アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

森元首相の発言

2006年10月29日 19時15分17秒 | Weblog
 「補習なんかやる必要ない。教科書読んで、論文、レポートか書かせればいいんです」と、森元首相が演壇で話した。
 自分の発言で首相を降りたんじゃなかったか。ホント、無責任な発言。その程度であれば、問題でも何でもことがわかっていない。困るな。

やっぱり、ね。

2006年10月28日 18時06分03秒 | Weblog
 「奥の手」ということで、必要単位数の最低単位での処理とか、レポート提出とかが出てきた。そんなことしたら、まともにやってきた生徒との不公平感が出てくるのはわかっていると思う。しかし、殆どは一流進学校だから、その卒業生が中枢にいる可能性は高い。だからできることだな。この問題はウヤムヤの中で終結することだろう。ルール違反をしましたと頭を下げて、後は生徒のためを理由にウヤムヤ。そのウヤムヤが今の体質なんだ。そうすることで、どういう影響を与えるのか考えていない。学校がそれを許したらもう日本はおしまいだな。生徒を救い、ウヤムヤにさせない唯一の方法が、教委、校長の全員退職ではないか。日本的で意味はないかもしれないが、これしかない。

 正直者がバカを見る時代になってしまった。嗚呼、情けない。

いじめ問題の周辺

2006年10月27日 21時28分48秒 | Weblog
 いじめ事象の幾つかに教師と学校に責任があることは認める。だから学校を責める風潮には異論がある。
 最近は親が学校のあれこれに口を出しすぎる。それがまともな意見なら、ぼく達は素直に頷ける。しかし、殆どが自分の子どもだけをみて、自分のこどものための苦情でしかない。それも、教師からこう言われたという子どもの言葉を通してなのだ。
 生活態度、学習態度、そして成績で何かあれば注意する。何度注意してもなおらなければ指導は厳しくなる。厳しくなったその一部を子どもは親に言う。子どもの自衛本能だろうが、それに過剰反応する。
 高校なら退学もできるが、小学校、中学校にはそれはない。現場の教師の苦しさをマスコミは何も伝えない。マスコミは偏っているとしか思えない。マスコミによる教師いじめだ。コメンテーターが、情けなさと怒りを装った顔で、教師に反省を促すような言葉を並べるが、報道の一部だけでの感想以外の何物でもない。しかし、それを観ている人は信じるのだ。
 いじめは良くない。当たり前だ。それを教師が行った例もある。しかし、それは全体から見れば稀有な例ではないのか。それを教育現場ではそうなっているようなたれ流し報道だ。その報道に触れた保護者が過剰反応することを考えて欲しいと思う。他局よりも詳しくが、結局は深刻に問題を報じることになる、そういう報道が横行している。
 報道が次のいじめを生むこともあろう。その辺のデリカシーさが求められるのではないのか。ないものねだりか。

まだまだ増える履修不足

2006年10月27日 18時54分02秒 | Weblog
 高倉健が文化功労者に選ばれた。彼の歌う『唐獅子牡丹』だったかは、昔は放送禁止だったように思うが、遅い。彼はもっと早く評価してよかったと思う。最も、お上がそんなことしなくても、彼にはファンの確かな応援の感触は常にあったと思う。夭折で伝説になった俳優もいるが、彼はまだ現役で伝説になりつつあるように思う。『動乱』が完成して、今はなき『スター千一夜』で共演の吉永小百合と出演。しかし、健さんが余り喋らないので、何か音楽を流したいんだけど何かない、と言われ、まだ無名のリチャード。クレイダーマンを流したのは、ぼくでした。番組終了後、あの曲は何だという電話があり応対に苦慮したらしい。

 さて、連日の「履修不足」。全国PTAが文科大臣に要望書を出したらしい。PTAがもっと進学指導を、と、学校に要望した経過もあるのではないかと思う。
 それにしても、「保健」すらしてなかった学校もあるというではないか。おそらく、今後、理科にも出てくるかもしれないから、更に数は増えるだろう。

