アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

政治家という仕事

2009年08月31日 20時55分32秒 | Weblog
 大変な仕事だ。その大変は選挙活動だけれど、土下座する映像をみると、それは違うだろうと思う。そこまでやるのは、政治家の日常がおいしいからではないかと考えてしまう。
 小泉チルドレンがあぶく玉だったように、今回の民主党にもいるだろう。そんなことはどうでもよく、いい加減なことをしていると、次は議席を失うことになると政治家の人たちが認識したのではないかということ。
 自民党の何人かの舌禍事件。ああいうのに無神経だったのが自民党の敗北の一因だと思う。崩壊は細部からなのだ。心せよ、民主党!

自民党の正しい反省の仕方

2009年08月26日 23時21分26秒 | Weblog
 「反省するべきところは反省して」みたいなことを自民党の候補者は言う。それって、効果ゼロだな。具体的に言うべきなのだ。これはこういう風に間違っていたので、それをこういう風に改めます。それなら、頷ける。でも、そういう具体的なところが全くない。日本人は反省する人に鞭打つことはしない。「反省」だけの言葉を繰り返す。それはいけない。
 でも、それができないんでしょ。党内で一致してないんでしょ。国民の気持ちを考えることができないから、そうなる。猿にだってできる反省でしょうが。きちんと反省すれば、そしてそれを守れば、政権交代なんて必要ないんだ。わかってんかな?

効果を考えたほうがいいのでは

2009年08月20日 21時46分04秒 | Weblog
 民主党の大会で国旗を切って、つなぎ合わせたのはお粗末すぎる。きちんとした党の旗を各県の事務局に配布しておくべきだった。おそらく、そういう風に、全く予測もしない、ささいな部分から問題は生じる。
 それを糾弾する麻生首相の言葉も効果的ではない。こう言えば、他の人はどう思うのか、その辺をきちんと計算すべきだと思う。民主を突くには極めて具体的なことなので、財源云々よりはわかりやすい。しかし、あまりにしつこい感じが残るのだ。他にもあるだろうに。他を突く言葉はその人を語る。くれぐれも気をつけなさいませませ。

テレビの報道って、やっぱりおかしい

2009年08月14日 17時30分44秒 | Weblog
 マスコミは商売。ならば、商売を前面に出せばいい。
 ぼくがいらつくのは、酒井法子の占める部分が多すぎること。
 朝、ガソリンスタンドで給油している時も、昼飯を食う食堂でも、多すぎる。今の日本人への情報として、どーでもいいことではないか。結果が出ていないんだから。それを報じる。弱いものをたたくよな。
 バカなことに、朝と同じ内容で、またやる。おかしくないか? 恥ずかしくないのか?
 言論の自由ではなく、恥知らずのい身勝手しか見えない。アホカ。

これでいいのか、お寺の仕事

2009年08月12日 16時01分12秒 | Weblog
 近親者を亡くし、喪主とお寺に行ったことがある。住職の奥さんが出てきて、その旨を伝えると、彼女は「こういうふうになっております」と料金表を出した。無愛想な喫茶店のアルバイト店員より、単刀直入な感じがした。もしかしてこちらの大変を慮って、一切の無駄を省いたのかもしれない。しかし、そうなると、葬式は単なるビジネスだけになってしまう。それが普通なのかどうかわからないが、葬儀のお経担当者との打ち合わせにしか思えなかった。どういう死に方をしたのか、遺族を思いやる言葉もなく。

 白州次郎の遺言「戒名不要、葬式不要」がぼくには、上のような事情で納得できる。どういう人だったのかも聞かずに、名前の一文字を入れるだけの戒名。極めて少ないデータで考えられた戒名に何の意味があるのだろうか。そんな戒名より、家族で考えたものの方が、たとえ不細工でも、ずっといい。

 お寺関係者が車やバイクで走り回っている。ぼくは、数軒お参りにいくけれど、坊主は要らない。誰かが死んだ時だけ動くのは宗教ではない。残された者の気持ちを汲み取り、支えることもしなければ。宗教にはカウンセラーの部分があるのではないか。寺の仕事が日常に見えない。だから葬式仏教って呼ばれるんだ。

 ぼくは家族に言ってある。死んだ時は、何人かの知り合いに知らせてくれるだけで、他は何もしなくていい。

 ただ、いわゆる本山の僧侶は、言葉が、深く、滲みる。素晴らしい人だと思う。末端は、ダメだ。

靴箱? 下駄箱?

2009年08月11日 08時53分40秒 | Weblog
 筆を入れることはないのに、いまだ筆箱という言い方が残っているのはほほえましく、面白い。

 今朝、地震のニュースをラジオで聞いていた時、電話で当地の様子をインタビューしていて、当地の男性が「靴箱が揺れた」とか言ったら、女性のアナウンサーが「下駄箱ですね」と確認したのが妙におかしかった。最近下駄箱も時代遅れなのに、まだ残っている。そして、明らかに相手より若い女性アナウンサーが靴箱を下駄箱と言いなおしたのも面白い。

和尚、熟慮断行を!

2009年08月05日 06時02分02秒 | Weblog
 最近のお寺のお寺の仕事は葬式でお経をあげることだけになっているような気がならない。死んだ者への供養も大切ではあるが、生きている者を救うことが、少なくともその取り組みがあってこそではないかと思う。「葬式仏教」と囁かれる昨今の現実をどう考えているのか。

 盆。精霊流しで毎年多量のゴミが海を汚す。後片付けする人たちの大変さを考えると、仏教関係者は、それを改めるべく、何らかの方針を打ち出し、訴えるべきではないかと思う。どうでしょうか?

自民党のマニフェストを読んで

2009年08月03日 18時56分40秒 | Weblog
 誰を相手に書いているのだろうか、と、思った。たとえば「リアルな政策」とは何なのか。何故日本語で書かないのか。「日本をメンテナンスしていく」とはどういうことか。何故日本語で書かないのか。「パパ、ママ」って、何故「お父さん、お母さん」ではないのか。「マザーズハロワーク」も何故日本語ではないのか。「独自のコンテンツ」も何故日本語にしないのか。うちの親なんか何のことかわからないって、さ。日本人の誰もが読んでわかる日本語で表現しなくては。それだけでも、ペケじゃないだろうか。