アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

親学の前に

2007年04月30日 18時44分45秒 | Weblog
 親学には笑ってしまう。大きなお世話という反響があるのも分かる。
 生活をもっとよくすればいいので、それが政治の仕事だろう。それをしないで、親学をとは。良くしようとかではなく、私たちは考えていますという申し訳でしかない。全くバカの典型だ。改革とはそういうところをきちんとしないと。人材バンクとかいうけれど、想像力も創造力も感性もない連中なら、人材捨て場という方が正解かもしれない。

ゴールデンウイークこそのんびりしよう!

2007年04月29日 17時10分46秒 | Weblog
 交通機関も行楽地も満杯で混雑。人間ウオッチングの趣味があれば別だが、そんなに遊びに苦労することもあるまい。毎年この時期には近くの子ども達が集まって、遊ぶ。ぼくは山に行き、枝を集め、キャンプファイアーの準備をする。今年は13人の小学生が集まるとか。午前中に準備は終わり、部屋で酒をすすりながら、脚本を書く。
 開け放った窓からは生まれ変わった緑を渡った風が流れ込む。明日も休み。この「明日は休み」という思いが精神をリラックスさせる。渋滞にイライラするよりはかなりいい。ゆったり、のんびり、自分サイズ。
 ゴールデンウイークなら、いっそ突き抜けにすべきではないか。今年は1、2の二日を休みにする。それを何故しないのか、文科省、教育委員会の連中は学校だけでなく、企業も含めて考えるようすべきではないか。優良企業はやっているが、学校は優良じゃないからか?

三流の時代

2007年04月28日 23時02分56秒 | Weblog
 たとえばお笑いにしても、歌にしても、テレビのあれこれ、そして政治も、人材は殆ど三流。それは「ウケ」を考えるからだ。そこでかすかな笑いがあってOK。それが現状。政治だけはどうにかしないと、困る。
 母が介護の段階が変わった。以前から状況は変わっていないのに、負担が増えて、サービスは低下。弱者を切り捨てる政治。安部はアメリカでニコニコしてるが、そのニコニコを支える弱者の苦悩をまず認識すべきだ。政治は弱者に必要なもので、日本の政治はアメリカのためにあるのではない。

風が気持ちいい

2007年04月28日 17時37分12秒 | Weblog
 娘と近くの山を歩く。生まれ変わった緑の鮮やかさ。山道のど真ん中に蛇。オレンジに近い色で、鎌首をもたげている。石ころを投げるが微動だにしない。大き目の石を投げる。命中! 鎌首をこちらに向けた。困った。すると蛇はスルスルと道をあけてくれた。
 風が気持ちいい。Tシャツに気持ちいい。目が歓ぶ。新鮮な緑はいい。ロダンの言葉だったか、「都会は石の牢獄だ」。都会は機能しかない生活空間。ゆっくり、のっぺりできる町が多分生活空間としては最適。風が気持ちいい。終の棲家は正解か。

何だ、アメリカのためか

2007年04月27日 20時34分59秒 | Weblog
 安部首相がアメリカに行き、そのお土産として「集団的自衛権云々」。
 日本のためではなく、自分のためにやっておるんだな。美しいってのは、日本のためではなく、アメリカにとってのことだったのか。そうなら最初から言ってくれればいいのに。日本のことかと思ってあれこれ考えただけ骨折り損だ。

小学校のPTAで母親を注意する

2007年04月27日 17時55分46秒 | Weblog
 小学校のPTA。同居人が仕事で、午後から休みを取って、行く。
 授業参観。廊下で母親達がペチャクチャ。教室では縄文から弥生になっての生活の変化を先生と生徒が展開している。昔、東京で働いている頃、新宿で音のない一瞬を感じた。全ての音の隙間が重なり合った稀有な瞬間。錯覚かもしれないが、その錯覚も起きない連続の音声。段々怒りがこみ上げてきた。すると、ぼくの前にいた母親のそばに遅れてきた母親が行き、そこでもペチャクチャ。怒鳴りつけてやろうと思ったが、そうすると、子どもが何か言われて肩身の狭い思いをするかもしれない。そこで、そっと「話しはどこか遠くでやってくれませんか」と囁いた。
 父親は一度行ってみるべきだ。母親がいかにうるさいか。色々とストレスが溜まっていて、そこがそのはけ口になっているのかもしれない。しかし、場所をわきまえることができない母親を赦してはいけない。無関心な父親も悪いのだ。
 注意した母親達は移動した。3メートルほどの所。そこでまた話し始めた。無関心な父親も悪い。しかし、子どもを見ないでくっちゃべる母親は、他人に迷惑をかけているという点でもっと悪い。

ジュゴンの海をどう誤魔化すか

2007年04月25日 19時53分56秒 | Weblog
 沖縄の米軍基地移転でジュゴンの住む海の調査が始まった。どんな結果が出るにせよ、決定しているから、都合のいいように報告書をでっち上げることだろう。
 環境や平和が今真剣に考えなくてはいけないのに、その両方を無視する今回の計画は長く歴史に汚点として残るだろう。それを誰がしたか、撤回できないならば、僕らはその名前を覚えておくことだ。誰?

学力テスト

2007年04月24日 21時04分49秒 | Weblog
 現場では学力の低下はもうずいぶん前から悩みの種だった。その原因は子どもにあるのではなく、子どもを取り巻く環境の変化だ。
 景気に浮かれ、モノや金を与えることで親の責任を果たしたつもりになっていた親。親は仕事だけでなく、遊びや不倫やに夢中になっていた。景気が悪くなると、今度は生活に汲々で余裕がない。学校をいじるだけではダメなんだ。子どもが学習できる環境はまず家庭の充実だ。文科省が、さて、どんな方針を出すか。結局は学校への「指示」程度以外何も出来ないだろう。文科省だけでどうにかできる状況ではないのだ。まだ気づかないのかな。どうしようもない連中だな。PTAは文科省に行き、どんなことをしているのか、とくと観察した方がいい。指示をすれば仕事が完了していると思っているだけということが分かるだろう。

虚勢をはらない

2007年04月23日 21時07分08秒 | Weblog
 カッコつけたって、ミエミエなんだから、正直に言えばいいのに、政治家ってのはホントどうしようもない。
 沖縄で自民党が勝った。新聞は安部効果を書いていたりするが、自民党にOKではないのだ。野党がつまらないから、仕方ないから自民なんだ。腐った野党よりは、腐った自民党の方がまだいい。
 闘いすんで日が暮れて、虚勢ばかりのコメントを流している政治家諸君。もはや政治家のレトリックは実がないことをみんな知っている。鈍感になろうとしているのか、それとも、もともと鈍感なのか。
 虚勢の中でどんどん壊れて、失っていることを政治家は認識すべきだ。

最高裁の存在意義

2007年04月21日 00時07分47秒 | Weblog
 ある外国人女性とその子どもが日本から即刻出ていくようにという最高裁の判決。二人の子どもは中学校、小学校。日本語しか話せない。規則は規則か。ただ、最高裁なら、今の制度と実情の中でもう少し考えることはできないものか。日本だけでなく世界の制度や規則の決まりにおかしいものはおかしいと言って欲しい。「それが法律です」というのはたやすい。法制度に熟知し、加えて人間としての経験を重ねているんじゃないか。
 こういうことに政治家は何もいわない。眼中にないのだ。仕方ない。松岡大臣の不明さえ解決できないのが今の政治だ。