 数年前だったか、文科大臣が「総合的な学習の時間を見直さないといけない」と漏らしたが、それは各国の高校生の学力の順位が下がったことを受けてのことだった。しかし、そんなことは現場ではとっくにわかっていたのだ。それを何も考慮せず、やれゆとりだ云々して、現場無視の改革をしてきた。困るのは現場だ。総合的な学習の時間なんてのは、文科省のご都合主義の結果の鬼っ子ではないのか。現場でどれだけ忠実に実施してきたか、極めて疑わしい。進路研究という名前の授業が一番多いはずだ。文科大臣が「見直し」を言うのだから、現場では先取りしたといえばいいだけのことだが。

 大学進学を希望する生徒がいればどうにかして叶えてやりたいと思うのは当たり前のことだ。競争の激しければ、他より早くスタートするしかない。これもわかる。でも、まともにやっている学校の生徒はどうするんだ。全国PTAの視点にはそれがない。

 どうか「生徒のため」という言葉は使わないで欲しい。一流進学校は校長として最高の「上がり」の場所。結局は自分のためでしょ。だから、潔く辞任しなさい。

履修不足蔓延

2006年10月26日 20時14分25秒 | Weblog
 履修不足の学校数がどんどん増えている。各県の有名進学校は全部じゃないかと思うほどだ。富山の校長は「こどもがから希望が出たので」と云うが、バカ言ってはいけない。事もあろうに生徒のせいにしてるが、結局は実績を上げる自分達のためにしたんじゃないか。この件では関係学校の校長と教委の責任者は処分されるべきだな。自らルール違反をしましたすみませんと云うのだから、言葉だけで処理してはいけない。全員退職すべきだ。しかし、正常化こそ務めとか言って、のうのうと居座ることは目に見えている。そういう体質が学校を悪くしてるのだ。文部科学省の官僚の中にも履修不足がいるかもしれない。さあ、どういう風に収めるか。

履修不足という問題

2006年10月26日 05時59分35秒 | Weblog
 青木鈴花ちゃんを守る判決が出た。彼女が喜ぶ姿には心を洗われる。彼女の入園を拒否したのは、もしもの時に自分が困るという大人の立場であり、大人はむしろ、そういう子どものために努めるべきなのだ。

 そのニュースの後、ヤンキー先生が深刻な顔でいじめ云々する画像が流れた。鈴花ちゃんとの落差が大きく、大人って大変だなあと他人事のように思ったりしたが、自分の立場ではなく、教育の根っこから考えなくてはならないと思う。そういう人が何より求められる。

 履修不足は入試を優先した結果だが、学校だけ責めるのもちょっと可哀想な気もする。
 これから70単位を履修するらしい。多くは進学校だから、センター試験に向けてラストスパートが始まる時期に、大変だろうな。ただ、2単位だから70時間というが、どこの学校でも実施時間数は60時間行かないのが現状だ。高校生が気の毒だな。

 様々な形で現場はシンドイ状況になっている。指導する側は自分の立場で現場に色々と文書を送るのだろうが、。「適切に指導するように」と実際は現場への押し付けが実情だ。こんな状態が続けば、今後体調を壊す教職員が出てくるかもしれない。それも真面目だからそうなる。言われたことしかしないことが自衛策かもしれないが、そうなると学校は死んでしまう。

 一度、立ち止まって、じっくり考えなくてはならない。それも教委ではなく、現場がだ。大人の底力を見せる時だ。

顔のない休日

2006年10月24日 13時31分22秒 | Weblog
 風邪で休んだ。休むことは昨夜決めたことで、こういう決心は朝に揺るぐことはない。洗濯をして、犬と親父の家に行き、猫を呼び、一人と一頭よ一匹でひなたぼっこをした。陽だまりでただただぼーッとしてた。何も考えない、というより、頭が動かない。犬が飽きて、ウロウロし始めたので、くるまのガソリンを入れに行き、帰りにビールを買って、風に揺れる木々を見ながら、ビールを飲んだ。家人も子どももいない。飽きて、テレビをつけたら、昼の番組の何とつまらないことか。

