アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

末期

2009年06月30日 20時40分02秒 | Weblog
 政治の貧困がうねりとなって毎日報道されている。したり顔で麻生首相の後を狙う発言は火事場泥棒みたいなもので、いただけない。学識も経験もある方々が何故こうも笛に駆けるネズミのようになってしまうのか。不思議でならない。あなた方に投票した人々のことを考えている気配は微塵もない。自民党は下野するだって?アホな。解体、解散、でしょう。もはや自分の議席しか考えていない姿を露呈してしまった。後は、民主党が、それに何を学び、どう是正できるか。それができなければ、砂上の楼閣。どうもそんな気がしてならない。

老醜

2009年06月25日 22時31分18秒 | Weblog
 知事に国政選挙に出馬依頼したら、次期総裁候補にしてくれたらとかいう条件を出され、自民党からバカな発言なかりが飛び出す。「顔を洗って・・・」発言は、政治家の発言ではない。自分の愚かさをプレゼンテンショーンしただけのこと。
 リーダーがいないんだな。「下らん発言をするな」と徹底できない。きちんとできている組織なら、マイクを向けられても「それは官房長官が」とみんなきちんとできるはずだ。前の総務大臣にしてもそうだが、「私」がまずある。党や国はその次なんだな。ああ、情けない。
 党さえきちんとまとめることができないのに、国をまとめることができるものか。

変化

2009年06月21日 20時11分47秒 | Weblog
 ふと、酒を控えてみようと思った。そして、自分でも驚いたけれど、一週間続いた。そして、その一週間は、眠りの質と夢の内容が違った。
 眠りが深くなった、ように思う。かなり眠ったつもりで、ふと時計を見るとまだ深夜前だったり。そして、夢が明確になった。細部まできちんとして、リアリティがある。
 週末、酒を飲むと、味が違う。まずくなっている。なんで、こんなのを毎日飲んでいたんだろう、と、不思議に思う。パブロフの犬以下になってしまってはいないか。
 禁酒とかではない。生活から酒を抜いたら、結構面白い体験ができるというだけなのだ。さて、明日からの一週間、どうなることやら。

正義

2009年06月13日 19時53分45秒 | Weblog
 ある大臣が頻繁に使ったけれど、辞任に追い込まれたことは政治に、あるいは自民党に正義がなかったということになるのだろうか。
 その大臣はついでに自民党も抜けた方がいい。もともと、自民党に、世間でいう正義はないのだから。もし、正義があれば、ここまで日本はひどなっていない。最近になって、法人やらが、税金のトンネルで一部の人たちに流れているということがわかってきた。とんでもないことを、自民党は何もしない。正義という言葉は、前総務大臣だけではないか。
 おかしいことはおかしい。それを是正できない連中は政党ではない。国民をむさぼるだけの徒党だ。

極意

2009年06月12日 18時50分02秒 | Weblog
 朝、5時前に起きて、寝ぼけ状態で犬と散歩をする。約2キロ。帰って、犬に朝ご飯をあげて、シャワーを浴びる。その後、昨夜の風呂の残り湯で、選択する。もちろん、洗濯するのは機械で、ぼくではない。家族を起こすにはまだ早いので、草取りをする。最近、草取りで心がけているのは、抜き取る時に、根っこまで抜き取ること。以前はほとんど地面のところで切れていたのだけれど、最近は半分くらいになった。根元を親指と人差し指で挟み、スーッと持ち上げた時、根元から抜けていると、佐々木小次郎を破った宮本武蔵の気分を感じる。

 ささいな日常に修行ある。

雑草

2009年06月11日 06時08分05秒 | Weblog
 それぞれ違いが明確にあり、名前がつけられているのに、雑草とひとくくりにされる。それは名前も、違いも関係ないという姿勢かもしれない。そして、それに似たことを、「国民の皆さん」と言われる時に感じる。

 それにしても、「雑草」は強い。取っても取っても出てくる。特に雨の後は、乗っ取られそうな勢いで伸びている。そして、しゃがんで抜いていったら、今度は反対方向に戻ると、必ず見落としている。とにかく、「雑草」は油断ならないのだ。

体温

2009年06月06日 20時04分42秒 | Weblog
 誰かが触れると、直後には体温が残る。その体温のなかには、抵抗のないものもあれば、違和感を覚えるものがある。
 あれは何だろうか。
 温もりだけでなく、それはほかの感覚にもある。匂い、音、映像。
 違う家やホテルで明かりをつける時、家の感覚で手を伸ばすことがある。感覚はある条件に慣れてしまうと、結構バカになるのかもしれない。バカになっていいものと、そうでないものがある。朝の食卓の味噌汁で、ああこの匂いと感じるのは「帰ってきた」思いを強めることがある。
 慣れっこになった感覚体験以外にたくさんの感覚体験をすることはいいことかもしれない。そう思う。

靴下

2009年06月01日 06時02分27秒 | Weblog
 ぼく専用の靴下の引き出しが二つある。冬物も夏物も雑然と入っていて、毎朝選択する。もう数年はいていないものもあり、処分しようかとも思うが、できない。穴の開いたものもあるが、捨てきれない。朝、犬と散歩の時に使えばいいと考えてしまう。その結果雑然としてしまう。
 犬と散歩の靴も9年目を迎え、さすがにくたびれている。しかし、朝の散歩には足がなじんでいて、ピッタリ感があり、捨てきれない。
 ただ、やはり整理しなければ。ただ、捨てるのではなく、袋にシャツや靴下を切っていれ、犬用のクッションにしようかと考えている。セコイ。貧乏性。金だけがたまらないのが、不思議でならない。