アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

生徒百景(8) 人権標語作品

2006年06月22日 21時29分18秒 | Weblog
 人権標語を全校生徒に書いてもらい、それをクラス担任が数篇選んで、それを係がまとめ、何人かに一覧を配布して、投票してもらう。それが回ってきた。
 学年ごとにまとめてあり、それから5編に○という依頼だけれど、真似、弱い、わからない等でどうしていいかわからない。それで視点を変えて、それぞれを作者一人を読むという方向にした。担当学年の生徒作品では誰のものかはわからないが、ぼくの受信能力はそこそこに働く。他学年の作品は顔も何もはわからないが、その生徒の気持を汲み取ろうとすると、それぞれに風景がぼんやり、時にははっきりと見えてくるような気がした。切実なものもある。
 心という言葉が一番多い。それが大切なことはわかっているし、それを求めているのだ。オトナは子どもをもっとよく見て、もっとよく聞いて、全身で応えることが求められているのだ。子どもと向かいあうということは、時間じゃない。生き方の流儀だ。チョイワルオヤジで、カッコばっかつけてんじゃねえぞ!
 

子どもにモノを与えるな

2006年06月22日 05時32分04秒 | Weblog
 家庭訪問をすると、凄い部屋がある。マンガがずらり、パソコン、DVD、何でもある。食い物さえあれば、外に出なくても生活できそうだ。
 結局、親が閉じこもれる空間を与えてしまったようなものだ。親はビールを発泡酒にかえて我慢しているというのに、だ。オトナより子どもがいい生活してどーすんだ。子どもの何かしたいにNOを言って、お父さんだってしてるじゃないか、と、応えたら、オトナになればお前もでき、と、返せばいい。
 友達が転校して、友達がいなくなったから、と、友達の転校した学校に転校。父親は長距離通勤で身体を壊した。そして、子どもは学校に行かなくなった。子どもの甘えを許すからそうなる。厳しくしなさいというのではない。限度をきちんとわきまえる。それだけのことなのだ。