 忘れてた秋ジャンボを調べたら、かすりもしない。いかんな。金を頭に置いたら、人間はダメになる。お決まりの悟りにうなだれて、パソコンを開くと、医師からのコメントがあり、笑った。

 やがて、子どもが帰ってくる。洗濯物でも取り込むか。

健康診断の結果に考える

2006年10月23日 18時08分38秒 | Weblog
 朝、シャワーを浴びる生活が続いているが、出勤前身体がだるい。昨夜は9時には寝たし、と、色々考えたが、結局青い月曜日で片付けた。
 朝の最初の授業が終わると、机の上に健康診断の結果があり、精密検査を!だと。丁寧にその結果を医師に書き込ませる用紙まで入っている。だから、何だ!
 基本的には生きていることが健康には良くないと考えている。死ぬ時は死ぬ。それだけのこと。
 これを読んでいる一人に、医者がいる。「歳とったせいか、最近愚痴が多いですね」とメールできた。ぼくはどうも医者が苦手だ。母が入院していて、見舞いに行った時、エレベーターに点滴をしている人が器具をひきずりながら乗ってきた途端、ぼくは気を失いかけた。腰を痛めて、どうしようもなく、医者に行ったら、看護婦がとてつもなく大きい注射器を出して、ぼくは診療台から飛び起きて、逃げた。
 医学を体験するのもいいかもしれないと、心の準備は進めているが、そうまでして行きようとは思わない。子どもが可哀想でしょう、と、言う人もいる。好きで死ぬ訳じゃない。今は、朝のシャワーで風邪をひいたのか、と、それに対応するだけだ。 

早寝、早起き、坂本竜馬(3)

2006年10月19日 21時09分18秒 | Weblog
 ようやっと読み終えた。
 上下2段組で1800ページ弱。おそらく竜馬を描くにはそれだけの分量が必要だったのだろう。読み終えると、それでも物足りなさを覚える。司馬の創作がどれくらいあるのかわからないが、とてつもなく魅力的な人間だった。
 維新前夜の闇の中で、多くの人間が懸命になり、命を落とした。死をかけて多くの人間が動いた。現在の政治家の無節操、無責任にくらべると、颯爽として、潔い。日本史の一部での考えや動き、竜馬という日本人最高の偉人、そして、時代の空気。そういうものをたっぷりと味わうことができた。チト土佐弁で話したくなるぜよ。

死んではいけない

2006年10月17日 21時37分06秒 | Weblog
 谷川俊太郎の父親、哲学者の徹三(漢字って、こうだったか?)が自殺しようと思って、ホイットマンの『草の葉』を持って死に場所を探して、ホイットマンを読んでいるうちにバカバカしくなって、やめた。時代は下ってある若者が自殺をしようと、ポケットラジオを聴きながら死に場所を探している時、ラジオから甲斐バンドの『翼あるもの』が流れ、それを聴いて自殺をやめた。そういう話を聞いたことがある。ようやっと6分の5まで読んだ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中で、二人で宿泊した寺田屋が幕府100名に襲われ、手傷を負いながら、どうにか逃げられそうな時に、竜馬はもう一人を薩摩屋敷に走らせる。その時竜馬は「とにかく逃げろ。生かすかどうかは天が決めること。逃げろ!」そんなことを言う。
 仕事は食うための一手段。そのために死んではいけない。ぼくもそう思い、ジャンプをとどまった経験がある。悩むことは問題を認識できるから悩む。これはまともである証拠だ。健全。
 イヤなことがあればズル休みをすればいい。釣具屋で安いセットを買って、海でも、川でも、水溜りみたいなところでも、釣り糸をたらせばいい。アタリがなければ悔しいかもしれない。アタリがあれば心が躍動するかもしれない。何もなければ、水平線や流れや木々を眺めればいい。自然にひたれば、職場なんて小さいことがよくわかる。そんなことで深刻になってはいかんぜよ。
 生命は成長させる力だとぼくは考えている。その生命がある限り、次にいける。だから、死んではいけない。生徒も教師も死んではいけない。視線を上げろ。視線を上げれば、光はさしてくる。

 頑張りましょう。