アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

教職員の不祥事について

2006年06月29日 18時03分58秒 | Weblog
 様々な教師の不祥事が報道される。報道は教師を徹底的に叩く形で、当の本人の言い分は何も報道されない。中には、そりゃあ言えないだろうというケースもあるだろう。その方が多いかもしれない。
 ただ、一方的すぎる面は否めない。
 ぼくの知り合いも学校を去った。結婚する約束をしてたが、彼女を好きな男がそれを知って、電話したらしい。彼と彼女について詳しくは知らないが、二人は結婚する方向に行っていた。しかし、一つの電話で・・・。彼女が被害者として訴えたのならわかるが、これでいいのか、と、思う。難しいけどね・・・。
 

修学旅行廃止論(3)

2006年06月27日 21時50分26秒 | Weblog
 家族で滅多に何処かに行くことのない生徒もいる。飛行機に乗ったことのない生徒もいる。高層ビルを見たこともない生徒もいる。NOばかりで、YESを数えた方がはやい生徒の方が多い。修学旅行はYESを幾つか増やす機会。だから、できれば問題を解決して、残しておきたい学校行事の一つだ。
 ただ、時々PTAがアンケートを取って欲しいということがある。冗談じゃない。アンケートを取れば、田舎の生徒は東京を最優先するに決まっている。他は情報が少ないから、そうなってしまう。そのアンケートに意味があるのか。いや、そもそもアンケートを取ること自体が納得いかない。PTAが金を出すのだから当たり前、というなら、じゃあPTA企画でやればいいだけのこと。それはしないくせに、できないくせに、3年という線も把握してないのが、一つの点だけに口挟むんじゃないよ。
 様々な思惑がありすぎる。退職校長が旅行社に入り、学校に来るのを見ると絶対この旅行社にはしたくないと思う。そういう環境もよろしくない。
 ゼロから考えてみるいい機会。とりあえず修学旅行は廃止しましょう。場合によっては、いい形で明日よみがえるかもしれないんだから。

修学旅行廃止論(2)

2006年06月26日 19時50分58秒 | Weblog
 ある生徒のお金がなくなった。金額は8万円。何のお金だの問に「修学旅行の小遣いの残りです」と答え、教師はぶっ飛んだ。学年でアンケート取ったところ、20万以上持っていった生徒が3名いたという。修学旅行が「買い物ツアー」になっている面は否めない。
 体験の主流のスキーにしても、宮崎県にもスキー場がある時代である。そりゃあ北国のスキーとは雪質、広さ、施設、インストラクターの技術等で雲泥の差ではあろうが、家族で手頃に行ける状況だ。確かに家族とクラスメートでは楽しさの質が違う。ただ何故スキーかの理由が弱い。
 海外はお金がかかりすぎる。日本国政府が中国との関係改善に国費で中国の修学旅行をさせてくれるのなら構わないが・・・。遊びや買い物や観光で終わるのは申し訳ないので、砂漠化を防ぐために植樹をすればいい。自分が植えた木が大きく育ち、砂漠化を防いでいる。その想いって結構ロマンが漂うんじゃないかな。
 何故、修学旅行をするのか。惰性で続いているとしか思えない。ならば廃止という方向もあるんじゃないかと思うのだ。
 

修学旅行廃止論(1)

2006年06月25日 17時43分41秒 | Weblog
 修学旅行は生徒にとって学校生活一番のイベントだ。以前は観光が中心だったが、最近は体験が中心になっている。海外が増え続けていたが、テロやサーズで以前の勢いはない。
 県によって、行き先によって金額に規定があるようだが、実際は守られていないのが現状ではないかと思う。国内は9万以内、オーストラリアやニュージーランドは15万以内というように。
 大抵の学校は入学してから積立を始める。中には初回で全金額をポーンと払える家庭もあるが、積立を申し込んでも初回から入金がないというケースも少なくない。9万以内といっても、それは旅行料金だけだ。スキーをする場合リフト料金が入っていない場合もあるし、もし九州から北海道に行けば、防寒着等を買わなければいけないし、小遣いも3万くらいは持たせるだろうから、結局は14,5万はかかるだろう。海外になれば、パスポート代や大きめの荷物ケース、と、これも20万は越すだろう。
 とにかくお金がかかる。だから参加できない生徒が出る。ぼくにはこれが切ない。だから、できるだけお金がかからないプランを立てる。お金の心配のない家庭は家族で行けばいいと思う。また、あっちこっち行ってる生徒も多い。お金がかからないプランはオフシーズンを狙うしかない。たとえば、冬の沖縄。
 冬の沖縄は、天気さえよければ、ダイビングもできるし、2月になればプロ野球のキャンプもあるし、体験の種類が実に多い。加えて、米軍基地、戦跡も多く、平和学習には事欠かない。
 それでも8万はかかる。そして行けない生徒が出てくる。加えて冬だとインフルエンザの心配がある。行ったものの、ホテルで寝ているだけということになる。
 根本から考え直す時期にきているように思う。

機能しないPTA

2006年06月24日 22時14分36秒 | Weblog
 学校のあれこれの中でPTAのあり方を考える時期に来ている。保護者会という名前に変えた方がいいかもしれない、と、思う。
 PとTの認識に大きなズレがあり、結局はTが歩み寄っているのが現状であり、それがPの錯覚、勘違いを招いている部分が結構ある。
 Pは家庭での部分の責任を果たすべきで、それができない、していないPが自分のことを棚にあげてやたら喋る。Tが家庭の部分まで背負っていることを認識できていないのではないか。家庭との連携とか叫ぶ人がいるけれど、そこまで。具体的なことは何も言えない。学校を出たら、教師の責任外なのだ。そこからはPの責任です、と、管理職は言えよ!

