方ない。
ともあれ、火曜日、これは押さえて置きたい。

夏にまた、どこかに行きたいと思っている。

予算は限られるけれど、南アジア、インドかバングラあたりに行きたいな…。

それでは、ともかく行ってきます…。



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本当の悪

2018-04-21 21:17:57 | 時事(国内)
ようやく体調から回復し、花粉症も終わりが見えてきた。

今月はまったくテレビを見ていなかったが、先日、久しぶりに朝のワイドショーを見ていると、官僚のセクハラ事件をやっていた。チャンネルを変えても、そこでも同じような内容のモノをやっていた。

財務省の福田さんだったか、結局、辞任に追い込まれた。酒の席とはいえ、世間で言えば、あれはやっぱり「セクハラ」にあたると思う。けれど、報道直後に素直にセクハラを認め、謝罪すれば、辞職しなくてもよかったような気もしている。

そもそも「セクハラ」は犯罪ではない。不道徳というか不謹慎というか、なんとなく容認度においても微妙なところに位置しているようにも思う。その女性の気質次第で上手に交わせる人もいるだろうし、不快に思い声を上げる女性もいる。こんな風になるなら、一層、セクハラをちゃんと定義して法律で罰せられるようにしたらいいと思う。

ところでこの新聞記者、なぜ週刊新潮にリークしたのだろう?

もしかすると、「ホステスとなって色仕掛けで情報を取れ」、いや、そう露骨でなくとも、それらしい圧力を上司や会社から受けていたなんていうことはないのだろうか?

この事件の本当の悪は、新聞社のような気がしてならない…。

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ダウン、そして復活…

2018-04-19 21:29:26 | つぶやき
昨日は、朝から体調不良だったものの仕事に出て、けれど夕方には限界がきてダウン。早々、帰宅して8時半には薬とユンケルを飲んで就寝。11時間睡眠の後、復活。旅行疲れと中国での疲れが一気にやってきた感じがする。でも、やっぱり体調不良の時には、眠るに限るなとつくづく。

中国では常宿が交易会の影響で値上げしており、今回泊まったのは初めての宿だった。チェックインして部屋に行くと、凄く広くて眺めも良い。水回りもきれいだ。これで4,500円なら一層、常宿を変更しようかと思いながらベッドを見ると、天井から雨漏りというか水漏れでびっしょり。しかし、残念ながら本日は満室で別の部屋に…という展開にはならず、ベッドの予備もないらしく、仕方なく系列の別のホテルへ行く羽目になった。場所はタクシーで20分の場所。往復の足代と翌朝9時には部屋を用意するということで、まぁ、仕事は翌朝からなので、こんなことでもないといつもと異なる地域に泊まることなどないと思えば、
案外、嫌ではなかった。

着いた系列のホテルは部屋こそパッとしなかったが、その宿の周辺には、好物の蝦ワンタン麺屋さんが3軒も連なり、そのうち2件をハシゴ。共に1杯10元(170円)だが、2軒とも大当たり。一瞬、3軒目も悩んだが、もう若くないので辞めた。ささやかだが幸せな気分で初日は終わった。後は、いつも通り何事もなく終わり、復路は香港までバスで出てそこから帰国。

そして、今度は来週、タイに行くことになっている。

どうしてこんな予定になってしまったのか、つくづく後悔しきりだが、これほどまで、疲れが抜けないとは思わなかった。体力がなくなったからなのか、年齢からくるものなのかわからないが、おそらく両方だろうけれど…。5月はちょっと休もうと思う。ジムにも行ってバルコニー作りも始めようかと…。

ではこのへんで、おやすみなさい。



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ハム男 逝く。

2018-04-17 21:25:29 | つぶやき
昨夜日本へ戻ってきて、一夜明けた今朝、飼っていたハムスターの(ハム男)が亡くなった。

2歳と10か月だった。なんだか待っていてくれたような気もした。2歳半を超えたあたりから急に弱々しくなり、先週くらいから苦しそうに息をするようになった。けれど次の日には復活して、そしてまた弱々しくなる。これの繰り返しで段々、感覚が短くなっていき、そうなるとそろそろお別れのときなんだと、ものの本に書いてあったその通りになった。

