アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

戦力外通告

2007年12月31日 01時40分58秒 | Weblog
 ぷろ野球の華やかな面が報じられる裏で、戦力外にされる人がいる。つまり、クビ。トライアウトを受けて・・・。

 もちろん、華やかさとかおいしさもあったろうが、勝負の世界だから、仕方ないが、無情やなァ。

 誰か、じゃなくみんな言った方がいい、読売巨人軍は、日本は軍を持ったらいかんから憲法違反やで。加えて、恥を知らない増強。俗悪。サイテー。こんなんで優勝しても、ファンは離れる。無能な集団だ。それがわからない感受性が問題であることにまだ気づいていない。

門限問題

2007年12月28日 18時13分51秒 | Weblog
 オダギリジョーの結婚相手の門限が10時ということ。ところが、かつては当たり前だったことが、現在なくなりつつあるようだ。
 子どもの門限については親の問題だ。ところがその親が大問題で、給食費は払わないだの、と、一昔前の親には当たり前だったことが、当り前ではなくなっている。
 こんなことはとっくに予想されていた。高校を卒業してすぐ結婚というケースは昔からあった。二十歳前に親になり、子育てに懸命な時に、かつての同級生は旅行だ、ドライブだ、カラオケだ、と、楽しんでいる。うらやましくもなるだろう。
 ともかく、すべては親の責任。それでくくっていい。親がいい加減な生活をしていて、その埋め合わせとして、子どもに「アメ」ばかり与える。子ども学力低下は子供でも学校のせいでもない、親なのだ。まずそこを考えるべきだろう。文科省や教育委員会は、面倒には立ち入らず、責任をなりつけることしかしない。その体質も問題なのだな。だから、永遠に解決しない。だって、今のあの生徒が親になるのだから

お寺のお仕事について考える

2007年12月28日 14時54分56秒 | Weblog
 友人の父親の葬儀に行ってきた。
 いつも思うことだが、お経の意味がわからない。昔、永六輔が講演で「これからこういう意味のお経をあげますって、お坊さんは言うべきと思います」と言ったが、そう思う。意味のわからないお経を聞いてもありがたくも何ともない。
 戒名。死者に対して、金でランク付けする俗悪さ。加えて、その人がどんな人だったかを知らないで戒名付けられて、何の意味があるのか。
 たとえば、葬儀社は商売だから金で葬儀にランクをつけるのはわかる。また、家族の誰かが死んだ時、どういう風にすればいいかを指導してくれるので、むしろ助かる。しかし、僧侶は死に、死者に向き合う。それを坊主の数やお経の長さ、戒名でランク付けをするのは間違いだろう。今日の葬儀は寺で執り行われた。お経の間、本堂の造りをチラチラ眺めたが、いい木材を使っている。昔、ある寺が本堂の改築を行い、檀家からお金を集めたが、台所まで改造したというので怒っている檀家の一人がいた。
 宗教は文化の一つ。生き死には自然。その自然に文化が介入したところで、力はない。もっと遺族に寄り添った仕事をしないと、先細りするだけではないのか。ちなみにぼくは、ぼくの葬儀に坊主も戒名もお経も要らないと考えて、その旨、伝えてある。そういう人が増えていることも知っている。

政治が身近になった

2007年12月25日 22時17分46秒 | Weblog
 政治家がバラエティ番組に出演することが多くなった。顔ぶれが同じというのはどうかと思うが、政治家はどんどん出て、国民に政治の今を伝えて欲しい。
 ただ、だから身近になったのではなく、政治不信が募って、このままだと大変だと国民が本気になったからだ。目を光らせていないと、何をされるかわからない。地獄を見るのは国民だ。
 バラエティで喋る政治家がどれだけ本音で喋っているかも信じられないことを、政治家は肝にすえて喋った方がいい。みんな覚えているぞ。
 次の選挙は面白い。国民が問われる選挙になる。義理人情でも、ナアナアでもない。本気の一票だ。今まで何をしたか、何をしなかったか、それが問われる。一番厳しい一票になる。政治家諸君、くれぐれも深く自覚を! 

歯なしの話(8)

2007年12月25日 16時27分41秒 | Weblog
 今年最後の治療。一気にやってしまいたかったのだが、大きな治療は来年になった。
 今日は歯垢を取ったのだが、痛かったら言って下さいと言われたものの、ウイーンと吸い取り機が口の中に入っていたら言えない。時々神経に響くような時に顔をしかめたが、お構いなし。やはり言わないといけないのだろう・・・。痛いと思った時に、その器具ごと歯で噛み砕いてやろうと思ったが、そんな強靭な歯なら、歯医者に来ることもあるまい。バカだな俺は、と、笑った。
 気がつくと、ハンカチを持たない手が、凍りついていた。いけない。リラックスだ。そうだ、歌でも歌おう。何がいいか。そうだ、『幸せな結末』がいい。頭の中で歌いだすが、歌詞が思い出せない。胸が痛むだったか、騒ぐだったか。悩んでいるうちに終わった。
 歯の治療は私と出会う場所である。ああ、疲れた。ああ、でも来年までの治療までに全部初期化されてしまって、また新鮮な恐怖と出会うのだろうなァ・・・。

誰のための、何のための政治か

2007年12月24日 15時33分50秒 | Weblog
 福田首相が、薬害肝炎患者一律救済の方向に動いた。昨日から今日までの報道番組を見ていると、支持率が下がったので、という見方が多い。そうであるならば、じゃあ支持率んための政治なんだナと考えてしまう。
 政治は国民と国民の生活のためにある。これが基本だ。官僚が一律救済すると数兆のお金がかかると言ったとか。じゃあ、他のところからお金を持ってくればいい。自衛隊が一機数百億のヘリを買わないようにしたらしいが、ちょっと我慢してもらえばいいのではないか。埋蔵金だってあるんだろ。国民が幸せになるような金の使い方をしないと。
 それにしても、支持率が下がらないと動かないのは情けない。ホント、情けない。政治家が国民のために懸命になっている姿を見たいものだ。UFО論議くらい積極性と本音がほしい。
 政治家が今何をしているか注目されている。何もしてないで選挙の時だけきれい事を並べる政治家は、すでに足元を見透かされていると考えた方がいい。

税金の使い方

2007年12月21日 22時53分38秒 | Weblog
 政治家の無能と官僚の横暴をどうにかできないのか。
 国防費には湯水。でも、国民が困っていることには出し惜しみ。福田さん、あんたはダメだ。決断力がない。うすら笑いの中でつまらない皮肉しか言えない日本のトップはダメだ。本当に情けない。情けないけれど、本当。

政治は誰のために

2007年12月20日 22時21分20秒 | Weblog
 薬害肝炎の政府の解決には落胆。国民を助けるのが国だ。ましてや国に責任があるのだ。それを、あんまりではないか。アメリカ軍への支出を「思いやり」と呼ぶのに、国民には思いやりのかけらもないではないか。今回の決定をした連中の名前を覚えておこう。そして、ぼく達は次の選挙でそれを表そう。違う場面では自分がそうなるかもしれないのだ。断じて許してはいけない。