PTA会長の娘教育

2006年06月24日 17時54分16秒 | Weblog
 昔、学校行事の打ち上げにPTAが参加した。勿論PTA会長もいた。その行事の担当者だったので仕方なくそれに参加したのだが、ぼくは飲み会の時誰かに注ぎに行かない。会長が来た。ぼくが注ぎに行かないことをやんわりと批判した。そして、
「結婚してますか?」
ええ、と、応えた。
「靴下は、どうやってはいてますか?」
奇妙な質問だ。
「私は結婚してから靴下をはいたことがありません」
ぼくは彼の足を見た。その日は畳席、彼は靴下をはいていた。
「女房にはかせるんです」

「私が足を出すと、女房が靴下をはかせるんです。こういうことをしないといけない」

「娘にもそういうことはきちんと躾けています。娘と結婚した相手は、自分で靴下をはかなくていいんです」
どす黒く脂ぎったでニヤニヤ笑っていたが、間違いなく彼の自慢なのだ。この空前の唖然、呆然は世界遺産に登録して欲しい。
 彼の娘は、端整な顔立ちでスタイルも良かったが、笑わない印象しかない。彼女は卒業して遠くの学校に行った。正解!

教師百景(6) パチンコ熱中族

2006年06月23日 18時04分15秒 | Weblog
 時間があればパチンコをする教師は結構いる。飲み会の一次会が終わると、パチンコ屋に走り、弊店まで、というパターンもある。彼らの話を聞いていると、多いときは一日で10万以上の金が出たり、入ったりすることがあるようだ。パチンコ専用の口座にかなりの金額が入っているのもいる。
 ぼくは待ち合わせの時間つぶしにするくらいで、一年に一回もない。パチンコなんざ時間の無駄だとしか思えない。
 時々、パチンコをしていたことで指導を受ける生徒がいるけれど、生徒諸君、もしどうしてもパチンコをするなら、他県のパチンコ屋に行くがいい。パチンコ屋の何処かに君の知っている先生がいるのだから。

生徒百景(8) 人権標語作品

2006年06月22日 21時29分18秒 | Weblog
 人権標語を全校生徒に書いてもらい、それをクラス担任が数篇選んで、それを係がまとめ、何人かに一覧を配布して、投票してもらう。それが回ってきた。
 学年ごとにまとめてあり、それから5編に○という依頼だけれど、真似、弱い、わからない等でどうしていいかわからない。それで視点を変えて、それぞれを作者一人を読むという方向にした。担当学年の生徒作品では誰のものかはわからないが、ぼくの受信能力はそこそこに働く。他学年の作品は顔も何もはわからないが、その生徒の気持を汲み取ろうとすると、それぞれに風景がぼんやり、時にははっきりと見えてくるような気がした。切実なものもある。
 心という言葉が一番多い。それが大切なことはわかっているし、それを求めているのだ。オトナは子どもをもっとよく見て、もっとよく聞いて、全身で応えることが求められているのだ。子どもと向かいあうということは、時間じゃない。生き方の流儀だ。チョイワルオヤジで、カッコばっかつけてんじゃねえぞ!
 

子どもにモノを与えるな

2006年06月22日 05時32分04秒 | Weblog
 家庭訪問をすると、凄い部屋がある。マンガがずらり、パソコン、DVD、何でもある。食い物さえあれば、外に出なくても生活できそうだ。
 結局、親が閉じこもれる空間を与えてしまったようなものだ。親はビールを発泡酒にかえて我慢しているというのに、だ。オトナより子どもがいい生活してどーすんだ。子どもの何かしたいにNOを言って、お父さんだってしてるじゃないか、と、応えたら、オトナになればお前もでき、と、返せばいい。
 友達が転校して、友達がいなくなったから、と、友達の転校した学校に転校。父親は長距離通勤で身体を壊した。そして、子どもは学校に行かなくなった。子どもの甘えを許すからそうなる。厳しくしなさいというのではない。限度をきちんとわきまえる。それだけのことなのだ。

不純異性交遊

2006年06月20日 22時19分05秒 | Weblog
 まだ、こういう言葉が学校には残っている。なんて汚い言葉だ。
 好きになる気持にストップがかけられるか? 好きな人と一緒にいれば、もっと永く一緒にいたい、くっついていたいと思うだろう。それが不純だと!
 はっきりしているのは、そういう名前を考えて使うことが極めて不純だということ。
 何が純粋で何が不純か、そんなこと、誰が説明できる。