子供が幼稚園の年中の時に飼いたいと言いだしたのがきっかけで飼うことに。けれど子供はすぐに飽き、主に妻が世話をして、私は仕事から帰り、寝る前に夜行性のハムスターと遊ぶことが日課だった。そういう意味では随分、癒してもらった。
寿命は長くて3年、平均2年半などと言われているので、まぁ、平均よりちょっと長く生きてくれたので良かった。

当初、ハムスターなんて所詮、ネズミのようなもので…なんて思っていたが、やっぱり飼うとこんな小動物でも情が移るものなんだなとつくづく思った。主の居なくなったゲージを見るとなんとなく気分が重い。

中国での仕事の疲れも重なり、元気が出ない。

こういう時は、とにかく寝よう…。

おやすみなさい。
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行ってきます。

2018-04-12 00:00:33 | つぶやき
帰国して一週間、ようやく疲労も癒えてきた。歳のせいか、帰ってきて二日後くらいから妙に眠くて仕方なかった。未だ花粉症も続いていて辛いけれど、明日から中国へ行くことになっている。今年に入り、完全に行くタイミングを間違え、今月になってしまったのだが、今月も現地の事情で結していいタイミングではなかった。ちょうど交易会があり、そのせいでホテル代が倍以上になっているのだ。もちろん予めわかってはいたのだが、都合上このタイミングで行くしかなく、仕方なかった。
御用達の宿、通常4000円ほどのところが9800円に…。

これは、「ありえない!」

あの宿に1泊9800円を出すなんて無理だ。それならホテルを変えようと探したが、ほとんどどこも通常の倍以上の価格を付けている。そのような中、常宿から一ブロックのところに4000円の宿を見つけた。写真では窓もある。水回りもまぁ、許せる範囲だ。もちろん写真は写真で実際の部屋とは違うはずだが、知ったエリアでならまぁ、いいかと。
とはいえ、とにかくどこかで通常のタイミングに戻して行くようにしなければいけないので、一度、リセットして下半期からは通常に戻さねばと思っている。

では、とりあえず、行ってきます。
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ロシア モスクワ編

2018-04-10 00:00:49 | 旅行(海外)
4月上旬のモスクワ、気温0℃。数年前のルーブル暴落で、一時は超お得にロシアを旅することができるというのも、もはや昔話になりつつある。現在1ルーブル1,8円ほど。5年前、ハバロフスクに行った時は1ルーブル1,2円だったから、結構、違う。しかも、ここは首都、モスクワなのでいろいろ高いのも仕方ない。けれどアイスランドから来ると、なんでも安く感じるから不思議だ。

それでも空港から市内、電車で30分、ファミリーチケットなるものがあり、これで95ルーブル、1700円。市内の移動は地下鉄一率、55ルーブル、およそ100円。遠くへ乗れば乗るほどお得だが、隣の駅だと割高感満載。バスは利用しなかった。地下鉄の利用で面倒なのは、いちいちセキュリティーの荷物チェックがありこれが面倒極まりなかった。けれど非常時にはシェルターにもなる地下鉄は深いこと深いこと。

訪れたのは赤の広場、クレムリン、ワシリー寺院程度、後は暖かいデパートに非難。ちょっと街を歩き、また建物に入るという繰り返し。妻が出がけにホテルにスマホを忘れ、取りに戻ったこともあり、またこれまでの疲れも出て、いや、何といっても寒かったのが一番つらかった。風が冷たく、やはり内陸のモスクワは寒いに尽きる。4月の初旬といっても至るところに雪が残り、風が冷たく日本の真冬以上だったような…。

ただビーフストロガノフとボルシチだけはしっかり食べた。

これで終わるかと思いきや、モスクワを出る日に、再び乗り遅れの危機が待っていた。モスクワ発成田行きの便は19時ちょうどに出発する。けれど、どういう訳かそれを21時と勘違いしていたのが事の発端。夕方になり寒いのでちょっと早めに空港へ行こうとということで3時間前に空港へ着く列車に乗った。空港着はちょうど18時。ただ、空港へ着く手前でなにか思うところがあり、Eチケットを見ると、そこには19時の文字がはっきりと印刷されていた。「やばい、非常にやばい…」ちょっと冷や汗が出た。

