アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

安部内閣は夏に滅ぶ

2007年02月27日 21時44分17秒 | Weblog
 安部首相の語彙の少なさには驚く。言葉尻をとらえられないための防御策だろうが、それにしても同じ単語の繰り返しはいただけない。彼がやることより、やっていることをどう説明するか、それができないのだ。
 彼が力を入れる拉致問題。解決しなければならない。ただ、彼の支持率が自民党の支持率低下にもつながっているから、解決できない方向に向っている。加えて、他国との足並みに遅れが出ている。顔の見えない大御所の何人かの意向は、安部切捨てに動くのではないかと思う。
 まッ、安部も悪い。曖昧な言葉で支持率を落としているのなら、はっきり言って落とした方がまだ納得できるだろうに。それをしないのは、自分ではっきりしていないからだ。自民党が下ろさなくても、国民が下ろすんじゃないか。

誰のためのメンツだ

2007年02月25日 00時28分26秒 | Weblog
 政治はそれほど難しくはないと思う。基本をきっちりしてればいい。自民党はひどい。結局、「美しい日本」と、形容詞で語った方法とその本人が悪い。形容詞は実態がないのだ。
 黒川キショウが「花道を作るため」と都知事選に出ると表明したが、石原知事と友達なら、二人で話せばいいことだ。動機も言葉も話しにならない。
 明日も報道されるだろうけれど、総理が入ったら起立云々。アホの博覧会。
 意識、認識、ビジョンが政治家と国民とかけ離れている。文科省の大臣も対応が早いと思ったが、自分の足元は誤魔化す。ひどい。

春の雨はやさしい、か?

2007年02月22日 20時39分19秒 | Weblog
 小椋桂の歌に『春の雨はやさしいはずなのに』とかいうのがあった。不確かなタイトル以外覚えていない。
 結構強い雨で、「春雨じゃ、濡れていこう」なんてものではない。やさしくない。
 と、同時に、この時期にこんな強い雨ってのも、もしかして異常気象のせいか、と、思うと、なおさらだ。
 昔、近くに梅林があり、花見客相手に母親連中が店を出していた。学校から帰るとランドセルを放り出して、そこに走った。何か食い物にありつけたものだ。
 四季があることは、何と幸せなことか。
 川端康成のノーベル賞受賞スピーチは「美しい日本の私」。「と」じゃなく「の」にしたところが川場のいいところだ、と、当時の国語教師は言った。今の自民党総裁なら到底そんなことはできまい。
 様々な天気を今のうちに楽しんでいた方がいいのかもしれない。思い出を整理して、リュックに詰められるサイズにしておいたほうがいいかもな。雨がやさしく囁いている。

国体をオトナの大会に!

2007年02月21日 23時48分22秒 | Weblog
 国体が健全でないことは誰の目にも明らか。開催県がトップになるためにいびつな採用が行われる。九州の某県での大会に東北の選手を採用したが、後がない。その人は職場であれることもあったらしい。
 いつもトップをへこますから価値がある。
 開催県は全ての競技にエントリィできるから点がついて、って、これはいかん。高知の橋本知事がNOを唱えたのは正しい。
 大きな金が動くのだ。何処に?
 

政治は見えない方がいい

2007年02月21日 04時09分04秒 | Weblog
 あれがどーの、これがこーのと政治が右往左往している。政治が最低の証拠だろう。
 近くを散歩する。安心して快適に楽しめる。その裏に細やかな配慮が行き渡っている。政治というのはそうのが望ましいのではないだろうか。総理に忠誠だの、総理が来ると一斉に起立だの、ホント、下らないことがニュースで伝えられるこの国の政治はどうしようもない。選挙では義理人情のしがらみではなく、本当に生活を支えてくれる人材を選ばないと、自分の首を絞めることになる。自民党が小手先ではなく、真に党の姿勢を正すのなら支持してもいい。しかし、そうなったら、自民党じゃなくなるんだろうな。

