「小学校に英語教育が必要なんですか」と発した仕分け人がいるらしい。バカの典型。小学校に英語教育が要る、要らないの制度についてなら、議論の余地はある。しかし、その制度がある限り、現場への支援は必要だろう。
ぼくは小学校に英語もパソコンも要らないと考えている。日本語の充実こそ何より大切。その日本語は、「てにをは」だけではなく、きちんと受け取って、きちんと考え、きちんと伝えることができる日本語能力。「世界1位が必要なんですか」「小学校にエゴ教育が必要なんですか」というような、責任ある人達がアホなことを言わないような日本語運用能力を、まず小学校から考えるべきだと考えている。現場では、日本語でさえコミュニケーションが成立しづらい状況なのだ。給食費を払わない保護者の言い分を聴いてみれば、こんなにも、と、思うはずだ。
それは置いといて。
現在のシステムを無視しての、小学校教師への英語支援にNOを下す神経は、ひどい。だから、先日書いたように、国会議員の事業をまず仕分けすべきなのだ。数も給料も減らすべきではないのか。もっとも、数が頼りの政治だから、そんなことはできない、か。
仕分け作業って、大放言大会ではなかったのか。デリカシーのかけらもない。パフォーマンスでもいが、それをすることで、観てる人がどう考えているかを考えていない。自分の演技に酔っているだけのものだった。見識も感性もない下品なパフォーマンスだった。