扉が開き、猛ダッシュ。あと15分でチェックインカウンターが閉まる。ロンドンとまるっきり同じ状況に陥った。駅から空港内の出発カウンターまで20分かかり、カウンターに着いたのが18時20分。すでに誰もおらずチェックイン終了。「クローズ…」とひと言。

大ショックで言葉が出ない。人生初めての乗り遅れかと思いきや、実は私たちはモスクワから成田への搭乗券をすでに持っていた。ロンドンからモスクワへ飛ぶときのチェックインカウンターのスタッフが、モスクワ乗り継ぎでそのまま成田まで行くと思い共に発券してしまっていた。当然、バゲージのタグも成田になっていたので、それだけはモスクワに変えてもらったが、何せあの時も時間がなかったので発券してしまった搭乗券は「そのまま持って行け!」と言われ持っていたのだ。これを伝えると、係員はどこかへ電話をしてくれた。

「OK!, How many luggage?」

危なかった。今度こそダメかと思ったが、またまたギリギリセーフだった。あの時、早めに空港へ来なかったら…、あの時、もしチケットを確認しなかったら…、共に単に偶然だったが、確実に乗れなかったはずだ。

それからまた、事情を話し出国審査とセキュリティーを優先してもらい搭乗口へ。すでにボーでイングがはじまっていた。汗びっしょりで乗り込み、やっと一息。大人はクタクタだったが、子供は楽しそうにはしゃいでいた。そんなものなのかもしれない。

こうして旅行は終わった。

時間には余裕を…身に染みた旅になった。

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アイスランド、乗り継ぎトラブル

2018-04-09 00:00:52 | 旅行(海外)
アイスランド滞在中は天気に恵まれたがを出国する日は大荒れになった。ロンドンへの便の出発時間は朝7時15分。レイキャビークの宿から空港まではおよそ1時間。その前に空港の5キロ手前にあるレンタカー会社へ車を戻す手続きをして、そのレンタカー会社に空港まで送ってもらう必要があった。従って4時に起床。まだ夜明け前だ。4時20分に宿を出発。その時はまだ雪の気配はなかった。走り出して15分くらいすると、ちらほら雪が舞ってきた。しかしその5分後、本格的に降り出し、10分後には前が見えないほどの大雪に。アイスランドは日本と違って降り出した雪があっとう間に道路に積もっていく。ここでようやくスパイクタイヤが大活躍する。レンタカー会社へ着くころは、もうすでに20センチ以上積もっていた。返却手続きをして空港へは6時ちょっと前に着いた。けれどチェックインは通常に行われていてちょっと安心する。

この日はロンドンに着いた後、そのまま乗り継いでモスクワまで行く日だった。当初はロンドンーモスクワをロンドンのガトウィック空港からの便を予約していたのだが、出発の2か月前にこの便がキャンセルになり、同じ時間帯に出るヒースローからの便に変更になるとの知らせが届いていた。ガトウィックからヒースローまではバスで1時間半前後かかる。ただ一度イギリスに入国しなければならず、これにどの程度時間がかかるのか読めないのが気がかりではあったが、一応、乗り継ぎ時間は5時間ほどあったので、まぁ、なんとかなると思ってはいた。

雪は相変わらず降っていたが、予定通り搭乗が行われ、定刻に出発すると思われた。が、やはりすぐに出発が遅れるとのアナウンスが入った。1時間、2時間、そして3時間が過ぎた。飛行機の翼には大量の雪が積もり、それを機械で噴射する作業が行われていた。そして3時間半が経ち、ようやく出発。ガトウィック空港に着いたのが午後14時半、あと2時間半しかない。イミグレーションにはやはり行列があり、躊躇したが近くにいた係員に事情を話すと一番先に行かせてくれた。なんとか15分後には荷物をピックアップし到着ホールに出られた。けれど、あと2時間15分しかない。そのままタクシーブースへ向かった。いくらかかるのか不安だったが、もうバスには間に合わない。タクシーの運ちゃんに事情を話すと、130キロで飛ばしてくれた。