リーダーなき自民党の滑稽

2007年02月19日 22時16分57秒 | Weblog
 中川幹事長の発言が何だかまた物議。官房長官は国会で質問されたら「中川に訊け」と応えるオソマツ。で、当の本人はまた曖昧にフォローする。自民党のこの体質はもうダメだ。時代に対応できない。何故、きちんと応えることができないのかな。ただ、吉本には脅威かもしれないな。笑わせるつもりでなく笑われるんだから。

送辞と答辞

2007年02月16日 18時59分17秒 | Weblog
 現在、学校では卒業式に向けて、準備が静かに進められているはずだ。
 ぼくは今年3年部なので、答辞が気になる。担当者が生徒が書いたものを見せてくれる。はきはきして、物怖じしない、積極的な生徒が今年の答辞の名誉。よく書いている。しかし、と、考える。
 黒澤明の自伝で、黒澤が卒業式で答辞(そういう名称だったかは自信がない)を読むことになり、彼の兄がありきたりではダメだと言い、それを書くが結局は懐に忍ばせたありきたりを読んだというような記述がある。
 学校はおそらく進化に対応できない恐竜みたいなもので、この期に及んでもまだ「形」を考えている。ぼくの理想は三年生が「卒業式運営委員会」みたいなもので、自分達の卒業式を企画することだ。卒業式の主役は卒業生なんだから、こういう形で卒業したいという「わがまま」を受け容れていいと思うのだ。
 さて、答辞だが、饒舌。喋りすぎる。みんな知っていること、わかっていることを並べる必要はない。答辞は卒業生が思いを共有すればいい。ならば、思い出を引き出すための刺激剤の役目もある。ABCDEを話したければ、思い切って、BとDを抜いてしまう。思い出を共有するから、思い出すためには間もいる。沈黙もまた雄弁な場合も少なくない。
 幸いなことに担当者は形にこだわらない。言葉の訂正、使い方はきちんとするというスタンス。ぼくは肉声を聴きたい。梅の花が云々なんて始まりではなく、さよなら高校生活で始まってもいいと思うのだ。
 難しい。
 ぼくは一つの舞台と考えている。だから、卒業生だけでなく、教員としても感動したいと思う。頑張れ。このブログ、読んでるんだろう?
 

衆議院予算委員会

2007年02月13日 15時44分33秒 | Weblog
 腰痛と頭痛で学校を休み、うなされながらテレビをつけたら、共産党委員長が質問していた。修学旅行にいけない生徒が増えている・・・。よく取り上げてくれたと思い、聴き続けた。彼の質問は日本の貧困問題が根っこにあるようで、北朝鮮やらアメリカ問題ではなく、国内の問題。やはり、この辺からまず解決して欲しいと思っていたので、嬉しかったな。それに応える首相と大臣が苛立つ。心がこもってない。(心があるのかどうかは抜きにして)。学校の問題を解決することは、同時に多くの問題を解決することになる。そのことを国会議員のセンセー達はどれくらい考えているのか。選挙の時だけ美辞麗句を並べるだけのセンセーにはご引退してもらわないといけない。

バレンタイン、だぞ

2007年02月12日 20時51分14秒 | Weblog
 小学校の娘二人が半日かけて何やら台所で。バレンタインデーのものをこさえているんだと。まあ、相手がじいちゃん、ばあちゃん、男抜きの友達なんだが。
 スーパーもコンビニもチョコレートだらけだ。不二家はがっかりだろう。結局商業ペースにのってるだけのことだ。それに四季八苦しての喜怒哀楽なんてバカバカしい。
 子どもがやたら自販機で飲み物を買う。消費の道具になっていると思い、悲しくなる。バレンタインデーも同じ。
 オヤジ諸君、お返しなんてしないで、嫌われよう。10個もらえば、一人だけ本命にすればいいのだ。でも、オヤジって、万人ウケしか念頭にないもんな。ただ一人の本命を見透かされるだけでも生死問題。
 言いたくて、決して言ったことがない言葉:君のはいらない。