モスクワ行は午後5時の出発。ということはその45分前にはチェックインが締め切られる。その時間は16時15分。この日のイギリスはイースターホリデーが始まったばかりの日で、ヒースローまでの高速道路も所々渋滞があった。それでもタクシーはなんとか16時ちょうどにヒースローの第4ターミナルに着いてくれた。走ってカウンターへ行くと16時10分、他に乗客はおらず、まさに間一髪という感じだった。搭乗は15分後だったが、セキュリティ―があるためか、カウンターのお姉さんは「ハーリー、ハーリー!」と、急がせる。そしてセキュリティーまでダッシュするとここでも行列が…。係員を見つけ事情を話すと、一番先頭へ行かせてくれた。その後やっとゲートへ到着、すでにボーディングが始まっていた。何かがあとちょっとでも遅れていたら乗れなかったと思う。それほどギリギリだった。

もしも乗れなかったら、今日のほかの便でモスクワへ飛ぼうと思っていた。本来、航空券は順番に乗ることが義務付けられていて、1区間でも飛ばしてしまうと、次の区間からは乗らせてもらえないのが基本のルールだ。けれど、今回の理由ならモスクワー成田にはなんとなく乗せてくれるのでないかと、根拠のない確信が少しだけあった。けれど、それも杞憂に終わった。これほど焦ったのは何年ぶりだろう。もしかすると初めてかもしれない。機内に入ると、安心したせいか、すぐにコロッとて眠ってしまった。

もう1度、同じことがあるとも知らずに…

つづく。
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アイスランド 観光編

2018-04-08 00:00:31 | 旅行(海外)
アイスランドいえば、まずはここブルーラグーンだろうと思う。世界最大の露店温泉。一周するのに20分くらいかかる大きさにまずびっくり。水着を着て入る。入場料はおよそ5000円。超高いが、このインパクトを味わうことを思えば、まぁ、仕方ないのかも…。湯温は38℃~40℃くらいで真冬でも大丈夫だ。国際空港近くにあり、首都から車で1時間の距離、行きは良いが帰りが湯あたり状態での運転になりちょっと大変だった。面倒なのは予約なしでは入れないこと。それほど人気らしい。けれど入ってしまえば、何時間いてもいい。プール嫌いでもここは楽しかった


そして間欠泉、昔、高校生の頃に「なるほどザ・ワールド」で観て、吹き上がる水柱があまりにも高いので、特に印象に残っていた。ただ一番高く噴き出す間欠泉は1日に3回ほどしか噴出しないので、それに遭遇するのはなかなか難しい。なので、その近くにある間欠泉が 7、8分に一度噴き出しているこちらを見物。実際に体感すると、吹き上がる瞬間に真っ白な水煙が一瞬にして広がり、周囲が真っ白くなり何も見えなくなる。こちらの方がびっくりした。また瞬間を写真に収めようとするのがひと苦労だった。ただ観ているだけでなく、何か水に浮くものを投げ入れ、どのくらい吹き上がるのかを観てみたい衝動に駆られた。

次にギャウ。地球の割れ目 と呼ばれる大地の裂け目、南北に走るこの割れ目は、ユーラシアプレートと北米プレートのふたつが生まれる境界線にあたるらしい。その裂け目を歩ける。そしてその先にある大きな滝がある。ただここでは風が強く、超寒かった。というか痛いくらいだった。


この3つを見に行くために車で出かけた。6時間くらいかかった。首都を出ると道は1本道になりわかり易いが、道は対面走行になり皆、結構なスピードで走っているので結構、怖い。しかもこの時期のアイスランドの車はほぼすべての車に、日本ではすでに絶滅したスパイクタイヤが装着されている。雪のない道路でのスパイクタイヤによる高速運転が、こんなに運転しにくいとは思わなかった。


そして、最後はホエールウォッチング。往復4時間の船に乗った。2時間弱のところがウォッチングポントで、そこで待機、しばらくするとクジラが現れた。ダイナミックなジャンプこそなかったが、まぁ、普通に見られたので良かった。復路には複数のイルカのジャンプにも遭遇し終了。個人的には海の生き物にさほど興味はないので、1度で充分な感じだった。船代一人1万6千円ほど、自炊して浮いた分をここに投入。


そしてオーロラ。時期的にギリギリだったので当初から期待はしていなかった。3日間日中は良く晴れたが夕方から雲が出始め、夜には連日曇り。オーロラの影すら見られずに終わった。

つづく…
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アイスランド、レイキャビーク編

2018-04-07 00:32:52 | 旅行(海外)
ロンドンからのアイスランド航空は深夜0時前に首都のレイキャビークに着いた。
アイスランド航空はLCCではないけれど機内食なし、飲み物のみ無料。けれど子供には機内食が出るという奇妙なシステムで運行していた。

着くとレンタカー会社の方が待っていてくれて、そのまま近くのオフィスへ向かう。
本来なら翌朝、市内で借りるべきなのだが、何分、アイスランドは全てが高い。空港からレイキャビークへの市内へもバスで1時間の距離で一人4000円もする。ならば日付が変るタイミングで借りた方が効率がいいし安上がりだと思った。初めての国での深夜のドライブは避けたいところだが、そこは全土が田舎のアイスランド、車の数も少ないので、まぁ、慣れない左ハンドル右側通行でもなんとかなった。GPSナビも借り、1時間ほどで宿に到着。

宿はキッチン付のエコノミー宿。自炊の為にあえてそうした。食料も米などを持参して外食は滞在中2度のみ。あとはぜーんぶ自炊、結局、これが大正解。アイスランドの食事はハンバーガーなどのファーストフードを除くと、結構、油を使うものが多く、ちょっと胃がもたれるので、このほうが良かった。ちなみにスーパ-で卵12個入りが900円、ハムが6枚入りで600円、ポテトチップスも一袋600円、惣菜類も少ないし、こっちの人は一体、何を食べているのだろうと、当然、野菜も果物も激高だった。ハンバーガーも一つ1000円、フィッシュ&チップスで2000円。安かったのがヨーグルトとアイスクリームだけ。お水は水道水でも充分。

そうそう世界で一番物価の高い都市は、スイスのチューリッヒ、パリ、オスロ、ストックホルムなどの北欧がきて、ロンドン、モスクワ、そしてなぜかアフリカのアンゴラの首都ルワンダなどがいつも上位に位置づけされている。そこにはアイスランドは入っていないが、間違いなくモスクワやロンドンより高いと感じる。日本の3倍は絶対する。もっとも旅行者が接する部分と居住者が接する部分では若干、異なるとは思うけれど、それでもアイスランドは私がこれまで旅行した国では1~2番に高かった。

移動はレンタカーだったので公共の乗り物はわからないが、そもそも地方に行く長距離バスの類はない。あるのは市内の循環バスくらいで、しかも本数は劇的に少ない。間欠泉や氷河を観ようと思えば、観光バスツアーに参加する以外にはないので、ともかくここでは車が必要だと思った。

首都のレイキャビークは高層ビルの類は皆無。こじんまりとしていて、中心地は歩いて回れる。土産屋があったりレストランやパブ、教会などもここに集中している。一応、キレイでメルヘンチックな建物が並び、ヨーロッパの田舎を思わせるような街だが、ここがアイスランドで一番大きな街とすれば、あとは察して知るべしという感じ。市内には車の駐車スペースが数多く確保されており、どこでも気楽に止められるのが良かった。
やはり人口密度の低さ故かな…。

郊外にはショッピングセンターも一応ある。欧米のブランド品の店もあるし、大型スーパーも中に入っていた。日本のイオンをもう少し高級にした感じだが、人は少なかった。
モノは一応、なんでも揃うのだろうけれど…。

ちょうど北欧の地方都市、いやニュージーランドの地方都市のような感じだろうか…。

この時期の気温は0℃~5℃くらい。風が吹くと途端に寒くなるが、そうでなければ想定していた以上に暖かく感じた。娘と2人で毎朝6時に起きて散歩していたが、寒すぎることはなく普通に歩けた。宿の中は半袖で良いほどだし、アイスランド出国日以外は天気にも恵まれた。日没が遅く夜9時ころまで明るかった。日の出は6時前だったか。

近年はアメリカ人の観光客が増えているらしいと何かに書いてあったが、アジア人は本当に少なかった。韓国人と中国人がごくわずかで日本人は2家族に会った。

つづく…。
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イギリス、ロンドン編

2018-04-06 00:05:35 | 旅行(海外)
成田からモスクワで乗り継いでロンドンへ。17年ぶりのロンドン。ヒースロー空港は夜遅い時間でも激混みで、入国に1時間以上は楽にかかるだろう予想は見事に的中した。入国待ちの間、後ろに並ぶ秋田で父親の会社を手伝う27歳の青年と出会い、ずっと会話していた。彼にとって初めての旅で、これからひと月かけてギリシャまで行くという。素朴で感じのいい青年だった。自分の27歳の時と比べると、「もっと、大人を斜めに見ていたな…」と思い返す。

結局、荷物をピックアップするのに1時間20分もかかった。着後、そのまま空港近くのホテルに泊まる。

翌日、夜9時のアイスランドへの便まで日中、ロンドン市内を散策する。妻と子供が大英博物館だけは行きたいと言うのでとりあえず一緒に。その後、私は昔、しばらくアルバイトしていた旅行会社やほとんど通っていなかったが、籍だけ置いていた語学学校へ行って見たかったので別行動するも、オックスフォードストリートにあった旅行会社は郊外のサリーへ移転しており、語学学校のあったトッテナムコートロードの古いビルもすでに取り壊され完全に無くなっていた。

良くお昼に持参したサンドイッチを食べるために利用していたソーホにある公園だけはそのままで、近くでコーヒーを買いベンチに座ってボーっとする。17~18年前、午前中学校が終わると、この公園で昼を食べて午後からアルバイト先の旅行会社へ向かった。学校と行っても、就労ビザを取りたいけど取れない東欧や中国人御用達の潜り系の学校で授業はすべて自習。当時は学生ビザでも働けたので、ここにいる者は皆、年間5万円でこの学校に籍を置き学生ビザをもらい働いていた。あまり欠席が多いと、学校から移民局へ連絡されビザが取り消されるとの噂があったので最初の2か月は一応、顔を出していたのだが、3か月もすると旅行会社での仕事が忙しくなり、結局、フルタイムで働くようになってしまったので、その後、学校へはまったく行かなくなってしまった。

当時、1ポンド約190円~200円。時給は10ポンドスタートで、3か月めで12ポンドになった。日本円で2300円ほど。ロンドンの物価を考えればまぁ、妥当かも知れないけれど、それでも1日8時間でおよそ18500円。当時の社長はお金がない私を心配して、通常の仕事以外に早朝ヒースロー空港への留学生の出迎えの仕事などを度々くれるので、ひと月の給料が40万円近くになることもあった。金額だけみればアメリカなどよりも楽に稼げるロンドンに不法就労者が集まるのは、当然だと思えた。ここから家賃、生活費、交通費を除くと随分、減るが、それでも次の旅の資金調達にはもってこいの場所だと思えた。
今は1ポンド160円ほどなので、どうなのかわからないけれど、短期的に額面では日本より稼げるのは間違いないはず…。

当時、30歳、現実逃避中で、ロンドンでは朝から晩までひたすら働いていた記憶しかない。

まぁ、こんなふうに昔を思い返して、ベンチに座っていた。

それから妻と待ち合わせのピカデリーサーカスへ向かい合流。久しぶりにロンドンのパブでご飯。当時は滅多に外食などしなかったけれど…。その後、スーパーへ行って買い物をして、夕方6時にはヒースローへ向かった。

もう少し時間があれば、当時、住んでいた場所やノッティングヒルにも行ってみたかったが、タイムオーバー。物価はポンドが下落気味なので当時とそう変わらないような気もした。1日パスを使用して地下鉄、バスで移動した。当時は、まだ旧型の後ろ扉が開放型のダブルデッカーが走っていたが、今や完全に新型の閉開式に統一されていた。これでは好きな場所(交差点など)で乗り降りできないのが不自由だ。

天気はロンドン名物の曇りでどんよりだったが、時折晴れ間も出てと、思いきや雨にもなり、まさに1日で何度も天気が変わるロンドンらしい1日に…。

たった1日だけだったが、ちょっと懐かし気分に浸れた。あれから18年も経ってしまったのがちょっと信じられない。

また、いつか来ることはあるのかな…?
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